第四話
一週間ほど、エマは授業のあとに学生寮の自室に直帰した。あのクイニーに「空気読めないよね」と呆れられたエマでさえ、さすがにナイラの病室に行くのははばかられた。
やけに広く感じられる相部屋で、ナイラの机やポッド型ベッドに目を向けないようにしながら、エマは自分のベッドの上に転がった。
目を背けた先に、エマのカバンにつけたおそろいのマスコット人形がある。愛嬌のある顔をしたぬいぐるみを、エマはそっと裏返した。落ち着かなかった。
エマは寝返りを打って、授業や訓練でとびきり優秀な成績を残してきたナイラの姿を思い出す。エマやクイニーができないことを、いとも簡単にこなしてしまうナイラが、リハビリに苦戦している。
──敵性生物の襲撃で、あんなに必死に戦っていたのに。
その結果が今のナイラの姿ならあんまりだと、エマは唇を噛む。ナイラの写真立てにいた魔法士官は、ケガが原因で退役したという。
──まさか、ナイラも。
寝転んで携帯型端末を操作する。メッセージは特に届いていない。
──こんなとき、クイニーならどうするんだろう。
エマはクイニーにメッセージを送りかけて止める。正直に全部話せるのなら、クイニーのことだから、きっと伝わるだろう。けれどもクイニーが部外者になった今、全てを話すことはできなかった。
エマはためらいながら携帯型端末のアドレス帳を開いて、クイニーのパーティ仲間だったメリッサを探した。
「あ……」
メリッサの連絡先は、エマのアドレス帳に載っていない。連絡先を聞いていないままだった。
──あのナイラだよ? ちゃちゃっと治して復帰するに決まってんじゃん!
メリッサが癖毛を指に巻き付けながらそう言っていたのを思い出して、エマは布団の中で膝を抱えた。照明の電源を切ったエマの目に、ナイラとおそろいのマスコット人形が映った。
***
雨粒が傘の上で次々にはじける。ナイラが訓練に出なくなってから、他の生徒たちが成績優秀者として名前を呼ばれていることに、エマはまだ慣れない。
ナイラがいたときとは違って、呼ばれる名前は毎回違う。狙撃訓練ではエマが成績優秀者として呼ばれることが多かったが、ナイラのように全ての成績が優秀な生徒はいなかった。
エマは傘を差して、足元の水たまりを避けた。
「……どうして来ないのよ!」
突然声がして、エマは傘をほんの少し持ち上げる。ナイラだった。
「来ないって、病室に?」
「そうよ! 私はもう、必要ないってこと!?」
ナイラが覚束ない足取りでエマに歩み寄る。傘に隠れたエマの肩をナイラがつかむと、エマの手から傘が滑り落ちた。
「そんなわけないよ。みんな、ナイラが戻ってくるのを待ってる」
「私の気も知らないくせに! 私がどれだけ、どれだけリハビリで……!」
エマの上にも、雨が降り注ぐ。ひっくり返った傘に、パタパタと雨粒が当たる。敵性生物が学校を襲撃したときに聞いた、威嚇射撃の音に似ていた。
「今まで、私だってそうだったよ。どれだけ勉強しても、どれだけ訓練しても、ナイラに届かなかった。……今のナイラと同じだよ。みんなそうだよ。クイニーだって、そうだった。飛べないんじゃない。飛ぼうと必死にもがいてるんだ」
ナイラの銀髪が雨に濡れている。滴り落ちる雫をながめながら、エマはそっと静かに身を退いた。
「たくさんの人から才能を供与されて、気持ちが折れた人から奪って──、そんなの、ズルだよ」
エマの空色の瞳と、ナイラの黒目がちの瞳が真っ正面からぶつかる。ナイラは怒りに任せるように声を荒げた。
「才能供与のこと、何も知らないくせに! 供与された分、私はなんでもできなきゃおかしいの! できなきゃいけないの! できないなら、私だって才能を抽出されて、クイニーみたいに……!」
クイニーの名前を聞いて、言いすぎたかもしれないというエマの躊躇が吹き飛んだ。
「そんなの、知らないよ。供与された人の都合なんて、知りたくもない」
なおもつかみかかろうとするナイラを、エマはかわす。当てがはずれたナイラはよろけて倒れ、水しぶきが上がった。泥まみれになったナイラがうつむく。その肩がわなないていた。
ナイラのカバンが水たまりに浸かっていた。おそろいだと言ってくれたぬいぐるみも、持ち主と同じように泥にまみれている。
エマは傘を拾うと、ナイラに向けて差した。
「みんな、そういう悔しい気持ちを味わって来たんだよ。……あのナイラが、ナイラ・サイードほどの天才が、こんなことで挫けないで」
ナイラが顔を上げる。黒目がちの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「挫けたら、私が許さない。……こんなことで挫けるなら、あなたに才能を供与したクイニーが、あんまりだよ」
エマはしゃがんで、ナイラのカバンを拾い上げる。よろよろと立ち上がったナイラにカバンを渡すと、エマはナイラに背を向けた。
エマのカバンのマスコット人形が小さく揺れる。いつの間にか、エマのぬいぐるみにも泥が跳ねていた。




