第一話
エマは学生寮の自室に戻ってシャワーを浴びた。排水口に流れ込んでいく泡が、戦場の煤やほこりと一緒に流れ落ちていくようだ。疲労で腕がずっしりとしている。
シャワーの栓を閉め、水滴を拭う。髪を拭きながら「ナイラ、シャワー上がったよ。使う?」といつものように声をあげたところで、ナイラが病室にいることに気付いた。相部屋が、やけに広く感じられた。
Tシャツとズボンでごろりとベッドに転がる。携帯型端末を取り出して、明日の予定について調べた。医務室でナイラの手術を待っている間に、さまざまな連絡が届いていたようだ。
明日の授業が中止になった連絡、ニュースで士官学校に敵性生物が現れたことを知った人たちからの安否確認、同級生たちからのナイラの容体の心配──。
エマはその一つ一つに返信していくが、あまりにも数が多い。途中から、その前に書いていた内容をコピーするようにした。
──誰か一人に伝えたら、あとはその人が知っている人たちに伝えてくれればいいのに。
ごろりと寝返りをうつと、ナイラがくれたマスコット人形が目に入った。エマは目の上に腕を乗せて、深いため息をついた。ろくに悲しむ暇もない。
≪エマ、士官学校に敵性生物が来たんだって? さっきニュースで見た。みんな大丈夫?≫
クイニーからのメッセージに、エマは億劫になりながらも返信を打つ。
≪ナイラがやられた。負傷者は他にもいるけど、軽傷で済んだみたい≫
エマはそこまで書いて、送信する前にメッセージを消した。もう学内関係者ではないクイニーに、どこまで話していいのかわからなかった。
≪一人が重傷。でも命に別状はないって。私は無事。すごく疲れてるけど≫
それだけ返信して、エマは携帯型端末をベッドの枕元に小さく放り投げた。
初めての敵性生物との戦闘は、エマにあまりにもたくさんの衝撃を与えていった。
敵性生物の強さ。戦場での焦り。あの天才・ナイラが撃墜されたこと。圧倒的な王国魔法軍の戦闘。場数や訓練や装備の差はあるだろうけれど、もしかしたらそこに、クイニーのような才能の抽出と、それを供与された人間がいるかもしれないこと。ナイラの容体──。
考えることが多すぎて、エマはぐったりと目を閉じた。考えても仕方のないことだ。なによりどれも、エマにはどうすることもできないことばかりだった。
考えないようにしても、頭の隅にこびりついている。そうこうするうち、いつの間にか、エマは眠りについていた。どうやら明かりをつけたまま、眠ってしまったらしい。ベッドから起き出して、ナイラのポッド型ベッドのフタが開いたままになっているのに気付いた。
授業にはまだ少し時間が早い。エマは手早く準備をすると、ナイラの病室へと向かった。階段を降りるコツコツという足音が、やけにこだまして聞こえる。いつもよりも寂しく聞こえるのは、普段ならナイラと二人分の足音が響いていたからなのだろう。食堂は朝食をとる生徒でにぎわっていたが、エマは食欲がなかった。
学生寮を出て教室棟の医務室にたどり着くと、医療班の学生数人が忙しそうにしていた。
「あの、ナイラ・サイードは?」
「こっちです」
案内されて、エマは横たわるナイラの様子を見た。酸素吸入用のマスクはまだついている。シュー、シューという音が、ナイラの呼吸と共に辺りに響いている。エマはナイラが呼吸していることに安堵する一方で、その弱々しさにギュッと拳を握りしめた。
「ナイラ……」
呼びかけると、ナイラのまぶたがかすかに動いた。ゆっくりとまぶたが開いて、ナイラの大きな黒目がちの瞳が見えた。
「おはよう」
「エマ。……戦闘は? 敵性生物はどうなったの?」
「魔法軍が来て、あっという間に倒していったよ」
「そう……負傷者は?」
「重傷なのはナイラだけ」
「……よかった」
エマは困ったように笑いかける。敵性生物との戦闘中、ナイラの気がどれほど急いていたか、どれほど責任を感じていたかが伝わってくるようで、エマはベッドの横にあった椅子に腰を下ろした。
「だから、早く治してね」
ナイラは静かにうなずくと、まぶたを再び閉じる。ベッド横にあるキャビネットには、ナイラのカバンが置いてあった。
── おそろい。嫌じゃなかったら。
そう言って渡された小さなぬいぐるみと同じものが、ナイラのカバンについている。ぬいぐるみの足首がほんの少し曲がっていた。
エマはぬいぐるみの足首を直すと、病室をあとにした。




