第六話
医務室に運び込まれたナイラに付き添って、エマは消毒薬の匂いのする廊下を進む。手術室にナイラと医療班が入ったのを見届けて、しばらく呆然と立ちすくんだ。
手術中の赤いランプが点灯して、あわただしい足音が聞こえてくる。エマは廊下にある長椅子に座ると、震える指を組んで、額に押し当てた。ナイラは重傷のようだった。
──血は、出てなかったのに。
エマはごつごつとした気配で、まだ強化パーツを装着していたことにようやく気が付いた。固定ベルトをのろのろと外して、エマは手術中のランプを見つめる。
エマにはどうすることもできないもどかしさが、胸の奥から湧き上がってくる。
──あのとき一斉斉射をしなければ、土煙があがらなくて、ナイラも突撃しなかった? それとももっと前……先行していたナイラたちを、もっと早く止めるべきだった?
もどかしさは後悔になって、エマの胸に次々と突き刺さる。エマは敵性生物との戦闘を何度も思い起こし、深いため息をついた。
手術室の中から、かすかに音が聞こえる。今さら後悔したところでナイラの負傷は変わらないと、エマも頭では理解している。ナイラが陣形を無視して前に出過ぎたのが原因で、自分に責任がないのもわかっている。
けれども、ナイラは戦闘科の二年生の首席だ。彼女が自負や責任感から前に出た心情も、エマには理解できてしまう。土煙が煙幕になったときに飛び込んだのも、合理的な判断ではある。
手術室の扉がそっと開いて、医療班の生徒が出てきた。あとは専門の医師が対処するのだろう。エマは腰を浮かせて、医療班の生徒に詰め寄った。
「ナイラは!?」
先ほどまでの思案を打ち破るように、エマは医療班の生徒に容体を確認する。医療班の生徒は落ち込んだ様子で、遠慮がちに答えた。
「骨が何本か折れてます。あばらと足首。あばらの方は、臓器に突き刺さってて──今、処置中です」
エマの喉がヒュッとすくみあがる。
「背中には火傷。バックパックの噴射口が敵の攻撃でひん曲がったみたいですね。パイロットスーツが破損してたのも運が悪かったみたいです。ただ、不幸中の幸いで、冷却剤が背中についてたから、火傷のほうは重症というわけじゃないです」
「そんな……」
「今、先生たちが頑張ってくれてます。多分命に別状はないけど……後遺症が残る可能性はあります」
呆然として長椅子にぺたんと座り込んだエマに会釈して、医療班の生徒が帰っていく。
遠ざかる足音を聞きながら、廊下に一人取り残されたエマはぎゅっと手を組んだ。
──どうか、どうかナイラが、助かりますように。
薄暗い廊下で、エマは組んだ指を何度も額に当てた。まだ夜は明けそうにない。エマの視界に入った強化パーツに、煤がついていた。
手術室前の廊下はまだ夏だというのに、ひんやりとしている。トイレに行って手を洗ったとき、エマは自分の頬にも煤がついていることに気が付いた。
顔を洗う。鏡の中に映る自分が泣いている。何度も顔を洗うが、涙はとめどなくあふれてきて、止まらなかった。
──イカロスの翼。
エマはナイラの言葉を思い出す。ナイラは、飛びたいけれど飛べないとクイニーを評した。
──それならナイラは、飛べたけれど、墜落してしまったイカロスだ。
パイロットスーツの袖でゴシゴシと顔を拭いて、エマは廊下に戻る。エマは落ち着きなく、立ったり座ったりをくり返しながら、ナイラの手術が終わるのを待った。
どれほどそうしていただろう。手術中のランプが消えて扉が開いたとき、エマは顔を上げて立ち上がった。手術用のエプロンを着た医師が出てくる。エプロンにはべったりと血がついている。エマは自分の血の気がさっと引いたのがわかった。
「先生、ナイラは……!」
医師はエマの目をまっすぐに見て、安心させるようにうなずいた。
「命に別状はありません。折れた肋骨が臓器に刺さっていて──」
「さっき聞きました」
「そうですか。臓器の傷は縫いました。回復まで時間はかかるでしょうが、ひとまず峠を越した……というところでしょう。最善は尽くしました」
エマは医師に深々とお辞儀をして「ありがとうございます!」とくり返した。その横で、ストレッチャーに乗ったナイラが病室に運ばれていく。
ナイラの酸素吸入用のマスクが、呼吸に合わせて曇っている。ナイラの表情は、先ほどよりは落ち着いていた。
──また、飛べるよね?
エマはぎゅっと胸の前で手を握りしめて、病室へ運ばれていくナイラのあとを追う。
──飛べたとしても、飛び続けられるとは限らない。
ふと湧き上がった感情が、エマの足を止める。エマはストレッチャーに乗ったナイラに将来の自分を重ねて、愕然とした。膝から崩れ落ちていきそうな自分を支えるのが、やっとだった。




