第二話
エマの頭の中に、ナイラの美しい発進が焼き付いている。
──発進訓練は今回初めてだったはずなのに、どうしてあんなに違うんだろう。
エマは訓練前に座学で書き留めたデータを開いて、学生寮の自室でため息をついた。配布されたデータだけでなく、教官の語った内容のメモがびっしりと詰め込まれている。データを一つずつ確認しながら、エマは発進訓練の記憶と比較する。
「ただいまー……さすがにもう寝てるか。静かに静かに……」
スライド式の扉が開いて、ルームメイトのクイニーがひょっこりと亜麻色の頭を出す。すでに寝ているとばかり思っていたエマがタブレットを手に考え込んでいるのを見て、クイニーはぎょっとした。
「って、起きてんじゃん! え、なんで?」
「発進訓練の復習しようかなって」
「えー……? まっじめー」
クイニーはどっかりと自分のベッドに座るとブーツを脱いで、ひょいひょいと靴下を脱いだ。ベッドの上にあぐらをかいて座っている。
「あたしなんて、就寝時間ギリギリまで友達と遊んできたのにさー。……ね、今度はエマも一緒にどう?」
「……考えとく」
クイニーはヘッと短く息を吐いて、肩をすくめた。
「それ、来ないやつじゃん」
「……ごめん。ナイラの発進訓練、すごくきれいだったから。どこであんなこと、勉強したんだろうって」
エマの脳裏に、ナイラの発進訓練が蘇る。スキージャンプのような、無駄のないきれいな動きだった。
もしかしたら、座学の最中に教官がコツを話したことがあったかもしれない。自分が聞き漏らして、書き留めることができなかったのかも……とエマは授業風景を思い出す。
上の空になったエマに、クイニーは見るからにふてくされた。
「ナイラー? あの子は特別じゃん。先輩か家庭教師からなんか聞いてたんじゃないのー?」
「……そうなのかな」
「でないと、初手であんなにきれいに飛べないって」
クイニーはひらひらと手を振って、ベッドの上に転がった。
「……あんなの、あたしにだってできるもん」
クイニーの唇は不満をもらすように尖っている。携帯型端末を持って、映像を見はじめたようだった。
「……ここで全身を伸ばして、落下するときに腕をクロスさせる……」
独り言を言うクイニーに、エマは困ったように笑うと、発進訓練の復習をキリがいいところまで進めた。
再び集中しはじめたエマには、映像を見終えたクイニーが「……あたしにだって、できるもん」と小さくつぶやいた声は聞こえなかった。
***
二回目の発進訓練の日がやってきた。前日の夜、クイニーがいびきをかいて寝ている横で、エマは夜遅くまでタブレット端末とにらめっこしていた。
寝不足でほんの少しふらふらしながら、エマは更衣室の扉をくぐった。備え付けのロッカーに所持品を入れて、あくびを噛み殺しながら、パイロットスーツに着替える。
「エマさー、昨日ちゃんと寝たの? 寝不足で訓練って、キツくなーい?」
「うん。ちょっと後悔してる」
隣のロッカーで着替えていたクイニーが鼻で笑った。エマよりあとにやってきたはずなのに、もう着替えが済んでいる。
「もー、よく食って寝ろよー。それが一番じゃん」
パイロットスーツのチャックがうまく閉まらない。手間取っているエマを見て、クイニーはチャックを閉めるのを手伝うと、「じゃーね」と手を振って、友達の元に駆け寄った。
モニターの中にカタパルトが映っている。ナイラの発進訓練を思い出すエマの胸の奥が、不安できゅっとした。
更衣室の扉が開く音がして、女子生徒たちのざわめきが止まる。こつこつというブーツの音がやけに大きく聞こえて、エマは振り返った。ナイラ・サイードだ。
ナイラは自分のロッカーで手早く着替えると、ゴーグルを調節しながら、モニターの前にいたエマの隣に立った。
緊張するエマに、ナイラはほんの少し首を傾げてたずねた。
「あなたの順番、早いんじゃないの?」
「え! あ! そ、そうですね!」
同級生ではあるけれど、ナイラに覚えられていると予想もしていなかった。エマは、身を縮こまらせた。
ナイラはじっとエマの顔を見つめると「くま」と短く言う。何を言われたのかわからず戸惑うエマに、ナイラは自分の目の下を指で示した。
「眠れないの?」
「あ……えっと、緊張しちゃって」
「……そう。ずいぶん余裕ね」
ナイラはそれだけ言うと、長い銀髪を手早くまとめる。ゴーグルを胸の前にぶら下げると、エマの言葉を待たずに行ってしまった。
エマはうつむいて、唇を噛む。余裕などあるはずがない。だからこそ、必死に勉強して、寝不足になったのだ。
ため息をついて、モニターに視線を移す。カタパルトはまだ静かだ。




