繭の過去
とある田舎とも都会とも言えるような町の病院で、新たな命がこの世に産声を響かせた。
両親に望まれて産まれた少し小さめの女の子は『繭』と名付けられ、両親の腕で優しく抱きかかえられていた。
「見ろ、綾!可愛い女の子だぞ!目元なんてお前にそっくりだ!」
「本当に可愛い。でも、拓也の子なのだから成長すれば凛々しくなるのかしらね?」
「あぁ、将来はクール系美人になるに違いない!」
その赤ん坊は20歳になったばかりの若い夫婦の間に産まれた。
夫婦は高校からの付き合いを経て早々に結婚し、それから間もなくの第一子であった。
最初の方こそはどこの家庭とも変わらない家族生活だったが、それは半年足らずで崩壊を始めた。
「ねぇ……これ、どういうこと?」
初めは夫である拓也の浮気だった。
拓也は綾が妊娠して間もなく浮気をしており、その関係を繭が産まれてからも続けていたのだ。
それが綾にバレて喧嘩となり、夫婦仲に亀裂が入った。
だが、拓也が必死に謝った甲斐もあり、一時的に夫婦仲は元に戻った。
しかし、その3年後にまた別の問題が起きた。
「何でこんなことに……」
それは全く予期していなかった会社の赤字転落による、コスト削減の為の大量リストラであった。
その結果、慌てて再就職したものの給料は激減、共働きを余儀なくされ、更に2年の月日が経った頃には夫婦間ですれ違いが多くなっていた。
そして、あと半年で繭が小学生になるという時期には、もう家庭とは呼べない環境になっていた。
「……ママ?……パパ?」
拓也は仕事終わりの飲み会を、綾も夜遊びを頻繁にするようになり、繭は両親のどちらかが買ってきた弁当を食べる日々となっていた。
そんな生活は幼い少女にとって酷であることは明白であり、繭はほぼ毎日のように涙を流していた。
「いい加減にしてよアンタ!」
「それはこっちのセリフだ!」
それから更に2年後、今まですれ違うことしかしていなかった拓也と綾が、ついに衝突するようになってしまった。
原因は繭の養育費であった。
ここ数年は収入が減ったのを知っていた拓也の親が少しずつ援助をしていたのだが、そこに国からの支援金が支給されることになり、その取り分を巡って言い争っていたのだ。
しかし、祖父母からの援助金も国からの支援金もほとんどが2人の遊びに散財されていた。
もちろん、そんな事は繭が知る由もないが、そんな2人の諍いによる怒りの矛先が向けられるまで、そんなに長くは掛からなかった。
「……パパ、ママ……ケンカ、やめてーーー」
「あ?うるっせぇんだよっ!」
バシッ!
「あうっ⁉︎」
喧嘩を続ける2人を見ていられなくて止めに入ると、怒りの籠った恐ろしい目を向けられながら殴り飛ばされてしまった。
そんな日が何日か続き、やがて繭は痛みをもたらす両親に恐怖を抱き、喧嘩を止めようとはせずになるべく顔を合わせないように動くようになった。
しかし休日はそうもいかず、時には顔を合わせただけで叩かれたりなど、その理不尽な暴力の日常は繭のか弱い体を傷付けていき、徐々に精神にも影響を及ぼし始めた。
「……痛かった……」
繭が体の痛みに耐えながらボーッとしていると、ふと疑問が湧きはじめた。
なぜ痛いのか?
なぜ叩かれるのか?
なぜ自分なのか?
なぜこんな所にいるのか?
あらゆる疑問が次々と浮かぶ中、ふと周りの事が気になり始めていた。
最近は学校にいる間も体中が痛みに苛まれているし、家に帰ってからはまた叩かれることを恐れて気が気でなかった。
しかし、学校のクラスメイト達はみんなが幸せそうに笑いあっており、そんな自由な友人達を羨ましいと感じると共に、心に暗い陰を落とし始めていた。
痛みを伴う生活が始まってから早くも1年が経った頃、繭は体だけでなく心も荒れ始めた。
夫婦喧嘩はひとまずの収まりを見せたものの、時折り暴力を受けるのは変わらず、青痣が絶えることはなかった。
そして、暴力を受ける度に自問自答を繰り返していた繭は、ついに憎しみの感情を覚えてしまっていた。
「……なんで私だけ…………いつか、必ず……」
痛み、悲しみ、苦しみ、悔しさ、様々な負の感情に晒されていく繭の心は、次第に黒くて硬い、しかしどこか脆い危険な状態へと成長していった。
やがて小学5年生になった頃、『まだマシだ』と思っていた学校生活でも悪い変化が起き始めた。
「……っ⁉︎……なに、これ?」
朝、いつも通りに登校して下駄箱を開けたところ、その中にちり紙や枯葉などのゴミが入っていた。
幸いにも上履き自体は汚れていなかったので、ひとまず靴を履き替えて雑巾を取りに教室へと向かった。
すると―――
「ひっ⁉︎」
後ろの方にあった繭の机の上に、下駄箱と同じようにちり紙や虫などがばら撒かれていた。
この光景に怖くなった繭は、急いで職員室へと駆け込んで事情を話した。
そして、流石にこの件を重く受け止めた教師たちは、全てを片付けてから臨時のホームルームを行い、学校集会を行い、朝や帰りの下駄箱に教師たちの見張りを付けたりなどの対策をとった。
その迅速な対処により元通りの生活になった繭だったが、一度始まったものが簡単に収まるはずはなかった。
「うわっ!また汚ねぇカッコしてるー!」
「くさっ!これゴミの匂いじゃん!」
「ゴミがこんな所にあるー!」
教師の目に見える所へのイタズラが出来なくなった同級生たちが、繭を直接からかい始めたのだ。
その行動は、後の事など全く考えない、ただ自分達が楽しいからこその行動であった。
もちろん、それはすぐに見つかって叱られる同級生達だったが、〝次はどうすれば見つからずに出来るのか”、〝次はどうすれば怒られずに済むのか”と、同級生達にとってはまるで脱出ゲームをするかのようなスリルのある遊びという認識でしかなかった。
「…………」
まるでそれが普通であるかのように繰り返される苦痛な日々。
休まる居場所も時間も無い繭は、次第に疲れ果てていった。
そしていつも通りだった日常に、ある変化が訪れた。
「梶谷 凛です!よろしくお願いします!」
それは突然の転校生であった。
親の都合で転校してきた凛は、緊張しながらもハッキリとした声で挨拶していた。
その小柄で整った顔立ちをした凛の懸命な姿に、クラスの全員が沸き立っていた。
瞬く間に全員の興味を引いていった凛は、休み時間の度にクラスメイトに囲まれていた。
一方の繭は、クラスメイトの興味が別に移ったことで束の間の平穏を手に入れていた。
(あの娘のおかげで静かになった。これで少しは寝れる)
今の繭にとっては転校生だろうが興味を持てないでいた。
それよりも、いつ親に手を出されるかという不安のせいで不眠症になっていた繭は、クラスメイトからのイジメを気にする必要が無くなった事に安堵し、騒がしい教室を抜けて人気のない階段で座りこんでいた。
この校舎の1番端である階段を使う人は極端に少ないのだが、チャイムが鳴ってからでも少し走れば教室にすぐ戻れるこの場所は、10分という短い時間では最適な1人になれるスポットであった。
(出来ることならこのまま放っておいてほしいなぁ……)
普通ならばおかしな願いではあるが、常に気を張り続ける生活をしていた繭にとっては大事な願いであった。
そして、繭の願い通りにクラスメイト達は転校生の凛に夢中になり、しばらくは平穏な学校生活を送ることが出来たのであった。
それからある日の事。
体育の授業を終えて着替えをわざと遅めに済ませた繭は、次の授業が移動教室であるため一度教室に戻っているところであった。
(これならギリギリ間に合うかな)
自然とクラスメイト達と行動を共にしなくなった繭は、慣れた様子で早歩きをしながら教室へと入った。
すると―――
「ひっ、ひっく……ど、どうしよぉ」
教室の中に1人だけでいた凛が、困り果てたように泣きじゃくっていた。
というのも、凛は転校してきたばかりで移動教室の場所などはまだ分かっておらず、少しトイレに行っている間に他のクラスメイトは先に行ってしまったのだ。
ちなみに、クラスメイトはわざと先に行ったのではなく、単に凛が教室を分からないという発想が出来なかっただけであった。
その辺りを察した繭は泣いたままの凛を放置するわけにもいかず、仕方なく声をかけることにした。
「……次の移動教室、早く行かないと遅れるよ」
「え?」
ぶっきらぼうな声で話しかけられた凛は、まだ少し涙を流しながら呆けてしまった。
それを横目に見ながら教科書の準備を済ませた繭は、すぐに教室の扉へと向かって出ようとした所で立ち止まり、凛の方へ振り向いた。
「……行かないの?」
「……え、あ、でも……私……教室の場所が分からなくて……」
繭に向けられた視線を避けるように逸らした凛は、まるでどうすれば良いのか分からないようであった。
それを見た繭は一つため息を吐くと、凛に歩み寄って机の上にあった教科書を押し付けるように持たせて、手を強引に引っ張って歩きだした。
「私も行く場所は同じだし、早くしないと間に合わないから」
「え?あっ……」
手を繋いだまま足早に目的地に向かっていく2人。
そして、目的の教室の扉まで来た所で、繭はずっと掴んだままだった手を離した。
「ここだから。次は困らないように覚えておくといい」
「あ、うん!」
凛がもう泣いていない事も確認した繭が教室へ入ろうとしたところで、凛が慌てたように呼び止めた。
「あの!あのね!ありがとう!」
「……うん、どういたしまして」
随分と久しぶりに好意的な気持ちをぶつけられて呆けた繭は、その意味を理解すると照れながら視線を逸らし、一声だけ返して今度こそ教室へと入った。
結局、その日以降はいつも通りの関係に戻った2人だったが、それからはお互いにふとした時に視線が合うようになっていった。
そんな日々が続く中、休日で久しぶりに家族揃っての夕食についていた凛は、仕事でなかなか会えない父との会話を弾ませていた。
「はっはっは!凛が今の学校を楽しく過ごせているようでなによりだ。父さんの都合で転校させてしまった時には不安こそ抱いたものだが、その様子であれば大丈夫なようだな」
「うん!新しい学校でもお友達がいっぱいできたから!」
満面の笑みを浮かべて返してくれた凛を見て、『梶谷 宗治郎』は誰からも強面だと言われているその顔を綻ばせていた。
「そうかそうか。だが、授業の違いなどもあるはずだからな。何か不安になったりしたらいつでも言いなさい。もしもの時の為の番号も覚えているだろう?」
「うん!大丈夫!」
宗治郎は自信満々に頷き返した凛にホッコリしながら食事を再開した。
すると、とある事を思い出した凛が、表情を曇らせながら宗治郎へ話しかけた。
「そういえばね、お父さん。私が初めての移動教室で困ってた時に助けてくれた子がいるんだけど、私がその子と仲良くしようとすると周りの友達が止めてくるの。〝あの子は危ないから″って。でも、私は仲良くしたいし、あの子も寂しそうだから友達になりたいの。でも、やっぱりそれは出来なくて……どうすればいいのかなぁ」
少し俯いてしまった凛の話を聞いた宗治郎は、その強面が更に強調されるほどに表情を硬くしていた。
(露骨なイジメ、か……どうにかしてあげたいが、私が介入するにも限度があるな……)
子供のイジメは根が深いうえに絡まりやすいのを理解している宗治郎は、その難しい娘の相談に頭を悩ませていた。
そこへ、また別の事を思い出した凛が、宗治郎だからこそ聞き捨てならない事を話し始めた。
「あとね、その子はよく体を痛そうに抑えてるの。たまに紫色になってるのを見たりするんだけど、何かの病気なのかな?」
「っ⁉︎」
凛の話を聞いた直後、宗治郎の脳裏に最悪の結論が導き出されていた。
(なんて事だ。イジメだけでなく虐待の可能性もあるとは……しかし、そうであるなら私も堂々と動ける)
頭の中で推測を整理させた宗治郎は、〝明日にでも動く″という決意をしていた。
「……お父さん?どうしたの?」
「いや、何でもないよ。凛はその子と仲良くしたいんだよな?」
「うん。もっと話したり遊んだりしたい」
「なら、それで良いじゃないか。他の人からの意見は確かに参考にするべきだ。でもね、他の人が見聞きした事よりも、自分で見て感じた物こそ信じるべきなんだよ」
「うん!分かった!」
宗治郎は素直な返事をした愛娘の頭を撫でながら、重要な情報を集める為にある提案をした。
「良い子だ。そうだ、今度の休みの日にでもその子をウチに連れてきなさい。父さんもその子と話をしてみたいからな」
「うん!」
それからすぐに積極的な凛に押し切られた繭が遊びに来ることになり、宗治郎は何気ない会話をしながら集めた情報を元にして、勤め先の仲間達に協力を仰いだ。
宗治郎が動き始めてから1ヶ月がたった頃、事態はようやく大詰めの所を迎えていた。
「まさかここまで酷いとはな」
うんざりした様子で分厚い資料の冊子を机に置いた宗治郎。
その内容は、宗治郎の自宅へよく来てくれるようになった繭本人から聞いた証言と、繭の両親の現在状況についてであった。
現在は夫婦共にアルバイトの状態であり、なのに夜遊びに浸っているほどの自由人っぷりで、家に帰れば外にまで聴こえるほどの喧嘩や怒鳴り合いといった具合だった。
さらには時折り悲鳴や泣き声も確認されており、何があったのかはすっかり繭と打ち解けた凛から聞いたところ、やはり〝暴行を受けている″と教えてくれたとの事であった。
そんな数々の資料を集めて作成を手伝っていた仲間の1人が、宗治郎と同じ様子で別の資料を机に置いた。
「まさしく家庭崩壊のはずですけど、よくこんな状態で離婚しないですよね。そこも不思議でしょうがないです」
「大方、その後の面倒を嫌ったんだろう。だが何にせよ、これで彼女を救う準備が出来た。ここまでの協力、感謝するよ」
「いえいえ、これはうちの部署の仕事ですからね。それより、令状が届いたらすぐにお願いしますよ」
「もちろんだ」
今までの成果がようやく実を結ぶ事を確信している2人は、握手を交わしてから最後の準備に取り掛かった。
いつもの憂鬱な朝を迎えた繭は、いつもと同じように学校へ行く準備をしていた。
するとそこへ、普段とは違う圧を放っている拓也が繭へ詰め寄った。
「いいか、今日は学校が終わったらすぐに帰ってこい。分かったな?」
「……はい」
「言う事を聞かなかったらどうなるかも分かってるよな?」
「……はい」
言われた事に対して素直に返事しないと怒られるのを分かっていた繭だったが、普段よりずっと強いその圧を受けて体が強張るほどに恐怖を抱いていた。
それから少し早めに登校した繭だったが、教室へ向かわずに校舎の端の方で蹲っていた。
(いやだ……帰りたくない……)
まだ学校へ来たばかり。
しかし、今朝の父の只ならぬ様子に今までとは比にならない危機感を募らせていた。
(……私、殺されちゃうの?……でも、帰らないと殴られる……絶対に痛い……いやだ……でも怖い……どうすれば……安全な場所……どこに……ない……逃げる……分からない……いや……怖い……痛い……暗い……いや……いやっ!)
本能で感じている危機感を拭いたくて懸命に考える繭だったが、何をどう考えても悪い結果しか考えられず、更なる恐怖に怯えていくだけであった。
それでも得体の知れない恐怖から逃げたくて目と耳を塞いで小さくなったが、その暗闇の中でも両親が現れて恐ろしい両手で繭を掴もうとしてきている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
もはや恐怖のループから抜け出せず、過呼吸気味の危ない状態になっていく繭。
そんな意識も怪しくなってきたところで―――
「繭ちゃん!大丈夫⁉︎」
凛が駆け寄って怯えている繭を強く抱き締めた。
全てを拒む様に小さくなっていた繭は突然の優しい温もりで少しだけ呼吸が落ち着き、その温もりを少しでも多く感じたいが為に凛へ縋りついていた。
それから少ししたところで呼吸が完全に落ち着いた繭だったが、まだ震えが止まらないままでポロポロと涙を流し始めた。
「大丈夫。大丈夫だよ、繭ちゃん。私がここにいるから。繭ちゃんの怖いものは何も無いよ」
未だ怯えたままの繭を抱き締めながら頭を撫でる凛。
そのうちに始業のチャイムが鳴ってしまうが、それでも構わずに繭を守るように撫で続けていた。
そして、涙も少し落ち着いたところで、繭が少しずつ事情を話し始めた。
「……凛……お父さんが、今日はすぐに……帰ってこいって……でも、今日は……いつもと様子が違くて……なんか……いつもより怖くて……私、どうしたら……」
「そうなんだ……大丈夫!私に任せて!」
「えっ?」
繭から事情を打ち明けられて少しだけ思案した凛は、自信満々な笑顔を見せながら繭の手を引っ張って立ち上がらせた。
「一緒に来て!」
「う、うん」
繭は凛の迷いの無い行動に戸惑いながらも、その手を離さないように強く握りながらついて行った。
やがて職員室へ辿り着いた2人。
凛は教師に事情を話して電話器を借りると、常日頃から何度も確認していた番号を迷わずに押して連絡をした。
そして話が終わったらしく、受話器を校長先生へ渡してから繭に笑顔を向けた。
「これでもう大丈夫!私のお父さんがなんとかしてくれるって!」
「……どういうこと?」
話が読めずに首を傾げる繭だったが、そこに校長先生が声を掛けてきた。
「私も事情は聞いたよ。九条さん、梶谷さん、悪いけど梶谷さんのお父さんが来るまでここで待っていなさい。どうやら一緒に話をしなければならないようですから」
「えっ?」
「ね?私のお父さんは凄いんだよ!だって警察官なんだもん!」
混乱する繭に胸を張って父親を自慢する凛。
そう、凛が自慢するように、宗治郎は警部補という立場でそれなりの場数を踏んできたベテランなのであった。
だからこそ、その立場を活かして繭の家庭の調査を積極的に進めていたのだった。
そして、今回は警察も絡む重いケースだった為、校長先生の判断で授業を欠席することになった2人は、もともと繭を助ける為に準備していた宗治郎が全てを終わらせるまで手を繋いで待っていたのであった。
宗治郎は繭の両親である拓也と綾の身柄を拘束し、あとの処理を部下に任せてから繭と凛を迎えにきていた。
「これで君は自由だ。今までよく耐えてきたね。凄い事だよ」
「うっ……ぐすっ」
宗治郎の大きな手に頭を撫でられて本当の意味で安全を手に入れた繭は、今度こそ安心して涙を流した。
そして、そんな繭に真剣な顔を向けた宗治郎は、目線をしっかりと合わせながらある事を提案した。
「繭ちゃん、君さえ良ければなんだが―――」
宗治郎の決意した表情が明るい日差しへと変わっていき、繭はあまり見覚えのない天井を眺めていた。
「……んぅ…………夢か」
まだ覚醒しきっていない頭で朧げになり始めた夢を思い返していく繭。
(夢だったけど内容は夢ではないからなぁ。こういうのを正夢って言うんだっけ?……ま、どっちでもいっか)
やがて投げやりに思考を放棄する繭。
実際に、あの時が繭の転換期であった事は間違いない。
凛から連絡を受けた宗治郎が予定を早めて繭の自宅へ乗り込んだところ、拓也の友達と思しきガラの悪い男が一緒におり、連行して話を聞いてみれば繭に手を出すつもりであった事が発覚したのだ。
ゆえに宗治郎の準備が間に合っていなければ、繭は実の父親に碌でもない男に売られていたのだ。
さすがにその事実は宗治郎の判断で教えられてはいないが、それ以前の内容だけで〝あんな奴は知らない”と言い張るほどに繭の中ではどうでもいい存在になっていた。
だが、久しぶりに思い出したからか、小さい頃に殴られていた時の元両親の顔が頭から離れないでいた。
(なんで今更……もう私には関係ないのに)
そんな朝から憂鬱な気持ちになっている繭の耳に、僅かな剣戟の音が響いてきた。
「ん?」
今の気持ちを振り払いたいという無意識から、音の出所を確認する為に窓を開けてみた繭。
すると、そこからちょうど良く見える中庭で、迅と弟子であるイリスとエリスが朝稽古をしていた。
結局、二度寝をする気にもなれなかった繭は、急いで着替えて中庭へとやってきたのだった。
「おはよう、ジンくん」
「繭か、おはようさん」
軽い挨拶を返した迅であったが、その右手には紅い剣身のサラレスを握っており、イリスとエリスのコンビネーションを踊るように捌きながら涼しい顔をしていた。
それから数回ほど剣を打ち合ったあと、イリスとエリスを剣ごと弾き飛ばして休憩を告げた。
「珍しいね、ジンくんがこんな早起きするなんて」
「まぁな。でもたまに2人の朝練に付き合ってやってるんだよ。毎日は無理だから本当にたまにだけどな」
そう言いながらイリスとエリスに視線を向けると、特訓だからと身体強化をしていなかった2人は息も絶え絶えで横たわっていた。
その状態を見て苦笑いした繭は、次に迅の右手に興味が移っていた。
「そういえばジンくんはサラちゃんとセラちゃんの2人が魂剣だけど、もしかして二重人格だったりするの?」
「は?何でそんな結論になるんだ?」
「実は教会の人に教えてもらったの。『魂剣は使い手の精神の在り方を元に形を変える』って。だから二重人格なのかな?って」
「へぇ、そんな事言ってたのか。でも別に二重人格ではないし、俺が思うに精神のみで決まってる訳じゃないはずだ」
繭の疑問にキッパリと否定で返した迅。
しかし、繭はまだ引っかかっているらしく、どことなく不安そうな表情をしていた。
「そう……なのかな?私はそう言われて結構納得しちゃったかな。いつの間にか心の奥底に閉まっていたモノを、今の環境のお陰で忘れられていたモノ、それをしっかりと見せられてる気がするの」
あやふやな言葉ながらも自身では何を指しているのかを理解している繭の脳裏に、いつの頃か芽生えていた黒い感情を薄っすらと思い出していた。
その様子を見て悩んでいる事を察した迅は、真剣な表情で繭を見ながら問いかけた。
「……その力は繭にとって嫌なモノなのか?」
「……嫌とかそういうものではない、かな?でも、これが自分の秘めている精神なんだとしたら、こんな酷いものを使う事に抵抗がある感じ、かな?」
自分でもハッキリとはしていないらしい答えを返す繭。
その間も迅へ顔を向けることはなく、さらに下を向いてしまっていた。
そんな繭を見た迅は、これ以上は否定気味に答えを返しても無意味だと感じ、前を向きながら自分の認識を伝えることにした。
「なぁ、繭。この世のあらゆる薬は何から出来てるか分かるか?」
「え?えっと、薬草とかだよね?」
迅からの急な問いに、繭はアニメ知識を思い返しながら答えた。
「そうだ。だが、全ての薬草をそのまま使えばいいって訳じゃない。中には毒草から作られる薬だってある。薬草も毒草も結局は作り手が望む物へ変えているというだけで、魂剣だってそれと同じ事だ。だから元がどうとかじゃなくて、今の繭がそれをどういう力にしてどう使いたいかが重要なはずだ。なぁ、繭。お前はその力をどんな力にしたい?」
「どんな……力に……」
元の話ではなく使い道を聞かれた繭は、すぐに答えを出せずにいた。
元々、すぐの回答を求めている訳ではなかった迅は、悩む繭の目の前にサラレスから小さな火球を複数個発生させると、それをぶつけ合って相殺させる暇潰しを始めた。
その弾け合う火球はまるで花火のようで、繭は次第に悩み事よりも目の前の綺麗な花火に見惚れてしまっていた。
「まぁ、大いに悩むといいさ。俺がいる限り最悪なんてそうそうあり得ないし、繭が何か仕出かそうもんなら尻拭いくらいしてやるよ」
「……フフッ、ありがとう。ジンくんがそう言ってくれるなら安心できるよ」
花火を続けたまま気楽な言葉を掛けられた繭は、気になっていた事を忘れて小さな花火に夢中になっていった。
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