猫獣人ユリの依頼
重い雰囲気に包まれているギルドへ入った迅たちは、壁際に倒れている猫耳少女に気付いた。
歳は10にも満たないであろう小柄な猫耳少女は、血の気を失った顔と華奢な両手足に浮かんでいる不気味な黒い紋様のせいかグッタリしており、遠目から見る限りは生きているのかも怪しい状態だった。
そして、その猫耳少女を見た瞬間に〝知り合いだ″と認識したイリスとエリスは、その猫耳少女の元へ一目散に駆け寄った。
しかし、迅が即座に2人の制服の襟首を掴んで引き止めた。
「待て2人とも」
「「でも師匠!」」
「落ち着け、誰も助けないとは言ってない。だがあの体を見て分かる通り、毒かなんかにやられてるはずだ。それがもし触れただけで感染するようなやつだったら厄介だ。俺がそれを確かめるから、今はまだ触れたりするな」
涙目になりながら制止を振り切ろうとする2人を宥めた迅は、ユリの近くまで歩み寄った。
そして、しゃがみながら目を瞑って【変換】を使い、縦長の緑色に変化した瞳でユリの容態を確かめはじめた。
(……毒じゃなくて呪いだな、これは。効果は体の内側から腐らせていくものだが、腐っていくペースがかなり速い。ってことは割と短時間でここまで酷くなった訳だ。こんな強力な呪いを一体どこで……)
予想以上に厄介なモノであった事に顔を顰めた迅だったが、考えるのはそこそこにしてユリを助けるためにひとまず動くことにした。
「ひとまずは触っても大丈夫だから、こいつをどっか落ち着ける所まで運ぶぞ」
「「はいなの!」」
迅が2人に指示をしてユリを運ぼうとした時、後ろから30歳くらいの男に声をかけられた。
「おい、ちょっと待て。その子を助けるのはやめといた方がいいぞ」
「あん?何を寝惚けた事言ってんだ?」
迅は制止してきた男に怒りを覚え、軽く殺気を込めて睨みつけた。
しかし、男は僅かに怯みはしたものの、すぐに迅に事情の説明をはじめた。
「お前の怒りは分かるが、ひとまず俺たちの話を聞け。その子の依頼を受けるとお前が危なくなるんだよ。まずその子は領主宛にとある依頼を持ってきたんだ。その内容は、『自分も含めたソルマール村の人たちをドラゴンの脅威から救う』という依頼だ。普通だったら割安だとしても通常の依頼として受注できるはずだったが、それをあのクソッタレ領主が―――」
男が悔しそうに顔を歪ませながら話した内容はこうだ。
まず領主はユリの持ってきた金品を引き取って依頼を受けたのだが、それの履行は冒険者ギルドに一任したのだ。
いわゆる領主からのお達しという名の命令である。
この街では領主の善意で税金の一部を防衛費としてギルドに資金提供しているため、以前から細々とした命令を受けていたのでそこは問題無かった。
しかし、今回は相手がドラゴンという事もあって〝面倒なうえにリスクがでかい″と判断した領主は、冒険者ギルドに資金提供の中止をチラつかせて、この依頼に色々と条件を付けたのだ。
一つは街からの支援は一切受けられない事。
二つ目はドラゴンを討伐する際にもたらした被害については自分たちで負担する事。
そして1番問題なのが、被害がこの街だけでなく他にも出た時のために、多額の保証金を納めてからにする事である。
この保証金については正確な額は提示されなかったため、おそらくは領主の独断でいくらでも吊り上げられるはずだ。
そもそもドラゴンなんて数十年に一度現れるくらいなので被害額など予想出来るはずもなく、領主が納得するほどの大金を用意できる冒険者なんていないのだ。
あとは肝心の報酬だが、これはユリが持ってきた金品で支払われるはずだが、どれくらい持ってきたのかは受け取った領主しか知らないため、本来の報酬よりも少ないのは目に見えていた。
これでは流石に割に合わなさ過ぎるため、誰も手を出すことが出来ていなかったのだ。
男から詳しい話を聞いた迅だったが、その難しい条件を聞いても引くつもりは一切なかった。
「なるほどな、ようはそれをクリア出来るなら受けても構わねぇってことだな」
「いや、確かにそうだけどよ。俺らが出せる程度の金で奴が納得するとは思えねぇぞ?そもそも奴はドラゴンを相手にする面倒を嫌ったからこそ、俺らが手を出せないようにしてんだ」
男はまるで気にした素ぶりを見せない迅に再度説明するが、すでにやる事を決めていた迅は男の話を聞き流してギルド職員に声をかけた。
「水を貰えるか?」
「聞けよ!そもそもお前1人で倒せるもんじゃねぇんだぞ!」
「ほら、とにかく水くらいは飲め」
男はついに声を荒げはじめたが、迅はそれすらも聞き流してユリを抱き起こして水を飲ませようとした。
すると、ユリは薄っすらと目を開けて迅を見た後、差し出される水の入ったコップから顔を逸らした。
「……ぁ……わた、しを……ケホ……たすける、なら…………」
体が蝕まれているためにまともに喋ることすら出来ないユリだったが、それでも故郷を救ってもらうべく、ちゃんと約束してもらうまで水すら飲まないつもりだった。
実は男たちが手を出せない理由の一つとして、ユリの必死の抵抗もあったのだ。
ユリは顔を動かすことすら辛いはずだが、それでも我慢して迅に確固たる意志を孕んだ目を向けた。
その目に込められた意志はすなわち、〝私を助けるなら村も一緒に助けて″という事だ。
村を助けてもらう事に必死だったユリは言外の意味として、〝水を飲んだ瞬間に依頼を受理したもの″とするため、自らの命懸けの行動で依頼を受けてもらおうとしていたのだ。
普通の者ならばこの健気な行動を見て動かされるはずだが、これに応えた瞬間に、例え依頼は達成出来たとしても下手したら借金を抱えて命を落とすかもしれない。
そうなると家族に迷惑をかける事になるため、男たちはユリの手当てをせずに見守っている事しか出来なかったのだ。
迅は男からの話とユリの行動でこの現状になっている理由を悟ったが、そんな細かい事よりも、まだ幼いはずのユリが見せた覚悟に、つい笑みを浮かべていた。
「分かった。お前の依頼は俺が受ける。何があっても達成してやるから安心しろ」
迅はそう言ってから再びコップを差し出すと、ユリは少しずつ飲んでいった。
「……ありが……と…………」
時間をかけて飲み干したユリは、力なく笑みを浮かべた後に意識を落として目を閉じてしまった。
「「ユリちゃん!」」
「落ち着け、意識を失っただけだ。とは言ってもすぐに手当てしないとまずいからな、手続きしたらすぐに動くぞ」
「「分かったの!」」
迅の予想ではあと半日もしないで体が腐りきって死んでしまうため、迅はすぐに依頼の受注をするためにユリを2人に預けて、受付の元へと向かった。
「そういうわけだから、手続きしといてくれ」
「え?あの、その……」
領主絡みというのもあって戸惑っている受付嬢。
「ダメか?じゃあ、そこにいる奴と直談判すりゃいいのか?」
事が大きいから戸惑うのも分かる迅は、おそらくこの場で1番偉いであろう人物と話をつけるために、男の話の途中で察知していた1人の冒険者の影に目を向けた。
すると、その影から長めの髪を後ろで一つに纏めている身長2メートルほどの男が、まるで地面から生えてくるかのように現れた。
「いや〜参った参った。口だけ達者なガキんちょかと思うとったら、わいの『影蓑』にあっさり気付くとはなぁ。流石は西の秘蔵っ子っちゅうわけか。ご明察通り、わいが北の冒険者ギルドを仕切ってるクメゾルっちゅうもんや」
影の中から現れたクメゾルという男は、両手を上に挙げて降参のポーズを取っていた。
迅から見たクメゾルの第一印象は、胡散臭そうな男であった。
というのも、クメゾルは長身ながらもそこそこ鍛えられた体をしているが、そこよりも三日月のごとく笑う口元と糸目によって、何を考えているのか分からない表情をしていたのだった。
試されていたのをまるで気にしていない迅は、クメゾルの言葉からドーネルがある程度の情報を与えていたのを察して、自己紹介は簡潔にすることにした。
「俺は迅、向こうではランク7の冒険者だ。で、話は聞いてたろ?依頼は俺が受ける。依頼受注条件の保証金は俺が狩ってきたあの亀で賄えるはずだ。これで何も問題無いだろ?」
「せやなぁ。あれなら確かに問題無いやろうけど、も一つの方をクリアせんことには話が進まんで」
「……ってことは条件が追加されたのか?」
クメゾルの含みのある言い方に、男から聞いていた内容以外に〝まだ先がある″と悟った迅。
そしてそれは当たりのようで、クメゾルは笑みを浮かべて頷いていた。
「察しがえぇなぁ。でも、こっちは条件というよりは脅迫って感じや。どうやら奴は面倒な事になるよりかは村一つ捨てる方がいいと判断したみたいでな、〝この依頼を誰かに受けさせたら適当な奴を何人か追放させる″って言われたわ。たぶん、ついでに何かしらの罪をでっち上げるやろうから、実質そいつの人生は終わりやな」
「そんなふざけた条件をよく認めたな?」
多少投げやりな感じで話すクメゾルに、その条件を呑み込んだ理由を分かっていてもつい睨みつけてしまう迅。
それに対してクメゾルはというと、左手を腰に当てて右手をヒラヒラと振りながら弁解した。
「んなもんしゃあないやろ。わいの判断一つで他人の人生がポンやで?力の無いわいには素直に頷くことしかできんわ」
「てことは俺も止めるのか?」
領主の意見を呑んだというクメゾルに対して、今度は迅が試すように問いかけた。
「まさか、君こそ敵に回したらあかんっちゅうのに、そんなバカな真似するかいな。それに、君はどうせ何を言ってもやるつもりやろ?」
「当たり前だ」
「ならおのずとやる事は限られとる。君は周りを気にせずにドラゴンを倒し、わいらは領主からの報復に備える。で、わいらが耐えている間に被害を出さずに倒してくれれば事後報告でも問題あらへん。どや?あくまで君が、本当にドラゴンを倒せるほどの覚醒者かっちゅうところに懸かってんねんけど」
クメゾルは迅の実力を懸念して尋ねてきていたが、笑みを浮かべているその表情からは迅に対して期待している事が伺えた。
迅もそれは分かっていたので、〝誰にモノを言ってるんだ″と言外の意味を込めて、不敵な笑みを見せた。
「問題無い、確実に倒してやる。あとは領主についてだが、そっちも出来るだけこっちで対応してみるさ」
「まさか領主の所へ行くんか?どうせならバラさずにドラゴン退治に行って欲しいねんけど」
クメゾルのプランでは完全に事後報告で呑ませようとしていたため、迅の言葉に難色を示した。
「べつに無策では行かねぇよ。向こうが権力を使ってくるなら、こっちも同じ手で対抗するってだけだ。ひとまず俺は準備してくるから、ドラゴンに関する情報をまとめといてくれ」
「任せとき。ついでに魔法袋一杯の物資も一緒に用意しといたるわ」
「なら、食べ物を優先に頼む。行くぞ、イリス、エリス」
「「はいなの!」」
話を終えた迅はユリに外套を被せてからゆっくりと背負い、イリスとエリスを連れてギルドから出て行った。
「……クメゾルさん、本当に領主と事を構えるつもりですかい?」
「ここまで来たらそれしかあらへんやろ。いや〜、こないな時にドーネルが見つけた覚醒者が来てくれて助かったわぁ」
男の問いに両手を頭の後ろで組みながら答えるクメゾル。
能天気そうにしているが、今回の件で心底悩んでいたのは本当であった。
クメゾル自身が文献で調べただけでも過去に討伐出来た者はおらず、数十年前に現れた時も大量の討伐隊全員を食べたおかげで長い眠りについただけであった。
倒せる者が居ないというだけでも頭が痛いというのに、今回はドラゴンの脅威を知ろうともしない領主が非協力的というのもあり、どれほどの被害を受けるのか不安だったのだ。
しかし、そこへ運良く現れたのが高火力持ちの覚醒者である迅だった。
クメゾルはドラゴンの話が出た直後にドーネルに頼んで呼ぼうとしていたので、本当にタイミングが良かった。
だが、迅の力量を肌で感じたクメゾルはともかく、そうでない男は未だに強い不安に駆られていた。
「正直、俺は心配なんですがね。あんな子供が本当に覚醒者なんですかい?」
「それは間違いあらへんで。あのドーネルが認めたのもそうやけど、わいも見ただけで敵わんと直感したからな」
「クメゾルさんが認めたんなら、本当に大丈夫なんでしょうね」
「いや、わいは認めたんやない。認めさせられたんや」
男の言葉でふと迅を思い出したクメゾルは、つい真顔になって低い声音で言葉を漏らした。
「え?それってどういう―――」
「さて、わいらも準備をせんとな。ハンナちゃん、ちょっとガンビスを連れて買い出しに行ってきてや。カルマは街に戻ってきた冒険者に事情を説明して、このギルドで待機させといてや」
クメゾルは男からの問いかけを遮って、何かを誤魔化すように次々とギルド職員たちに指示を出していった。
そして、この場の全員の士気を上げるために声を張り上げた。
「ええか皆!ドラゴンの件は覚醒者に任せるけど、領主に関してはわいらが踏ん張らなあかんで!だからこっちでも出来るだけの体制を整えるんや!あのハゲタレがいつカチ込んで来てもええようにな!で、もしそん時が来たら―――」
「っ⁉︎」
クメゾルの演説を聞いて徐々にノッてきた一同だったが、一旦言葉を区切ったクメゾルを見て黙り込むことになってしまった。
なぜなら、その糸目をしっかりと見開いたクメゾルから、怒りを源にした尋常ではない殺気が放たれたからであった。
「わいらをコケにした事、骨の髄まで後悔させたろうやないか」
表情だけは笑っているクメゾルは、確かに荒くれ者たちを手懐けられるほどの風格を纏っていた。
一方でギルドを出た迅たちは、ギルドから1番近い宿屋の前にやってきていた。
「イリス、エリス、2人は先に北宮殿に戻って、姫さんに事情を説明して捕まえといてくれ。俺はこいつを治してから行くからよ」
「「分かったの!」」
迅の指示を受けた2人は、『身体強化』を掛けて全速力で走り去っていった。
そして迅も、ユリを早めに治すために宿屋の中に入った。
「らっしゃい」
宿屋に入ると、やはり昼過ぎだからかカウンターに座っているおっちゃんしかおらず、閑古鳥が鳴いているような状態であった。
迅は真っ直ぐにおっちゃんの元へ向かうと、制服のポケットに入れていた小袋から金貨を1枚取り出し、それをテーブルに置いてから声をかけた。
「何も聞かずに部屋を貸してくれ。少しの間でいい」
明らかに多過ぎる金額を出されたおっちゃんは、迅をまじまじと観察した。
そして、迅が背負っているものに目を向けて外套の隙間から覗く猫耳と尻尾を見つけると、金貨を軽く弾き返した。
「……いらねぇよ。ギルドで倒れてた嬢ちゃんだろ?そいつを助ける為だってんならタダで構わねぇさ」
「こいつの知り合いなのか?」
まさかの返答に迅が聞き返すと、おっちゃんは首を横に振りつつ答えた。
「いや、全くの赤の他人さ。だがな、そんな幼い子が弱ってるのを見て助けないでいられるかってんだ。ギルドではヤバいからってんで止められたが、あんたが連れてきて助けようとしてるんなら、それに協力するのが大人ってもんよ」
実はこのおっちゃんは、毎朝ギルドに魔物の肉などを買い付けに行っており、その時にユリを見ていたのだ。
その時にある程度の事情も聞いた事で手を出すのを諦めていたのだが、こうして迅が連れてきたのならば〝協力出来る″と判断したからこそ、お代はいらないと突き返したのだ。
「へぇ、なら遠慮なく助けてもらうとするか」
おっちゃんの心意気を気に入った迅は、ポケットから更に数枚の金貨を取り出してテーブルに置いた。
その行動の意味が分からなかったおっちゃんは、訝しむような目を迅に向けた。
「……俺はいらねぇって言ったんだが?」
「なぁに、遠慮するなよ。助けてもらう礼に、その金で宿の経営を助けてやるだけだ」
迅からまさかの意趣返しをされたおっちゃんは目を少し見開いたかと思うと、機嫌良さそうに高笑いしだした。
「……ガハハハハ!ったく、可愛くねぇガキだ。仕方ねぇ、そういう事なら助けられてやる。……ほらよ、二階にある1番奥の部屋の鍵だ。もし必要なもんがあるなら言え、ある程度のもんなら揃えてやるからよ」
「はいよ」
おっちゃんから投げ渡された鍵を受け取った迅は、カウンター横にある階段を昇って部屋へと向かった。
部屋に入った迅はユリをそっとベットに寝かせると、部屋の明かりを点けてからカーテンを閉めた。
そして、改めてユリの状態を確かめると、ギルドにいた時よりも黒い紋様が広がっており、呪いの影響がどんどん強くなっているのが目に見えて分かった。
「ここまで複雑で強力な呪いは初めて見るが、気に入らねぇ理不尽は何であろうと叩き潰すのが俺だ。【変換】―――」
迅が【変換】を使ったことで、まずは瞳が縦長の緑色へと変化した。
しかし、今回はギルドで使った時の変化では収まらず、古代遺跡で『鬼神化』になった時のように可視化するほどの緑色のエネルギーがバチバチと漏れ始めて、迅の体に変化をもたらしていった。
強力な呪いに対抗するために最強の一種へと変化した迅は、部屋一杯に優しい緑色の光を輝かせながら、ユリの体全体へ力を流していった。
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