適格者
――二十九分四十八秒。
パソコンの画面に表示されたカウントダウンは、一秒ずつ静かに減っていく。
「悠斗! 早く!」
一階から母さんの声が聞こえた。
市の防災放送では、原因不明の巨大建造物が出現したため、高台の避難所へ向かうよう繰り返し呼びかけている。
俺はモニターと窓の外を交互に見た。
黒い塔は、今も夜空にそびえ立っている。
そして画面には、あのメッセージ。
《現地端末を回収してください》
地図には、自宅から徒歩十五分ほどの小さな公園が示されていた。
「……何なんだよ。」
ゲームには存在しなかったイベント。
でも、これだけは確信できる。
ARK ZEROが俺を呼んでいる。
いや。
違う。
ゲームの向こう側にいた"何か"が、俺を呼んでいる。
「母さん。」
玄関で靴を履きながら言った。
「俺、ちょっと寄るところがある。」
「何言ってるの! 今そんな場合じゃ――」
「十分くらいで追いつく!」
嘘だった。
十分で戻れる保証なんてどこにもない。
それでも行かなければ、一生後悔する気がした。
母さんは不安そうな表情を浮かべたが、最後には小さく頷いた。
「……絶対に無茶しないで。」
「うん。」
そう言い残し、俺は夜の街へ飛び出した。
普段は静かな住宅街。
しかし今は違う。
道路には避難する人々。
救急車のサイレン。
遠くから聞こえる爆発音。
そして。
空には幾筋もの青白い光が走っていた。
まるで雷が逆向きに落ちているようだった。
「現実じゃない……。」
思わず呟く。
だが頬を撫でる夜風も、アスファルトを踏む感触も、本物だ。
ゲームではない。
全部、現実だ。
十分ほど走った頃。
住宅街の角を曲がった瞬間だった。
「きゃあああ!」
悲鳴。
反射的に足を止める。
コンビニの前。
避難しようとしていた数人が、その場で立ち尽くしていた。
その視線の先には――。
銀色の機械。
全高二メートルほど。
左腕に巨大な盾。
右腕には折りたたまれたブレード。
胸部中央で赤い光が脈打っている。
「……ガード型。」
ARK ZEROで最初に出会う防衛機兵。
ゲームなら何度も倒した相手。
しかし、現実で見るそれは、画面越しとは比べ物にならない威圧感を放っていた。
ガコン。
機兵の頭部がゆっくりとこちらを向く。
赤い単眼が、人々を捉える。
《侵入者確認》
《排除行動開始》
機械音声。
次の瞬間。
ガード型が地面を蹴った。
「速っ……!」
ゲームより速い。
そう感じた。
悲鳴を上げる女性へ一直線に突っ込む。
「危ない!」
俺は反射的に女性を突き飛ばした。
直後。
ブレードがアスファルトを深々と切り裂く。
コンクリートが紙のように割れた。
「こんなの食らったら……。」
一撃で終わる。
ゲームみたいにHPが減るだけじゃない。
本当に死ぬ。
心臓が激しく脈打つ。
足が震える。
怖い。
それでも。
逃げるわけにはいかなかった。
「……ステータス。」
無意識に口から漏れた。
すると。
目の前に、青白い半透明のウィンドウが展開される。
《プレイヤー情報を同期します》
《同期率100%》
《ようこそ、アークシーカー》
身体の奥で、何かが弾けた。
全身に熱が駆け巡る。
視界が鮮明になり、音がゆっくり聞こえ始める。
軽く握った拳からは、信じられないほどの力が伝わってきた。
「これが……俺のステータス。」
ゲームのデータが。
現実の肉体へ同期している。
その瞬間、視界の端に新たな文字が浮かぶ。
《スターター装備を展開しますか?》
俺は迷わなかった。
「展開。」
光が弾ける。
粒子が腕へ集まり、一振りの黒い片手剣を形作る。
ゲームで八年間、最も使い込んだ愛剣。
その重みが、現実の手に伝わる。
「……よろしくな。」
小さく呟く。
ガード型が再び盾を構えた。
俺も剣を構える。
ゲームで何千回も繰り返した姿勢。
だけど今回は違う。
リセットはない。
負ければ終わりだ。
それでも。
俺には、この敵の倒し方を知っている。
ARK ZEROの世界ランキング五百位。
考察勢。
その知識が、今初めて現実で試される。
俺は静かに地面を蹴った。




