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第9話 決心

「え、海王星が?」

「まだ確定したわけじゃないけどね。でも、十中八九そうだろうって」


 海聖は帰宅早々、リビングのソファに身を投げて寝転がった。珍しくリビングにいた理世はご機嫌斜めの海聖からその訳を聞き、青天の霹靂で加えていたたばこを落としそうになった。


「で、あんたは何でそんなにイライラしてるわけ? 何も新しい星術師の爆誕が原因ってわけじゃないでしょ」

「…………」


 顔をしかめたまま沈黙した後、海聖は起き上がってニコラが用意したブラックコーヒーに口をつける。そのままヤケ酒を一気に煽るように飲み干し、カップをソーサーに置いて苛立ち混じりの吐息をついた。


「……MNSRIの本部に行ったらジジイと出くわしたあげく、いきなりその星術師の護衛につけって偉そうに指図してきたの」

「あー、なるほど。どおりで」


 腑に落ちたと言わんばかりに理世は紫煙を優雅にくゆらせる。灰皿でたばこの火を消し、ニコラ特製のドライカレーを頬張った。


「ついに騎士団に戻る時が来たか」

「はあ? 戻るわけないでしょ。あの老いぼれが牛耳ってるとこなんかに」

「でも、あの人のことだからあんたにとって都合のいい理由をつけて戻れって言ってきたんじゃないの? だから迷って余計にイライラしてる。違う?」


 図星だったので海聖は無言で肯定する。そのままソファにあったクッションを抱いて再び横たわった。


「〈海〉を司る星術師ともなれば、海魔への干渉だって不可能じゃなさそうだしね。七年間ずっと黒竜を追いかけてるあんたからすれば、その力は行き詰ってる現状を打破できる希望の星ってところか」

「……理世さんって、やっぱエスパーだよね」


 眼前の元賢者は一の言葉から十の推論を立て、瞬きの後に最適解を導き出す。次期支部長候補として将来を約束されていた並外れた頭脳と洞察力は伊達ではない。


「理世さんの推測通り、黒竜を見つけ出せるかもしれないってのもそうだけど……」

「だけど?」


 認めたくはないが、やはり聖剛が言ったあの言葉が胸に深く突き刺さっている。




『たった一人でできることなど限られている。お前の小さな両手で救える命はほんの一握りだということを忘れるな』




 一言一句正確に復唱すると、理世もわずかに視線を伏せた。


「痛いところを突かれたね」

「正しい。あいつの言ってることは全部正論だよ」


 救えるのは、この目に映る人間だけ。そのなかでも自分のちっぽけな両手が届く範囲にいる人間に限られる。仮に数百人の人間が視界を覆い尽くしたとしても、全員の命を守ることはできない。


「それに、あたしの場合は一週間海に出れなくなる時がある。その間、救えたはずの命が海魔に奪われてしまうかもしれない。あたしの馬鹿げた身体能力の価値をわかったうえで戻れって言ってきたんだよ。あのじいさんは」

「それが純粋にあんたの強さを認めて評価してるって意味なら良かったんだけどね」


 理世も聖剛がどんな人物であるかを十二分に理解している。だからこそ、良心というものがない彼が孫娘を利用価値のある駒として騎士団に引き戻そうとしていることくらい容易に察せられた。


 ――それくらいの決断力と残酷さがなけりゃ、騎士団の管区長トップは務まらないか。


 昼食を摂り終え、理世は新しいたばこを吹かす。

 それで、あんたはどうするのと言外の一瞥を受け、海聖はしばらく逡巡した後、溜息混じりに答えた。


「…………騎士団に戻る」


 理世はふっと笑みを零しながら言った。


「聖剛さんの術中にまんまとはまることになるけど、それでもいいの?」

「癪だけど、プライドなんかより人の命のほうがよっぽど大事だからね。それに、敵討ちができるまであたしは絶対に死ねないから。あたしが戻るからには、あの人には絶対に星術を極めてもらわないと」


 ふふふふふと不敵に笑む海聖に苦笑しつつ、理世は見知らぬ後輩賢者の無事を祈った。


「ドンマイ。期待の新星君」




   *****




 騎士への復帰を決意してから三日後。

 海聖は自室で真新しい騎士服を身にまとい、姿見で不備がないかをチェックした。


「まさか、またこの服に袖を通す日が来ようとは」


 かつては憧れの象徴であり、七年前に両親を失ってからは忌避の象徴でしかなくなった騎士服だが、いざ再び着用してみると不思議と懐かしさがこみ上げてくる。当時の海域長用騎士服ではなく、何の思い入れもない一般騎士服だというのに。


「戻ってきたよ。父さん、母さん」


 写真立てを手に取り、海聖は目を細めた。


「また騎士として頑張ることにしたんだ。応援してね」


 胸にそっと思い出を抱き、元の位置に戻した。そのまま愛剣と愛銃を携え、いつもと変わらない明朗な挨拶を告げる。


「行ってきます」


 玄関まで見送りにやってきた玲とニコラにも手を振り、海聖はドアを開けた。

 蒼穹と青海、二つの美しい青が視界いっぱいを覆いつくす。これ以上ない復帰日和に見守られつつ、愛機に乗ってかつての拠点へと向かった。


 CDM日本管区、関東基地。関東地区の東側海域に位置する日本最大の基地は、三角形の鋼鉄要塞として絶海上に厳然と構えている。海上ピラミッドとも呼ばれているそれを囲う水上ゲートの前でバイクを停め、海聖は認証カメラに顔を近づけた。


 認証完了の文字が表示されると同時にゲートが開き、今度は基地内部に通じる認証ゲートに向かった。

 内部への通行には騎士証が必要になる。昨日、航志郎と待ち合わせし、騎士服と一緒に騎士証を渡してくれたので、胸ポケットから取り出して認証パネルにかざした。


 ピッと電子音が鳴り、認証完了を示す緑色のランプが点灯すると、灰黒の鋼鉄門が厳かに開いた。地下となっている海面はバイクの駐車場になっており、各々ここに駐車して一階のロビーへと上がる。


「えっと、あたしのとこは……」


 流石に前と同じ場所じゃないよね、と割り当てられた駐車箇所を探していると、


「そこだ」


 聞き慣れた声がして、一階に繋がっている階段がある通路に目をやると航志郎が立っていた。

 彼が指さしているところにバイクを停車させ、海聖も通路に降り立つ。


「何であんたがここに? 暇なの?」

「そんなわけねえだろ。副管区長からお前を迎えにいけって頼まれたんだ」

「ああ、あのねちっこいジジイの腰巾着か」


 管区長である聖剛を崇敬し、絶対忠誠を誓っている生真面目な男。あの男とも昔からそりが合わず、目を合わすたびに火花を散らしている。


「うん。やっぱりお前は騎士服を着ているほうがしっくりくる」


 航志郎が口角を上げて言うので、海聖は肩を竦めては嘆息した。


「あたしが戻ったから騎士団も安泰。これで満足でしょ」

「戦力不足を補いたいがためにお前に戻れって口酸っぱく言ってたんじゃないぞ。俺はただ、お前が心配で――」

「あたしじゃなくて、あんたの部下たちをもっと心配してあげなよ。少なくとも、あんたの部下たちよりあたしは強いから心配ご無用」

「そういう意味じゃ――」

「あー、はいはい。わかった。海域長様のお気遣い、ありがたく受け取っておきますよ」


 面倒くさそうにあしらって、海聖はすたすたと先を行き、階段に足を乗せる。


「……お前はもっと自分の心配をしろよ」


 昔馴染みへの懸念をそのままに、航志郎は海聖の後を追った。

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