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第10話 苛む過去

「阿辻海域長だ……」

「ちげえよ。元海域長だろ。今は卯波海域長だ」

「え、あのガキみてえに小さい人が元関東海域長⁉」


 地雷ワードが耳に入ってくるたびに頭をかち割ってやりたい衝動に駆られるが、何とか平静を装って海聖は有象無象の囁きのなかを突っ切っていく。

 七年前の名声が今でも騎士団内で根強く残っており、海聖を知らない者はほとんどいない。いたとしても、最近騎士となった新人か騎士団内部の事情に興味がない者だけだ。


「やっぱり、復帰されたというのは本当だったのね」

「でも、どうして今になって戻られたんだ?」

「さあ……。卯波海域長たちの説得がようやく功を奏したんじゃないか」


 雄仁のことは箝口令かんこうれいが敷かれているので、上役以外の騎士は海聖復帰の理由を知らない。首を傾げるもの無理はなかった。

 騎士たちの会話に耳を傾けつつ、海聖は先導する航志郎に続いて一階ロビーのエレベーターに乗りこんだ。


「海永さんは〈海〉の星術師確定ってことでいいんだね」

「ああ。浄土さんの指導で簡単な星術を使えるようになったらしい」

「たった三日で? 早いね」

「とはいえ、海水を具現化して形状を変化させることしかまだできないみたいだ」

「まあでも、そこまでいってるなら星具せいぐの創成もすぐにできるようになるんじゃない」


 星具は星術発動の一助となる星術師特有の武器や道具のことだ。星具を創成せずとも星術を発動させることは可能だが、それは浄土や雁金といったベテラン星術師に限る。星具の創成こそが新人星術師の第一試練となっていた。


「でも、何で今になって〈海〉の星術師が出てきたんだろうね」

「さあな。理由はともかく、海永さんの存在そのものがこれから世界の変革になることは間違いないってことだ」

「唯一、海魔と意思疎通ができるくらいだからね。あの人には何が何でも黒竜を探し出してもらわないと」


 海聖が追い続けている黒竜は、最上位に君臨する幻の海魔だ。

 その気になればこの基地を締め壊すことができるほどの圧倒的な巨躯を持ち、両親は七年前にかの海魔との死闘を経て殉職した。


 青海の女王ですら敵わなかった宿敵はその後、姿を現していない。当時、黒竜が出現した関西海域の南端にあったクルクスと呼ばれる海魔研究組織の拠点を壊滅させてからは深海へと潜り、鳴りを潜めている。だが、〈海〉の星術師の誕生により、幻の海魔もついに鎌首をもたげる日がやってくるかもしれない。


 意気込む海聖に航志郎は憂慮を滲ませて言う。


「仮に黒竜を見つけられたとして、お前はどうするつもりだ」

「愚問だね。そんなの黒竜を殺すに決まってるでしょ。何のためにあたしがずっと黒竜を探し続けてると思ってんの」

「やめとけ」


 制止の呼びかけに、海聖はあからさまに眉間に皺を寄せた。


「は? 何であんたに止められないといけないの」

「黒竜は凪さんでさえ倒せなかった桁違いの海魔だ。単騎でどうこうできる相手じゃない」

「じゃあ黒竜をどうやって倒すつもり? もし黒竜がいま襲ってきたら? 誰が倒すのさ」

「ここにいる騎士全員で力を合わせて倒す」

「それができたら父さんと母さん、他の騎士たちは死んでない」


 海聖の鋭利な眼光が、航志郎の胸を躊躇なく刺し貫いた。

 苦悶に顔を顰め、航志郎は返す言葉もなく視線を伏せる。


「もしあの時、あたしが駆けつけられていたら、父さんたちは命を落とさずに済んだかもしれない。あたしだけじゃない。もっと他の騎士が応援に向かえていたら、犠牲も少なかったかもしれない。それなのにあいつは……!」


 だんだんと語気が憤怒を帯び、言い終える頃には両の拳を強く握りしめていた。

 七年前、海聖が騎士団を去った理由。実の祖父たる聖剛を憎んでいる理由。


「あいつは――阿辻聖剛は、応援を寄越さずに父さんたちを見殺しにした」


 黒竜含め、数多の上位海魔による襲撃を受け、当時、関西海域長だった優聖は管区長である実父に応援要請を出した。だが、聖剛はその要請を受諾せず、全海域長に一切の応援を禁ずるという酷薄な命を下した。もちろん、新米海域長だった海聖も聖剛によってその足を止められてしまった。


「母さんでさえ敵わないのなら、他の騎士を向かわせたところで太刀打ちできない。応援に向かわせたとしても貴重な戦力を無駄遣いするだけ。それがジジイの言い分だった」


 唯一、黒竜を打破できる可能性があるとすれば、超常的な力を持つ星術師――当時日本に二人しかいなかった雁金と浄土のみだった。しかし、当時彼らはMNSRIアメリカ本部で開かれていた会議に参加しており、現地急行できなかった。それゆえ応援は出せないと、聖剛は非情な判断を下した。実の息子と義理の娘を海魔たちの生贄にしたのだ。


「あいつらの邪魔をもっと早く掻い潜って駆けつけていたら、父さんたちは……」

「お前が行ったところで結果は変わらなかったよ」


 強く断言した航志郎の首元に、いつのまにか鋭い切っ先が肉薄していた。


「聞こえなかった。もう一回言ってくれる?」

「聞こえてただろ」


 ブレードを肉薄させられてなお取り乱すことなく、航志郎は小さく嘆息して昔馴染を宥めた。


「下ろせ。仲間に武器を向けるのは騎士法に反する」

「正義の塊みたいな生真面目優等生君も地に落ちたもんだね。老獪な管区長の肩を持つようになるなんて」

「俺だってあの時の管区長の判断が正しかったとは思っちゃいない。けど、応援を出すことで犠牲者が増えるっていう管区長としての懸念はもっともだ」


 もし、まだ戦いが終わらずに海聖が到着し、応戦していたら。彼女はいま、ここに立っていなかったかもしれない。最強の女王の娘たる戦姫だとしても、黒竜を前にして命の保証はなかった。それは今も変わらない。


「管区長も断腸の思いだったはずだ。じゃなきゃ、実の息子を見捨てようなんて思わないだろ」


 そこでエレベーターの電子ベルが最上階到着を告げた。

 扉が開いても、両者は一歩を踏み出さない。


「……あいつに情なんかあるわけない」


 海聖はブレードを下ろし、先にエレベーターを降りる。


「利益を得るために人や物事を天秤にかけて、平気でどっちかを切り捨てられるようなやつだよ。……はあ、これから顔を合わせると思うと反吐が出る」


 彼女が抱えている葛藤や苦痛は誰かが肩代わりできるものではない。それが何よりももどかしく、航志郎は先を行く海聖の小さな背を追うことしかできなかった。


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