第12話 利己的な理由
海聖と雄仁はそれぞれの愛機に乗り、関東基地を後にした。
MNSRIでは毎日、海域調査が実施されている。雄仁が所属している第一研究所は関東海域と東北海域の調査を兼任していた。海水の性質や潮流の速度、生態系、それから生息している海魔やその出没頻度について事細やかに記録する必要があり、今日が担当日だった雄仁は新人賢者とは思えないほど手際よく調査を進めていた。
「賢者になって一週間とは到底思えないね」
「それは誉め言葉ですか」
「当たり前ですよ。手際が良すぎてベテランかと思っちゃうくらい」
「そんな。僕なんてまだまだひよっこです。……先輩方の腕に比べたらなんてことは」
なぜか彼は声音を落とし、悲哀を帯びた様相でそう呟いた。
海聖は違和感を覚え、センシティブな話題を変えようと方向転換する。
「海永さんは確か、海魔生態研究チームに所属してるんでしたっけ」
「はい。専門が海魔学なので。あ、僕に敬称と敬語は使わなくて大丈夫です。気安く雄仁と呼んでください。僕、阿辻さんより年下ですから」
「え、嘘。今いくつなんですか」
「二十歳です」
「ハタチ⁉」
海聖はあんぐりと口を開け、呆気にとられた。
温和だが大人びた面立ち。すらりとした長身。自分と同い年か少し上くらいだと思っていたが、まさか五つも下だとは。
雄仁の長躯と自身の短躯に視線を往復させて、海聖はそれはそれは深い溜息をついた。
「どうしましたか?」
「……いや、何でもない」
雄仁は小首を傾げつつ、電子機器類や採取したサンプルを鞄のなかに仕舞う。
「阿辻さんは――」
「海聖」
「え?」
「名字で呼ばれるの嫌いだから、下の名前で呼んでくれると助かる」
「わ、わかりました」
わずかに冷えた空気に雄仁は体を強張らせて、おずおずと問う。
「海聖さんはどうして騎士団に戻ってきてくれたんですか」
海聖は肩を竦めて答えた。
「本当は戻りたくなかったんだけどね。ああ、別に雄仁の護衛が嫌だからってわけじゃないよ。あのジジイが牛耳ってる騎士団が嫌で戻りたくなかっただけ」
「阿辻管区長と、何かあったんですか」
「……まあ、雄仁には教えといたほうがいいか」
海聖は包み隠さず祖父との因縁、それにまつわる過去を語った。
かつて両親は関西海域長と副海域長を務めていたこと。七年前、突如クルクスの拠点を海魔の群れが襲撃し、そのなかに最上位海魔の黒竜がいたこと。両親率いる関西騎士百名が駆けつけ、応戦したものの黒竜には及ばず、全員殉職したこと。そして聖剛は実の息子からの応援要請を拒断し、両親たちを見捨てたこと。
「だからあたしはあいつを一生許さない」
絶対零度の如く冷え切った憤怒が、雄仁に畏怖を刻ませる。
「でも、あいつの主張に言い返すことができなかった。死ぬほど悔しいことにね」
いくら強くても、自分一人で救える命には限界がある。
星術という人智を超えた力の助けがなければ、自分はこの先一生黒竜を見つけられず、本懐を遂げられないままその生涯を終えてしまうかもしれない。
孤独に戦い続けることの過酷さ、デメリットを容赦なく突きつけられた結果、いつしか自分はこの世で最も憎い人物に敬礼していた。
「あいつの術中にはまらざるを得なかった。我ながら笑えるよ」
自嘲する海聖に、雄仁は何と返せばいいかわからず押し黙った。
「そういうわけで、あたしはあんたの力を利用して敵討ちするためにこの服に袖を通したの。もっと人の命を救えるようにするっていう真っ当な理由もあるにはあるけど、それは二の次。実際のところは騎士道精神とは遠くかけ離れた利己的な目的のために騎士団に戻った。ただそれだけ」
「……そう、だったんですね」
「ごめん。不純な動機で」
護衛される側にとっては決していい気はしない経緯だ。
善意ではなく、自分にとってのメリットを優先したうえで護衛騎士を引き受けた。
――結局あたしは腐ってもあのジジイの孫ってことだ。
己の利益のために他者を利用する。雄仁を餌に宿敵を釣る。まさに餌人釣魔。
――あたしもじいさんも、いずれ報いを受けて死ぬ。
利己のために生き続けた者の末路は残虐であるべきだ。
「……なるほど。なら、僕は一日でも早く星術を極めないといけませんね」
返ってきた言葉は落胆や失望に染まったものではなく、むしろ熱意や希望に満ちていた。
予想外の反応に海聖は唖然とする。
雄仁は穏やかな微笑を海聖に向けた。
「僕がどうして〈海〉の星術師になったのかはわかりませんが、自分の力が誰かの助けになるのならそれを惜しむ理由なんてありません」
「あたしはあんたを利用する気満々なのに、ずいぶんなお人好しだね」
「どんな形であれ、海聖さんが僕を――正確には僕が扱う星術を欲してくれたことが何よりも嬉しいんです。……僕は今まで、誰かに必要とされたことはありませんでしたから。大勢の人から必要とされている海聖さんが羨ましいくらいです」
悲しげに笑んだ雄仁の仄暗い感情を垣間見て、海聖は訝しげに眉根を寄せた。
「僕はさっき、海魔学を専攻していると言いました。正直なところ、僕のように海魔に関わる研究をしている人たちはMNSRIでは嫌厭されているんです」
「それはどういう……」
「僕たち海魔生態研究チームは、海魔と人間の共存を目的としていますから」
「え……」
海聖が大きく目を見開いた瞬間、海魔除けとして投げ入れた月光弾の照明が消えてしまった。




