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エロゲ世界のクズ役に転生したので破滅回避に徹したら、攻略対象より先にヒロインを救ってしまった  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第5話 図書室で、まだ始まっていない破滅を見る

放課後の図書室は、教室より少しだけ現実感が薄い。


 別に異世界みたいだとか、そういう大仰な話じゃない。ただ、教室や廊下にはあるはずの雑音が一段遠くなる。机を引く音も、誰かの笑い声も、部活へ向かう足音も、図書室の扉を一枚隔てるだけで薄い膜の向こうに押しやられる。


 その静けさが、好きだと思う。


 だからこそ厄介でもある。


 静かな場所では、人はよく見えてしまうからだ。


 授業が終わって、掃除当番のざわつきもひと段落した頃。俺は鞄を肩にかけたまま、西棟二階の図書室へ向かっていた。


 今日は最初から行くつもりだった。


 理由ははっきりしている。


 白峰透子だ。


 原作の流れをなぞるなら、この時期から彼女の周囲には本当に小さな歪みが生まれ始める。

 いじめ、と呼ぶには早い。悪意、と断じるには曖昧。けれど放置すれば確実に悪い方向へ転がる、そんな種類の違和感。


 しかも厄介なことに、それらは目立たない。


 誰かがわざと本を隠すとか、露骨に悪口を言うとか、分かりやすい形ではない。貸出記録の認識がずれる。返却予定の伝達が曖昧になる。座席の使い方や資料の置き場所に少しだけ不公平が生じる。そういう、本来なら“誰のせいでもない”ことで空気がじわじわ悪くなる。


 そしてそういう空気は、透子みたいな人間を追い詰める。


 静かで、賢くて、周囲に迷惑をかけまいとするやつほど、自分が邪魔なのではないかと勝手に考えてしまうからだ。


 図書室の扉の前で一度立ち止まり、ガラス越しに中を窺う。


 司書の教師がカウンターにいる。利用している生徒は四、五人。奥の参考書棚の前に二人。窓際の長机に一人。貸出機の近くに一人。


 そして、窓際の一番奥。


 白峰透子がいた。


 今日も本を開いている。背筋は伸び、机に向かう姿勢に無駄がない。外から差し込む夕方の光が横顔の輪郭を柔らかくしていて、そこだけ時間の流れが違うみたいに見えた。


 見えるだけだ。


 実際には、あいつの時間だって普通に進んでいる。

 悩むし、疲れるし、傷つく。

 そして原作では、その傷が外からはほとんど見えないまま深くなっていった。


「……」


 俺は何でもない顔で扉を開け、中へ入る。


 紙とインクの匂い。少し乾いた木の匂い。遠くでページをめくる音。机の脚が床を擦る小さな音。

 この空間の静けさは心地いい。だが今日の俺にとっては、心地よさより確認の方が先だった。


 まず見るべきは、返却棚と貸出記録の周辺。


 昨日、一冊の本の位置を直した。あれだけで劇的に何かが変わるわけじゃない。だが、“おかしいはずのズレ”を一つ消しておく意味はあったはずだ。


 カウンター脇を何気なく通り、返却棚を見る。


 今日は本の並びに露骨な乱れはない。司書もいつも通りだ。

 けれど、返却待ちの札が一枚、棚の端に半分隠れるように置かれている。

 その位置が悪い。見落とす利用者が出る。


 見落とし。それだけなら些細だ。

 でも、貸出できると思って手に取った本が実は返却処理前だった、なんてことが起きれば、嫌な誤解の種にはなる。


 俺はそれをさりげなく見える位置に直した。


 司書は気づかない。気づいても、本を見ていた生徒が手を動かした程度にしか思わないだろう。


 それでいい。


 それから書棚を一周するふりをしながら、窓際へ視線を向ける。


 透子は本を読んでいる。


 読んでいる、ように見える。


 だが視線の運びが、ほんの少しだけ途切れがちだ。ページをめくる間隔が一定じゃない。集中している時の読み方ではなく、何か別のことを考えながら文字を追っている時のそれだ。


 何かあったのか。


 あるいは、まだ“何か”になる前の違和感が、もう本人の中に沈殿し始めているのか。


 俺は参考書の棚の前で立ち止まり、適当な一冊を抜き取ったふりをしながら周囲を観察する。


 窓際の長机。透子の向かい側は空席。隣には誰もいない。机の端に図書室の利用カードケース。貸出用の鉛筆が一本。

 そのさらに端に、小さなメモ紙。


 昨日はなかった気がする。


 距離があって読めないが、位置が悪い。透子の持ち物なのか、図書室側の備品なのかも分かりづらい置き方だ。


 俺は数秒考えて、本を棚に戻した。


 いきなり近くへ行くのは不自然だ。

 だが放置していいかと言えば、たぶん駄目だ。


 透子の近くで起きる“持ち物の認識違い”は、原作でも割とろくでもない方向に使われていた。誰のものか分からない紙。置いた覚えのない本。借りたつもりのない資料。そういうものが、彼女の“自分の認識が正しいのか分からない”不安をじわじわ強めていく。


 やってることが陰湿なんだよ、本当に。


 俺はため息を飲み込み、別の書棚から文庫を一冊取って、窓際の席から二つ離れた机に座った。


 読書のふりをするためだ。


 視界の端に透子を入れつつ、周囲の動きを見る。


 十分ほど経った頃、参考書棚の前にいた二人組の女子が小声で話しながらカウンターへ向かった。その時、一人の鞄が机の端に軽く当たり、透子の机のメモ紙が床へ落ちる。


 透子は気づいていない。


 俺はページをめくるふりをやめ、椅子を引いた。


 床へ落ちたメモ紙は、ちょうど長机の脚の影に入り込んでいる。放っておけば、あとで誰かが見つけて「何これ」となる位置だ。


 俺は通路を歩くついでの顔でその横を通り、しゃがんで拾い上げた。


 白い無地のメモ。

 裏返すと、図書委員会の棚整理の簡単なメモだった。

 やはり個人のものではない。


 つまり、これが透子の机にある時点で“あの子が勝手に持ってきたのでは”みたいな誤解の種になりうる。


 ……雑だが、十分にありえる。


「それ」


 不意に声がして、顔を上げる。


 透子がこちらを見ていた。黒目がちの目が、俺の手元のメモを静かに捉えている。


「ああ」

 俺は無愛想に返す。

「落ちてた」

「……委員会のですね」

「みたいだな」


 そのままカウンターへ持っていこうとしたが、透子がほんのわずかに視線を揺らしたのが分かった。

 迷った時の目だ。


「何」

 俺が聞くと、透子は少しだけ間を置いてから言った。

「たぶん、それ……最初からあそこにありました」

「机の上に?」

「はい」

「……」

「私のものじゃないです」

「分かってる」

 短く返すと、透子はほんの少しだけ目を見開いた。


 何だ、その顔は。


「別に、疑ってない」

「……そうですか」

「そうだよ」

 言ってから、自分でも少しだけ不思議になる。


 俺は今、随分普通に会話している。

 透子相手に。

 本来ならもっと距離を取るべき相手に。


 だがここで不自然に黙り込む方が、かえって変だ。


 俺はそのままメモを持ってカウンターへ行き、司書に「落ちてました」とだけ伝えて戻る。席に座り直す時、透子はまだこちらを見ていた。すぐに視線を逸らしたが、その前に確かに“何かを考えている目”をしていた。


 嫌な予感がする。


 俺の行動の意味を考えられるのは面倒だ。


 だが、それ以上に。


 彼女が**“自分のせいではない”と最初から分かっていながら、それを口にするまで少し迷った**ことの方が気になった。


 原作の透子もそうだった。

 何かおかしいと感じても、「自分が勘違いしているだけかもしれない」と一度飲み込む。

 そしてその癖が、あとで首を絞める。


 俺は文庫本を閉じ、机に置いた。


 静かな図書室の中で、その小さな音だけが少しだけ浮いた。


 透子がまたこちらを見る。


 今度は俺が先に口を開いた。

「白峰」

 名前を呼ぶと、透子は目を瞬かせた。

「……はい」

「机の上、あんまり物置くな」

「え」

「紛れると面倒だから」

 透子は数秒黙ったあと、机の端を見た。

「……そうですね」

「それだけ」

「はい」

 そこで会話は終わるはずだった。


 はずだったのに、透子が小さく続ける。

「御影先輩」

 先輩、か。


 一年と二年だから間違ってはいない。だが、面と向かってそう呼ばれると妙にむず痒い。


「何」

「昨日、本を戻していましたよね」

 ぎくりとした。


 顔には出していない、はずだ。たぶん。


「何の話だ」

「返却棚のところです」

 透子は本を閉じ、栞を挟んだ。

「私、見ていました」

「……」

「違っていたら、すみません」

「いや」

 否定も肯定も、どちらも面倒だ。

「見てたなら見てたでいい」

 すると透子は、ほんの少しだけ困ったように眉を下げた。

「普通、そういう言い方しますか」

「じゃあどう言えばいい」

「分かりませんけど……もう少し、あると思います」

「要求が曖昧だな」

「御影先輩の返事もだいぶ曖昧です」

「お前、意外とそういうこと言うんだな」

「思ったことは、たまに言います」

 淡々としているのに、少しだけ棘がある。


 ……いや、棘というより、これはたぶん彼女なりの探り方か。


 透子は無口だが、何も考えていないわけじゃない。むしろ逆だ。見て、覚えて、頭の中で並べて、それから言う。

 だから一度言葉にしたものは軽くない。


「別に」

 俺は椅子に座り直しながら言う。

「本の位置がおかしかったから直しただけだ」

「どうしてですか」

「どうしてって」

「気づいても、そのままの人の方が多いです」

「気づいたからだろ」

「……それだけですか」

 どいつもこいつも、そこを聞くな。


 俺は思わず少しだけ口元を歪める。

「最近、それ聞かれるの流行ってるのか」

「最近?」

「何でもない」

 透子はすぐには追及しなかった。


 その代わり、しばらく俺の顔を見てから、小さく言った。

「ありがとうございます」

「何が」

「さっきのことも、昨日のことも」

「礼を言われるほどじゃない」

「でも、私は助かりました」

 その言い方は静かで、押しつけがましさがない。


 だからこそ、困る。


 こういう感謝は、軽く流しにくい。


「……あっそ」

 結局それしか言えず、透子はわずかに目を細めた。笑ったのかもしれないが、本当に微妙すぎて判別がつかない。


 その時、カウンターの司書が棚整理の手伝いを呼ぶ声を上げた。

 透子は反射的に立ち上がりかけて、止まる。


 まただ。


 頼まれる前に動こうとする癖。

 日和とは方向性が違うが、透子もまた“迷惑をかけないように先回りする”人間だ。


 司書は近くにいた図書委員の生徒を呼んでいたらしく、透子が立つ必要はなかった。彼女は気まずそうにまた座る。


 その一連を見て、胸の奥が少しざらついた。


 原作では、こういう“自分が動かなければ”の積み重ねが、やがて彼女の居場所を削っていく。


 誰も求めていないのに、自分で求められていると判断する。

 そして、その判断が少しずつずれていく。


 ……今のは、まだただの癖だ。


 まだ、だ。


 司書が図書委員と話している間、図書室は再び静かになった。

 外では野球部らしい掛け声が聞こえる。

 夕陽は少しずつ角度を変え、窓際の机に細長い影を落としていた。


 俺は手元の文庫本を開くふりをしつつ、頭の中で整理する。


 返却棚の札。

 委員会メモ。

 透子の机の使い方。

 本人の“自分のせいかもしれない”思考。

 そして、俺の行動を見ていること。


 思った以上に、早い段階からこっちを観測している。


 これは良くない。

 良くないが、悪いばかりでもない。


 少なくとも、透子が周囲で起きた違和感を全部ひとりで飲み込まずに済む可能性はある。

 “あの人もおかしいと思っていた”という事実は、案外人を救う。


「御影先輩」

 また呼ばれて、俺は顔を上げる。

「何」

「この本」

 透子が手元の文庫を少し持ち上げた。

「面白いですか」

 予想外の質問だった。


「……急だな」

「すみません」

「別に謝ることじゃないけど」

 俺は表紙を見る。さっき適当に取った文庫だ。途中までしか読んでいない。

「まだ最初の方だ」

「そうですか」

「お前は」

「私は、二回目です」

「二回?」

「読んだことがあるので」

「なら面白いんだろ」

「はい。たぶん」

「たぶん?」

 透子は少し考えてから言った。

「読む時によって、違って見える話なので」

 その答えに、俺は一瞬だけ言葉を失った。


 その感覚は、少し分かる。


 前世で読んだ物語と、今こうして“中にいる”物語は全く別物だ。

 見える景色が違えば、意味も変わる。


「……そうか」

「はい」

「じゃあ、たぶん面白いんだろ」

 透子は今度こそ小さく笑った。

 本当に小さい笑みだった。


 けれど、それは原作の序盤で俺が見たことのない種類の表情だった気がして、嫌な意味で心臓がざわつく。


 やめろ。


 変わるな。


 いや、変わった方がいいのか。

 分からなくなる。


 俺が知っている筋書きから外れれば、悲劇を避けられる可能性は上がる。

 だが同時に、未来を読むための地図を失うことにもなる。


 その不安と、目の前で実際に少し柔らかくなった透子の表情と。

 どちらを優先して考えるべきか、一瞬だけ分からなくなった。


 結局、俺は立ち上がることで考えるのをやめた。


「帰る」

 短く言うと、透子は少しだけ驚いた顔をした。

「もうですか」

「十分見た」

「見た?」

「本」

「あ……はい」

 誤魔化しとしては雑すぎる。

 我ながらそう思う。


 透子もたぶんそう思ったのだろう。

 けれど追及はしなかった。


「気をつけて」

 その一言だけが、静かに投げられる。

「……お前も」

 返してから、自分で少しだけ目を細めた。


 何だ今の会話。普通か?


 普通ではないだろうな、少なくとも俺にとっては。


 図書室を出て、扉を閉める。


 廊下に出た瞬間、室内より少しだけ温度が低い空気が肌に触れた。

 遠くの部活の音がまた戻ってくる。


 俺はその場で一度だけ振り返る。

 扉の向こうは見えない。


 だが、今の数十分で確かに何かが変わった気がした。


 透子の中の俺が、原作より少しだけ早く“ただの感じの悪い先輩”ではなくなり始めている。

 それはたぶん、良い変化だ。


 でも、安心はできない。


 むしろ始まりだ。


 透子ルートの最悪は、こんな穏やかな放課後のあとに、何事もなかったみたいな顔で始まる。

 だからこそ油断できない。


 西棟の階段を下りながら、俺は今日の違和感を頭の中で反芻する。


 まだ小さい。

 でも、確かにある。


 人は、いきなり壊れたりしない。

 小さな誤解、小さな遠慮、小さな諦めが積み重なって、気づいた時には戻れないところまで行く。


 だから俺は、戻れなくなる前に潰すしかない。


 階段を下りたところで、昇降口へ向かう生徒の波が見えた。

 その中に朝比奈日和の姿がある。友人と話しながら笑っている。

 少し離れた廊下の角では、黒瀬凛が委員会のファイルを抱えて歩いていた。


 それぞれが、それぞれの放課後を生きている。


 誰もこの世界をゲームだなんて思っていない。

 誰も自分がルートの途中にいるなんて知らない。


 だから俺だけが知っていればいい。

 知って、黙って、先回りして、壊れる前に止める。


「……面倒くさいな、ほんと」


 小さく呟いて、靴を履き替える。


 それでもやるしかない。


 図書室で見た透子の目は、まだ“始まっていない破滅”の手前にあった。

 なら、その手前で全部折る。


 たとえ少しずつ原作がずれて、俺の知識が当てにならなくなっていくとしても。


 壊れてから後悔するよりは、ずっといい。

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