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エロゲ世界のクズ役に転生したので破滅回避に徹したら、攻略対象より先にヒロインを救ってしまった  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第33話 篠宮美澄は、まだ誰の味方でもない顔で教室へ入ってくる

人は、名前だけではまだ何も壊さない。


 壊すのは、その名前を持った人間が実際にそこへ現れてからだ。


 分かっている。

 分かっているのに、月曜の朝からずっと落ち着かなかった。


 篠宮美澄。


 先週、担任の口からその名前が出た瞬間から、頭のどこかがずっとざわついている。

 原作ではもっと後だ。

 少なくとも、日和と透子と凛の関係がこんなふうに静かに変わり始めた直後に入ってくる存在じゃない。


 だから読めない。


 いや、もう前から読めなくなり始めていた。

 ただ今回の件は、その“読めなさ”がはっきり形になった最初の例だ。


 教室の引き戸を開けると、朝のざわめきの中心がいつもより少し前に寄っていた。


 みんな、たぶん同じことを考えている。

 戻ってくる生徒。

 篠宮美澄。

 どういう子なのか。

 何があったのか。

 誰か知っているのか。


 そして、そういう時の教室はだいたいろくでもない。


「おはよ、御影くん」

 日和がいつも通り声をかけてくる。

 いつも通り。そう聞こえる。

 でも、その目の奥には、俺の顔色を先に見る癖がちゃんと残っている。


「……おはよう」

「今日は間ふつう」

「計測やめろ」

「だって今日はそっちに意識いってる顔してるし」

 そう言って日和は、教室前方を顎でしゃくる。


 その先には、まだ空の席がひとつある。


 篠宮美澄の席だろう。


 相馬が後ろから身を乗り出す。

「お前、今日ほんと分かりやすいな」

「うるさい」

「いやでもさ、御影だけ先週から反応おかしかったし」

「気のせいだ」

「その返し、今日はさすがに弱いって」

 弱い、か。


 自分でもそう思う。


 凛は自席で配布物を整えながら、俺たちの会話を聞いている。

 聞いているが、割り込んではこない。

 その代わり、視線の向きだけは正直だ。


 俺。

 空席。

 日和。

 また俺。


 ほんとに、最近の黒瀬凛は観測範囲が広い。


 チャイムが鳴る少し前、担任が教室へ入ってきた。

 その後ろに、女子生徒が一人ついてくる。


 教室の空気が一段だけ静かになった。


 篠宮美澄は、思っていたより小柄だった。


 派手ではない。

 むしろかなり地味な部類に入る。

 肩の少し下で揃えられた黒髪。薄く前へ流した前髪。大きすぎない目。整っているのに、第一印象では印象に残りにくい顔立ち。


 だが、その“残りにくさ”が逆に引っかかる。


 教室という場所で、こういうふうに“最初の印象を曖昧にする人間”は、だいたいあとで強い。


 担任が軽く咳払いする。

「えー、先週言った通り、今日から篠宮が戻る」

 戻る。

 転校ではなく、その言い方だ。


「しばらく休んでたが、今週からまた一緒だ。変に気を遣いすぎるなよ。ただし、しつこく事情を聞くのもなし」

 そこまで言う時点で、もうみんな事情を気にしている。


「篠宮、ひと言」

 担任が促すと、美澄は教壇の横で一度だけ教室を見渡した。


 目が合った。


 ほんの一瞬だけ。

 でも、その一瞬に妙な感覚が走る。


 見られた、というより。

 測られた、に近い。


「篠宮美澄です」

 声は静かだった。

 通らないわけじゃない。

 でも、前へ押し出す感じがない。


「前に在籍していたので、知ってる人もいるかもしれません。……またよろしくお願いします」

 短い。


 それだけか、と誰かが思うような挨拶。

 だが俺には、その短さが妙に引っかかった。


 余計な情報を出さない。

 でも完全に閉じてもいない。

 あれは“人と距離を取るのに慣れている人間”の喋り方だ。


 担任が席を指す。

「篠宮の席、あそこな」

 場所は教室の窓側、中央より少し後ろ。

 日和からは少し離れ、俺からは斜め前、凛からは見やすい位置だ。


 嫌な配置だな、と直感する。


 美澄が席へ向かって歩き出す。

 その途中、何人かの視線を自然に受け流しながら、でも一人ひとりをちゃんと見ているのが分かる。


 見ている。


 この女もまた、見る側だ。


     ◇


 一限目はほとんど授業にならなかった。


 教師はいつも通り進めている。

 でも教室全体の集中は薄い。

 新しく戻ってきた生徒の気配は、それだけで小さなノイズになる。


 俺自身も、黒板の式より美澄の動きの方へ意識が引っ張られていた。


 ノートの取り方は丁寧だ。

 書く速度も遅すぎない。

 教師の話を聞いているようで、たまにクラス全体を見ている。


 そこが嫌だった。


 ただ緊張している復帰生なら、自分の席の周りしか見ない。

 でも篠宮美澄は、最初から教室という場の空気を読みにいっている。


 つまり受け身じゃない。


 この時点で、原作の“後から来る火種”としての性質はたぶん残っている。

 ただ、置かれた位置とタイミングが違いすぎる。


 授業の途中、一度だけ美澄の視線が日和へ向かった。

 すぐに外れた。

 次に相馬。

 それから、俺。


 たったそれだけなのに、背中が少しだけ冷える。


 こいつ、もう教室の“中心と周辺”を見ている。


     ◇


 休み時間になると、案の定、周囲の何人かが美澄の席へ行った。


「久しぶりー」

「覚えてる?」

「大丈夫? ノートとかいる?」

 声のトーンは軽い。

 でも、気の遣い方が少し不自然だ。


 気を遣いすぎるな、と言われた直後だから、逆にみんな距離の取り方に困っている。

 その空気を、美澄は落ち着いた顔で受けていた。


「ありがとう」

「ノートは少し借りたいかも」

「でも、急がなくていい」

 返し方も上手い。


 借りる。

 でも負担はかけないと言う。

 相手の親切を受けつつ、借りを重くしない。


 慣れている。


 俺は自席でそのやり取りを見ていた。

 すると、横から凛が小さく言う。

「かなり上手いですね」

「何が」

「距離の取り方です」

 やっぱりそう見えるか。


「戻ってきたばかりには見えません」

 凛は淡々と続ける。

「教室の空気を読むのが早い」

「……」

「御影、知っていたんじゃないですか」

 そこでまたそれを聞くのか。


「知らない」

「そうは見えません」

「お前、ほんと面倒だな」

「知っています」

 凛は少しだけ視線を前へ向けた。

「でも、御影があの人を見ている目、朝比奈さんや白峰さんを見る時と違います」

 心臓が一拍遅れる。


「どう違う」

「警戒です」

 即答だった。


「……」

「それも、かなり強い」

 そこまで顔に出ているのか。


 だとしたらまずい。

 美澄にまで拾われたらもっとまずい。


「凛」

 日和が前の方から呼ぶ。

「この前の文化祭の去年資料ってどこにあったっけ」

「あとで持っていきます」

「ありがとー」

 そのやり取りの間も、美澄はさりげなく日和の方を見ていた。


 見ている。

 間違いなく。


 しかもただ見るだけじゃない。

 たぶん、日和が今の教室でどういう位置にいるか、かなり短時間で把握し始めている。


 まずいな。


 原作でも、美澄はこういう“場の力学”を読むのが早かった。

 だから後から入ってきても、わりと簡単に空気を揺らせた。


 今の教室でそれをやられると、日和にも、凛にも、透子にも、全部影響が出る。


     ◇


 昼休み。


 俺は教室を出るタイミングを逃していた。


 透子のいる図書室へ行く気にもなれない。

 今、美澄がいる日に動けば、それも観測される気がする。

 かといって教室に残れば、視界の端に美澄が入る。


 最悪だ。


「御影くん」

 前方から日和がやってくる。弁当箱を持っている。

「何」

「今日、やっぱり変だよ」

「またそれか」

「だってほんとに」

 日和は小さく声を落とす。

「篠宮さん来てから、ずっと張ってる顔してる」

 見逃してくれよ。


「気のせいだ」

「今日のそれは、ほんと弱い」

 日和は困ったように笑う。

「知ってる人?」

「……」

「答えなくていいけど、知ってるなら知ってるで」

 そこで日和は少しだけ真面目な顔になる。

「無理しないで」

 無理しないで、か。


 今それを言われると少しだけ刺さる。

 美澄が来ただけで、まだ何も起きていない。

 なのに頭の中ではもう先回りが始まっている。


「……お前さ」

「うん」

「最近、ほんと見る側に回ったな」

 そう言うと、日和は少しだけ目を丸くして、それから柔らかく笑った。

「御影くんに言われたからね」

「俺のせいにするな」

「半分くらい」

 便利な言い方だな。


 だが、そのやり取りの途中で、視線を感じた。


 教室の斜め後ろ。

 篠宮美澄が、弁当の包みを広げる前の手つきで、こちらを見ていた。


 目が合う。

 美澄は一瞬だけ止まり、それから何でもない顔で視線を外した。


 今のを見られた。


 日和との距離感。

 俺の固さ。

 会話の温度。


 全部だ。


「どうしたの?」

 日和が振り返りかけるのを、思わず止める。

「いや、何でもない」

「え?」

「何でも」

 少し強めに言ってしまったせいか、日和はそこで口を閉じた。


 しまった。


 だが今は説明できない。

 美澄にこれ以上“日和と俺の関係”を観測させたくない。


 日和は少しだけ不思議そうな顔をしてから、小さく頷いた。

「……そっか」

 そのまま自席へ戻っていく。


 自分でも、今の反応はよくなかったと分かる。

 でも、これで日和が振り返っていたらもっとまずかった気もする。


 やっぱり、もう原作の先読みだけじゃ足りない。

 今は“何を見られるか”まで管理しなければならなくなりつつある。


 終わってるな。


     ◇


 放課後、帰り支度をしていると、美澄が初めてこっちへ近づいてきた。


「御影くん」

 静かな声だった。

 教室のざわめきの中でも、はっきり耳に残る。


「……何」

 我ながらひどい返しだと思う。

 でも、愛想よくする気にもなれない。


 美澄は気にした様子もなく、小さく首を傾げた。

「前に在籍していた時の、文化祭のことって覚えてる?」

 そこか。


 周囲に聞かず、俺に来るのか。


「何で俺」

「なんとなく、覚えてそうだったから」

 ぞっとする。


 それは、直感なのか。

 観察の結果なのか。

 たぶん両方だ。


「去年の話なら、今聞く相手違うだろ」

「そうかもしれない」

 美澄は否定しない。

「でも、御影くんなら“空気じゃなくて事実”で答えそうだから」

 その言い方に、背中が少し冷える。


 空気じゃなくて事実。


 その言葉の選び方は、凛に少し似ている。

 だが、凛のそれが誠実さから来るのに対して、美澄のそれはもっと別の匂いがした。


 試している。

 相手の返し方を。


「……去年の文化祭は、書類なら資料室にある」

 なるべく平坦にそう返すと、美澄は少しだけ目を細めた。

「そういう答え方するんだ」

「何が」

「覚えてるのに、個人の感想を混ぜない」

 お前もか。


 勘弁してくれ。

 今日はほんとにそういう観測ばかりだ。


「便利だから」

 半ばやけでそう言うと、美澄は一瞬だけ目を丸くして、それからほんの少し笑った。

「変な人だね」

「初対面で言うことか」

「そうかも」

 あっさり認めるな。


 そこへ、凛が教卓の方からこちらを見た。

 日和も視線を向けている。

 最悪だ。


 俺はこれ以上教室の中で美澄と会話を続ける気になれなかった。

「用件終わりなら帰るぞ」

「うん、ありがとう」

 美澄は軽く手を振って、自席へ戻っていく。


 その背中を見ながら、頭の中では警報が鳴っていた。


 早い。


 距離の詰め方が、思っていたよりずっと早い。


 まだ初日だぞ。


     ◇


 教室を出ると、すぐに凛が追いついてきた。


「御影」

「何だよ」

「さっきの」

「どれだ」

「篠宮さんとの会話です」

 やっぱり来たか。


「別に大したことじゃない」

「あなた、今日は“別に”の使い方が雑です」

「うるさい」

 凛は少しだけ歩調を合わせながら言う。

「篠宮さん、観察型ですね」

「……」

「しかも、かなり早い」

 そこも見えているか。


「ええ」

 俺は短く答えた。

「厄介ですね」

「知ってる」

「前から?」

 その問いに、一瞬だけ言葉が止まる。


 凛はその間を見逃さなかった。

「やっぱり」

「お前、本当に面倒だな」

「知っています」

 もうそれで全部返せると思うなよ。


 凛は少しだけ声を落とす。

「御影」

「何」

「私は、あなたが篠宮さんを警戒している理由までは分かりません」

「……」

「でも、ただの復学者として見ていないのは分かります」

 その通りだ。


「だから」

 凛は続ける。

「私も見ます」

「やめろ」

「無理です」

「増えるな、厄介な観測者が」

「もう遅いです」

 それが否定できないのが最悪だった。


 凛は最後に、小さく言った。

「次の火種は、あの人ですか」

 その問いには、すぐ答えられなかった。


 でも、答えなくても伝わったのかもしれない。

 凛はそれ以上聞かず、ただ俺と同じ方向を見た。


 校舎の窓に夕方の光が当たっている。

 何も起きていないように見える。


 でも、火種はもう入ってきた。


 まだ誰のものでもない顔をして。

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