第15話 黒瀬凛は、敵か味方かをまだ決められない
黒瀬凛は、たぶん今も俺を完全には信用していない。
それは分かる。
あいつの目がそう言っている。
実際、信用されるような立場でもない。原作を知っている俺からすればなおさらだ。
だが、以前の“単純に警戒している”目とも違う。
そこに別のものが混じり始めている。
理解しようとしているのだ。
それが一番厄介だった。
木曜の委員会終わり、凛は一人で教室に戻ってきた。
その時、俺はまだ席に残っていて、配布物の束を一つだけ確認していた。
「まだいたんですね」
「お前こそ」
「委員会です」
「知ってる」
凛は机にファイルを置き、少しだけこちらを見る。
「朝比奈さんに会いました」
心臓が少しだけ冷える。
「それで?」
「特に何も」
「ならいいだろ」
「ただ、あなたからミルクティーの紙パックを持って帰ったと聞きました」
「逆だ」
「え?」
「日和からだ」
凛の表情が、ほんの少しだけ崩れる。
驚いたらしい。
「……そうなんですか」
「何だその顔」
「いえ」
凛は視線を落とした。
「少し意外だっただけです」
「何が」
「あなたが、そうやって気遣われる側に回ることです」
「俺だって人間だ」
「知っています」
「その返し便利だな」
「最近、あなたの真似です」
冗談を言っているのか、本気なのか分からない顔だった。
凛は少し黙ってから言う。
「朝比奈さん、少し安心したような顔をしていました」
「……」
「あなたのことを心配していたみたいです」
やめろ。
いちいち言語化するな。
「それで?」
俺が低く返すと、凛は静かに言う。
「私はまだ、あなたが何を考えているのか全部は分かりません」
「分からなくていい」
「でも」
凛はそこで一歩近づいた。
「朝比奈さんも、白峰さんも、最近はあなたに対して“怖い人”というより、“気になる人”として見ています」
分かってる。
分かっているから困っている。
「攻略みたいに言うな」
「誰もそんなこと言っていません」
「言外に出てる」
「気のせいです」
そこでその返しを使うのか。
俺は思わず少し笑いそうになり、すぐに顔を戻した。
凛はそれを見逃さなかったらしい。
「今、笑いかけました?」
「気のせいだ」
「便利ですね」
「だろ」
わずかに、空気が緩む。
だが凛はすぐに真面目な顔へ戻った。
「御影」
「何」
「私は、あなたが敵か味方かをまだ決められません」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
「敵か味方って」
「そういう分類が雑なのは分かっています」
「ならやめろ」
「でも、分かりやすいので」
凛は視線を逸らさない。
「あなたは、悪いことをしているようには見えない。でも、全部を話さない」
「話せるわけないだろ」
「そういう事情があるのも分かります」
「だったら」
「でも、それで安心もできない」
凛は小さく息を吐く。
「だから決められないんです」
敵か味方か。
雑な分類だと思う。
でも、凛の中ではきっと本気なのだろう。
完全に信じるには不透明すぎる。
かといって切り捨てるには、実際に助けられている場面が多すぎる。
その中間で揺れている。
「決めなくていい」
俺は静かに言った。
「今のままで」
凛は一瞬黙る。
「それでいいんですか」
「お前が無理に決めて、間違える方が面倒だ」
「……」
「見たいように見ろ」
凛はしばらく俺を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「分かりました」
「珍しく素直だな」
「決めない、という選択もありますから」
「そういうとこは好きだよ」
口をついて出てから、一瞬だけ空気が止まる。
しまった。
俺はすぐに言い直す。
「いや、そういう考え方の話だ」
「分かっています」
凛の声は平坦だった。
だが耳が少しだけ赤い気がして、俺はそれ以上見ないことにした。
「とにかく」
凛は咳払いみたいに間を切る。
「私はまだ信用していません」
「知ってる」
「でも、前よりは間違って見ていないと思います」
「……あっそ」
「その返し、最近やけに逃げに使いますね」
「便利だからな」
「本当に便利なんですね」
少しだけ、凛の口元が緩んだ。
それは笑いというほど大きくない。
でも、明らかに以前より柔らかい表情だった。
敵か味方かを決められない。
たぶんそれは、俺にとって一番都合の悪い中間地点だ。
だが同時に、最初の最悪の印象からはだいぶ離れた場所でもあった。




