第13話 白峰透子は、覚えている
白峰透子は、覚えている。
大きな出来事だけじゃない。
何気ない一言、置き直された本、誰かの手の動き、そういうものを静かに覚えている。
それが分かったのは、水曜の放課後、図書室でのことだった。
俺が入ると、透子はいつもの窓際にいた。
だが今日は本を読んでいなかった。
代わりに、机の上に数冊の本を並べて、何かを比べるように見ている。
「何してる」
つい口に出すと、透子が顔を上げた。
「調べものです」
「何の」
「まだ秘密です」
「言うほどのことかよ」
「言わないとつまらないので」
前より返しが軽い。
たぶん、気のせいじゃない。
俺は少し離れた席に座りながら、視界の端で透子を見る。
彼女はまた本へ目を落としたが、数分後、不意に立ち上がってこちらへ来た。
「御影先輩」
「何」
「これ」
差し出されたのは、前に話していた文庫本だった。
「読み終わりました」
「ああ」
「約束だったので」
「約束した覚えはない」
「しました」
「してない」
「“好きにしろ”と言いました」
……あったな、そんな会話。
透子は本を差し出したまま続ける。
「たぶん、今の御影先輩には合うと思います」
「今の、って何だよ」
「読む時によって違って見える話なので」
前に言っていたやつだ。
俺は少し迷ってから本を受け取る。
「……ありがと」
言った瞬間、透子が少しだけ目を見開いた。
「お礼、言うんですね」
「お前な」
「すみません」
「謝るなら言うな」
「でも、言ってよかったです」
透子は小さく笑った。
その笑い方は、本当に小さい。
でも前よりずっと自然だった。
「何でそう思う」
「御影先輩、昨日、返した本の位置も、一昨日のメモのことも覚えてないふりをしたので」
「……」
「だから、お礼も言わない人かと思っていました」
「失礼すぎるだろ」
「でも、覚えています」
透子は静かに言う。
「図書室で先に気づいたことも、机の上のことも、“全部自分のせいにするな”って言ったことも」
その一つひとつが、思った以上にきっちり残っていたらしい。
やっぱり、覚えているのだ。
「忘れてくれ」
「無理です」
「即答かよ」
「大事だったので」
大事、ね。
その言葉に軽く返せず、俺は文庫本を手にしたまま視線を逸らす。
「……重いな」
「本ですか」
「違う」
「感想ですか」
「お前の受け取り方だよ」
透子は少しだけ首を傾げ、それから言う。
「私にとっては、誰かが“それはあなたのせいじゃないかもしれない”って言うの、たぶんすごく大きいんです」
その声は穏やかだった。
でも、その穏やかさがかえって重かった。
俺は何も言えない。
原作で透子は、そういう言葉をほとんどもらえなかった。
だからこそ余計に、今のこのやり取りが効いてしまう。
「……読んだら返す」
ようやくそれだけ言うと、透子は小さく頷いた。
「はい」
その顔を見て、俺ははっきり分かってしまう。
透子の中の俺は、もう原作の“ただ嫌な感じの先輩”ではない。
それはたぶん良いことだ。
でも、同時にすごく怖いことでもあった。




