第11話 見つからないはずの火種を、凛は見つけてしまう
黒瀬凛は、何も起きなかったことの痕跡を拾う。
普通の人間は、問題が起きなければそこで終わりにする。
良かった、で済む。
だが凛は違う。
起きなかったなら、なぜ起きなかったのかを考える。
それが、今の俺には厄介すぎた。
月曜の放課後、俺が掲示板の張り替え位置を一つだけ直して昇降口へ向かおうとした時、凛に呼び止められた。
「御影」
「またか」
「またです」
「本当に容赦ないな」
「あなたにだけです」
それ、白峰にも言われたな。
「何だよ」
「理科準備室前の件です」
その一言で、嫌な予感が確信に変わる。
先週、提出物の順番違いと鍵の管理札のズレをこっそり修正した件だ。
原作ではそこから“誰が最後に持っていたか”の押しつけ合いが発生し、結局、日和と凛の両方に微妙な空気が向かう流れだった。
それを俺が事前に潰した。
凛はそこへ来た。
「何の話だ」
「言い逃れから始めるんですね」
「そういうつもりじゃない」
「では答えてください」
凛は手にした委員会ファイルを開く。
「先週金曜、理科準備室前の管理札の記録が、最初の申請と最後の配置で噛み合っていません」
「へえ」
「“へえ”ではありません」
「で?」
「その時刻に、あなたが近くを通っています」
「通るくらいするだろ」
「ええ。ですが、その後でだけ問題が消えている」
凛はファイルを閉じた。
「何をしましたか」
まっすぐすぎる。
「何も」
「それは嘘です」
「決めつけるな」
「決めつけではありません。矛盾です」
「……」
「あなたが何かをしたとは言いません」
「今言ってるだろ」
「ただ、あなたが通った後だけ、問題が“起こる前に終わっている”」
凛は目を逸らさない。
「それが最近多すぎるんです」
逃げ場がない。
いや、逃げようと思えばいくらでも逃げられる。
知らない、たまたま、気のせい。
その全部で押し通せる。
だが、凛のこの目の前でそれを何度もやるのは、かえって不自然だった。
「起きないなら、それでいいだろ」
結局、前にも言った言葉が口から出る。
凛の目が細くなる。
「それでは理由になりません」
「理由を知ってどうする」
「判断します」
「何を」
「あなたが何を見て動いているのか」
そこか。
俺は壁に寄りかかり、少しだけ視線を外す。
「お前、そこまで知らないと気が済まないのか」
「済みません」
「厄介だな」
「知っています」
「自覚あるのか」
「あります」
きっぱりしてるな、本当に。
凛は少しだけ声を落とす。
「御影」
「何」
「私は、あなたを善人だと思っているわけではありません」
「それはありがたい」
「ですが、最近のあなたの行動が“誰かの不利益を減らしている”のは事実です」
「……」
「だから余計に分からない」
その言葉は、責めるというより、純粋に困っている響きだった。
俺は思わずため息を吐く。
「分からなくていいだろ」
「良くありません」
「何で」
「見て見ぬふりをして、あとで取り返しがつかなくなる方が嫌だからです」
その瞬間、原作のいくつもの場面が頭をよぎった。
見て見ぬふり。
取り返しがつかない。
凛自身も、その言葉で傷つく側だった。
だからか。
ただの性格じゃない。
あいつの中にも、そういう“見逃したくない理由”がちゃんとある。
「……分かったよ」
俺は小さく言う。
「起きる前に終わるなら、その方がいいと思ってる」
「それは前にも聞きました」
「じゃあ、それ以上はない」
「本当に?」
「本当にだ」
凛はしばらく黙ったまま俺を見る。
それから、思ったより静かな声で言った。
「じゃあ私は、その言葉だけ覚えておきます」
「何だよそれ」
「あなたが“起きる前に終わる方がいい”と思っていることです」
「変な覚え方するな」
「大事だと思ったので」
そう言って凛はファイルを抱え直す。
「でも、まだ信用はしません」
「知ってる」
「ただ」
「まだあるのか」
「あなたが隠しているものが、全部悪意だとは思っていません」
その言葉は、思った以上に重かった。
悪意ではない。
少なくとも今の俺はそうありたいと思っている。
だが原作の御影悠真の皮を被ったまま、その評価をもらうのは、妙な居心地の悪さがあった。
凛は最後に、ほんの少しだけ表情を緩める。
「それだけです」
「十分面倒だったよ」
「光栄です」
「褒めてない」
「知っています」
そのまま去っていく背中を見送りながら、俺は深く息を吐いた。
凛は火種を見つけた。
ただし、まだ火そのものじゃない。
煙の匂いを感じ取っているだけだ。
だがそれでも十分厄介だった。




