第11章 飲みすぎ注意
場所はストリーガ邸、大浴場。
街の大衆浴場に負けない広さを誇り、なおかつあちこちに施されている装飾からは匠の技を感じさせられる。
この屋敷の主の財力。誰の説明もなしに客人にそれを分からせるにはもってこいの場所である。
────もっとも、屋敷の主は滅多に客人を呼ぶことはなく、主自身もただ広く煩わしいと思っているのだが
「それがどうして。たまには役に立つじゃないか。」
と、腕を組みながら一糸まとわぬ赤髪の少女は独り言を零す。
屋敷の主────ライザ・ストリーガはそもそも入浴という行為自体に価値を見出していなかった。
汚れを落としたいのであればわざわざ入浴せずとも布一枚と水があれば事足りるし、その気になれば魔法でどうとでも解決出来る。
それでも広い湯船に浸かるというのはその日の疲れを癒す、ある種の快楽とも呼べる。だからこそ貴族の多くは毎日入浴し、平民ですら週に少なくとも一回は大衆浴場へと出向く。
しかし彼女はそれでもなお、入浴に価値を見出すことはなかった。彼女は疲れを知らない。
邪魔なだけなので壊して別の用途の部屋にでもしようと考えていたが、新しく住人が増えたので実行しなかった。その程度だ。
入浴なんて時間の無駄。それが彼女にとっての認識だった。
だからこそ、この日彼女がこの場にいるのは偶然に偶然が重なったに過ぎない。そして、その偶然によって彼女の認識が覆ったことには彼女自身も驚いているだろう。
その視線の先では翠髪の少女が更に幼い白髪の少女の体を洗い流しているところだった
「ベルちゃんの髪の毛、さらさらで綺麗だね〜!」
「ありがとう、魔法、使いの、お姉ちゃん。」
「私はリノだよ〜。ジーンと同じ、ベア村から来たの。」
「ん、分かった。リノ、お姉ちゃん。」
「ん〜〜!」
名前を呼んで貰えたことが嬉しかったのか、ベルに抱きつくリノ。突然のことに驚いたベルだったがその優しい抱擁に心地よさそうに目を細める。
二人は出会ったばかりだというのに、こうした様子を見ればまるで姉妹のように思えるだろう。
────風呂の持つ一種の魔力と言える
「同性同士の親交を深めるのにこれほど適した文化とは思わなんだ。異性間では使えなさそうだが…いや、異性間だからこその効果もあるのだろうか。少し気になるところだ。」
「……ジーン様で実験しなさいませんようにお願いします。リノ様が傷つきますので。」
隣に立ち、そう主に告げたのは屋敷唯一の────今では唯二の使用人、アイリーンである。
いつもは後ろで一つに纏めている波のかかった黒髪は下ろされ、タオルを手に持ってはいるがそれを巻く様子はない。主であるライザに合わせるためだ。
「そのくらい私でも分かるさ。試すのはまたの機会にする。さぁ、私たちも交ざろうじゃないか。」
「かしこまりました。」
この日、大浴場は四人の女性によって利用された。その広さはまだまだ持て余しているものの、ストリーガ邸では初のことである。
この大浴場を設計し、建築に携わった職人たちも少しは浮かばれることだろう。
「ふぁ〜気持ちいい〜!こんなに広いお風呂は初めてだよ〜。」
「楽しんでいるようで嬉しい。今回は私がもてなす立場だ。存分に堪能していってほしい。」
「ありがと〜!」
馬車の長旅で無自覚かもしれないが疲労が溜まっていたリノにとって、この大浴場での時間はこの上ない癒しとなっているだろう、表情が弛みっぱなしだ。
「それにしても…アイリーンさんはやっぱり凄いね…」
「…?私がでしょうか。」
「アイリーン、お姉ちゃん、は、反則。」
「ベルまで一体何を…?」
二人の視線は揃ってアイリーンのある部分、湯船に浮かぶ見事なまでの果実に注がれていた。それに気付いたライザが笑いを零す
「なに、リノも十分さ。ベルはまだまだこれから。そう悲嘆する必要はない。」
「そんなこと言うライザちゃんも綺麗な体だよね。大きさは私と同じくらいだけど引き締まっているというか、形がいいというか…」
「鍛えていれば自ずとこうなるさ。」
「む〜〜。それに、ベルちゃんも綺麗な肌してて羨ましいよ〜。」
「くすぐっ、たい。」
ターゲットをベルへと移したリノが戯れる。そんな様子をライザとアイリーンは保護者のように見守っていた
「この分なら心配はなさそうだ。正直、私にだけ心を許してくれないのは悲しいものがあるよ。」
「申し訳ございません。私の方からも説得はしているのですが…」
湯船に浸かりながらも主へと頭を下げるアイリーン。構わないと頭を上げさせライザは言う
「リノの部屋の準備は?」
「既に整っております。」
「ならばよし。」
そう確認を取ると、湯船から勢いよく立ち上がる。
水音が大浴場に響き渡り、他三人の目線がライザ一人に集まる
「改めてリノよ。よくぞ我が下に訪れてきてくれた。我らの心からの歓待、是非とも受けてもらおう。」
そう気品溢れる友人の姿を、リノは憧れの目で見上げていた。
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まさかリノが王都にやってくるとは思いもしなかった。
いや可能性として考えていなかったわけではないが、これほど早い再会になるなんて誰が予想しただろうか。
少なくとも学園を卒業するまではベア村に帰れないと考えていたが俺にとってはなんとも言い難い気分だ。それでも、やっぱりリノの姿を見た時は驚きよりも嬉しさが勝っていたという自覚はあるのだが。
ベア村唯一の道具屋『銀の帽子』。その店長であるクロッカスさんはたまに王都にまで珍しい商品を仕入れに行くことがある。今回はその付き添いとして同伴させてもらっているようだ。
当のクロッカスさんといえば商業地区で寝泊まりしているのだとか。要するに、リノはクロッカスさんに便乗して遊びに来たのだ。
時間がある時にクロッカスさんに挨拶しに行かないとな。
そして、今。リノたち女性陣は全員で風呂に入っている。大浴場の存在を知った時、他でもないリノが提案したことだ。ベルは最初警戒していたが、アイリーンの説得で一緒に入った。上手く二人が馴染めばいいのだが。
そんなことを考えていると部屋の扉がノックされる
「ジーン様、ご夕食の準備が整いました。」
「え?もうそんなに時間が経ったのか?」
「はい。既にライザ様もリノ様も食堂におります。」
「分かった。すぐ行くよ。」
まだ風呂に入っているとばかり思っていたが、それよりもずっと時間が経過していたようだ。窓の外では既に日が落ち、月が姿を見せており、机の上ではいつの間にか魔法陣の書き写しがいくつも終わっていた。
勉強に没頭していた訳では無い。むしろ、他のことばかり考えていた。
どうやら俺も相当舞い上がってたようだ。そう遅れながらも自覚すれば、何だか恥ずかしいように感じる。
それを誤魔化すように急いで片付けを済まし、食堂に向かう
「遅いよ〜ジーン!」
「悪い。勉強に集中しすぎてた。」
頬を膨らませるリノの頭を撫でてやればすぐに機嫌を直して笑顔を浮かべる。昔から困った時はこうするのが一番だ
「昔から変わらないな。そこがいいのだが。」
「どういうこと?」
「何でもない。」
「えー!?教えてよ〜!」
しつこく追求してくるリノを誤魔化しながら、みんなで食事を始める。俺がベア村を旅立ってからおよそ二ヶ月。
たった二ヶ月、しかし俺の人生の中で最も濃密な二ヶ月だったと言える。その二ヶ月にあったことを全て───禁忌やベルについて触れない程度に話してやればリノは目を輝かして聞いていた。
貴族の食事の席としてはテーブルマナーが怪しいところではあったが、師匠が気を利かせてくれたのか特に何も言われなかった。というより師匠も途中から交ざっていた。
最後にはベルとアイリーンも交ざり、話は大いに盛り上がった。たった五人と、宴の人数としては心許ないが心の底から楽しい時間だ。
やがて料理が尽き、アイリーンが酒蔵からワインを持ってきた。俺の誕生日は半月後。王国の法律では飲酒は16歳から、とあるがここで飲まずに場がシラケるのは惜しい。俺も少しばかりいただくことにする
「わぁ、このお酒美味しいね〜。」
「俺には違いはよく分からないが…なんとなく美味しい気はするな。」
「ジーンはお子様だから分からないかな〜。」
ほろ酔いで上機嫌なのか、そうリノがからかってくる。確かに師匠のコレクションだとするなら相当な一品と考えていてよさそうだ。よく見ればボトルも意匠が凝っている。
それにしても、さっきからリノは飲みすぎのように思える。頬も赤くなり、所謂仕上がってきたというやつだろう。その隣では師匠が既にボトル五本を開けていたがこちらは全く酔っている様子はない。
そして、酔いが完全に周り、リノが立っているのも難しい様子になってきたので傍に移動して支えてやる
「あるぇ〜?ジーンの顔がぐにゃぐにゃしてる〜?なんれぇ〜?」
手遅れだったか。ベロンベロンに酔っている
「飲みすぎだ。これ以上はやめておけ。」
「あ〜返してよ〜!いじわるぅ〜!」
グラスを取り上げ、中に残っていたワインを飲み干す。それからアイリーンに頼んで残りのボトルも下げてもらった
「関節キス…」
リノが何か呟いたような気がするが呂律が全然回っていないのと声が小さいせいで聞き取れなかった。が、これだけ酔った状態で会話は難しいだろう、何を言ったのかは問わないでおく
「それにしても師匠は全然平気そうだな。本当に弱点がないというかなんと言うか…」
「あ〜〜!ライザちゃんもぐにゃぐにゃ〜!変らの〜!」
師匠の顔を見て笑いだしたかと思えば次の瞬間には気を失うように眠った。酒というのは恐ろしいものだ。思い返せば俺もミストリオーレで酔って気絶したのだったか。
今回のリノの姿を訓戒として酒には気をつけるようにしよう。
「楽しんで貰えたようで嬉しいよ。少々、羽目を外しすぎてしまったようだが。」
「まだ飲んでるのか…」
見れば手にしてるボトルは先程とはまた違う銘柄のものだ。見てみれば更に空のボトルが二本増えていた
「一体どんな体の構造してるんだ?それも鍛錬したとでも言うつもりじゃないだろうな。」
「ふふ、酒に強いのは元からさ。ただし酔わないようにする方法ならある。丁度いい、そのうち覚えてもらう技だ。」
空になったグラスにワインを注いだかと思えばそれを飲まずに体の前に持ってきた
「何時しか話したように、体は魂の器。この二つは密接な関係にある。魔力が枯渇し、魂が疲弊すれば器である体にも影響が現れる。」
グラスを持つ手に魔力が集まり、それがグラスに伝わり淡い光を放つ
「これは逆に、魔力を使って器である体に干渉できることも意味する。魔力操作の応用。難易度は少々高めだがね。こんな風にな。」
グラスに並々に注がれたワイン。
その赤紫色の液体─────否、赤紫色自体がゆっくりと収縮していく。常識外れの光景に目を疑っていれば赤紫色は小さな飴玉ほどにまで凝縮されていた。
そして、その飴玉以外の場所は無色透明、直感で分かる。水になっているのだ
「魔力操作で生み出す力の流れ。これで全身に回る酔いの原因である毒を一箇所に留めてしまえばいい。これを覚えれば致死量の毒を食らったとしても暫くは活動が可能となる。」
「理屈は分かったが…少々難しいってレベルじゃないだろこれ…」
早速試しているが全く力の流れを生み出すことすら出来ない。師匠に習ってから、魔力操作の練習を怠ったことはない。それでも全くと言っていいほど出来る気がしない
「そう悲観することはない。元々『戦士』の魔道の才能は壊滅的だ。一年にも満たない鍛錬で出来る芸当ではないさ。だが、強くなるには避けては通れない技術であることは忘れないようにしたまえ。血液の流れに干渉すれば身体能力の一時的向上にも使える、便利な技術さ。」
「なるほど…な。」
飴玉が崩壊し、元の状態に戻ったワインを呷る師匠。単なる酒から実に興味深い話が聞けた。これからはこの技術の習得を目指してより一層鍛錬に励むとしよう
「それじゃリノを部屋に運んでくる。ベルもそろそろ寝る時間だろ?一緒に行こうぜ。」
「うん、一緒に、行く。お兄ちゃん。」
リノを起こさないように優しく背負い、瞼が半分閉じかけているベルの手を握る
「それじゃまた明日な。」
「また明日。おやすみジーン。」
「おやすみなさいませジーン様。」
師匠とアイリーンに見送られ、食堂を後にする。
「おやすみ、ベル。」
「おやすみ、お兄ちゃん。」
ベルを部屋まで送り届け、あとはリノを部屋に運ぶだけだ。
リノの部屋はベルの部屋から一つ飛ばした客室だ。俺やベルの部屋と同じく、やはり広めの間取りの中に机とベッドが置いてある。ランプは点けないで月明かりを頼りに部屋の中を進む。
部屋には他にリノの荷物、と言っても着替えの服ばかりだ。クロッカスさんに同乗する形で来た分、他の荷物は持ってこなかったという訳か。
寝巻き姿に着替えさせる訳にもいかないのでベッドに横たえる。と、ここで暗がりの中で目を覚ましたリノと目が合う。
まだまだ酔いは覚めないようで、ぼうっと、力のない目だ
「んー、ここどこぉ〜?」
「リノの部屋だ。今日はもう寝た方がいい。おやすみリノ。」
「えー、じゃあ最後にギュッとして!」
寝転がったまま両腕を開き誘ってくるリノ。少々恥ずかしいが、言うことを聞かなければ酔いに任せて駄々を捏ねるかもしれないし、ここは大人しく要望通りにしよう。
ベッドには乗り出さず、リノの手を取り、その身を抱き寄せる。甘い香りが鼻腔をくすぐる。リノの髪の匂いだ。それがまた愛おしくて、リノを力強く抱きしめる。
たった二ヶ月。されど二ヶ月だ。いつも傍にいたリノがいない日常は俺自身が思ってた以上に寂しかったようだ。
ギュッとしてと言われた時、リノのことを甘えん坊だと思ったが実際には俺の方がリノに甘える形になっている。リノと触れ合っているこの時間がこの上なく心地いい。
服越しに感じるリノの柔らかな肌が。
この体に伝わるリノの温もりが。
鼻腔に届く香りが。微かに響く息遣いが。
何もかもが愛おしい。このまま、永遠に、時間が止まってしまえば──────
…どうやら俺も少し酔っていたようだ。胸に駆り立てる衝動を抑え込み、冷静に努める。
我を忘れて数分間抱きしめてしまっていた。力を緩め、リノの顔を前に持ってくる
「ほら、もういいだろ。大人しく寝ろ。」
「もうちょっとらけ〜。」
「駄目だ酔っ払い、最後だと言っただろ。」
「ケチ〜いじわる〜。」
結局駄々を捏ね始めた。しかし俺は何としても押し通るぞ。酔いでとんでもない要求をされる前に撤退するに限る
「『麻痺』。」
「はぇ?」
そんな俺の意思はリノの魔法一発に破られてしまった。魔道の才に秀でたリノの『麻痺』。不意打ちで放たれたそれは一瞬のうちに俺の自由を奪い取った。
抵抗する力も出ないまま、リノに引かれるままベッドに倒れ込む。気力で頭を上げ、リノの顔を見る。
ちょうど、月明かりが差し込む位置だった。綺麗に澄んだ青白い光が酔いで紅潮した頬を強調している。そんな状態で顔に浮かべるのはいつもの笑顔、だが、そんないつも通りのハズの笑顔が妙に色っぽい
「どう…して……っ!」
「ふふ〜ん♪ジーンがワガママらのが悪いんらよ〜。れも、私は大人らから、一緒に寝るらけで許ひまひゅ!」
「なっ…馬鹿っ……やめ……っ…」
「口答えしらい!『睡眠』!」
「おまっ…!」
続けて放たれた魔法に、次は一気に意識が持っていかれる。視界が不明瞭になり、体がどうしようもなく重たい。抵抗しようにも元から体は動かない。
くそっ…もう二度とリノには酒を飲まさせないからな…
そう、一つ決意したのを境に、俺の意識は轟沈した。




