第二記:痕跡
静かだった。
歩いても、足音がほとんど響かない。
地面を覆うコケが、音を吸い込んでいるみたいだった。
「……気味悪いな」
思わず呟く。
返事は、当然ない。
ビルの間を進む。
崩れた道路。
ひび割れた壁。
どこもかしこも、時間が止まったみたいだった。
人がいた形跡はある。
でも——
“今”はいない。
「……メルセ」
名前を呼んでみる。
風が吹くだけだった。
そのとき。
カサッ、と音がした。
「……!」
反射的に振り向く。
何もいない。
「……気のせいか」
そう思った瞬間。
視界の端で、何かが揺れた。
崩れかけたビルの奥。
一瞬だけ——
誰かが立っていたように見えた。
細い体。長い髪。
「……メルセ?」
声が漏れる。
次の瞬間。
そこには、何もいなかった。
「……は?」
見間違い。
そう思うしかない。
でも。
胸の奥が、ざわついていた。
「……いるのか?」
答えはない。
代わりに。
足元に、何かが落ちているのに気づいた。
しゃがみ込む。
手に取る。
小さな布切れだった。
汚れて、色も薄くなっている。
でも——
「……これ」
見覚えがあった。
「メルセの……」
昔、よく身につけていたスカーフ。
その一部。
間違いない。
「……いるんだな」
強く、握りしめる。
メルセはいる。この星に。
確信に変わった。
そのとき。
ふと、壁に目がいった。
コケに覆われたコンクリート。
その一部が、不自然に削られている。
近づく。
そこには、文字があった。
『にげて』
かすれた字。
震えたような線。
「……」
息が止まる。
「メルセ……?」
その文字に、触れようとした瞬間。
ざわっ、と。
コケが、わずかに動いた。
「っ!?」
思わず手を引く。
今、確かに——
動いた。
「……なんだよ、これ」
目を凝らす。
ただの植物にしか見えない。
なのに。
さっきの動きは、見間違いじゃない。
そのとき。
どこからか、声がした。
「——ここは安全です」
「!?」
一気に振り向く。
誰もいない。
でも。
確かに、聞こえた。
「安心してください」
頭の奥に、直接響くような声。
「……なんだよ……」
背筋が、冷たくなる。
もう一度、壁を見る。
さっきの文字。
『にげて』
その上を。ゆっくりと、コケが覆い始めていた。
まるで——
消そうとしているみたいに。
「……やばいな」
小さく呟く。
この星は、おかしい。
ただの廃墟じゃない。
何かがいる。
「……でも」
布切れを、強く握る。
「関係ない」
来た理由は、一つだけだ。
「絶対に、見つける」
誰に聞かせるでもなく、言い切る。
そのとき。
遠くのビルの奥で。
また、何かが動いた気がした。
今度は、見間違いじゃない。
「……待ってろよ」
アルスは、静かに歩き出した。
痕跡を辿るように。消えかけた存在を、追いかけるように。




