第一記:忘れられた星
別れから五年。
僕は、カルネおばさんの洋菓子店で働いていた。
甘い匂いに包まれた店内。
焼き上がったばかりの菓子を並べながら、ふと空を見上げることがある。
あの日と同じ夜空を。
けれど、隣にいたはずの声は、もうどこにもなかった。
カラン、とドアの音が鳴る。
強い風が吹き込み、カウンターの上に置かれていた新聞が舞い上がった。
「おっと……」
慌てて手を伸ばす。
そのとき、ある記事が目に入った。
『格安譲渡 小型希望船』
指が止まる。
心臓が、わずかに強く脈打った。
「……」
しばらく、その文字を見つめる。
考えるまでもなかった。
その日のうちに、僕は決めていた。
「行くのかい?」
カルネおばさんが、静かに言った。
「……うん」
少しだけ、間を置いてから答える。
「メルセを、探しに」
カルネおばさんは、何も言わなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに笑って——
「足りない分は貸してあげるよ」
「……ありがとう」
それ以上の言葉は、出なかった。
数日後。
僕は、小型希望船に乗り込んでいた。
「ワープ、開始します」
機械的な音声が響く。
視界が歪む。
体が浮くような感覚。
そして——
次の瞬間。
すべてが、静かになった。
「……」
目を開ける。
そこには——
灰色の星が広がっていた。
窓の向こう。
広がるのは、どこまでも続く廃墟。崩れた建物。ひび割れた地面。そして、それらすべてを覆うように広がる、濃い緑。
「……ここが」
忘れられた星。
小さく息を吐く。
着陸の衝撃が、船体を揺らした。
外に出る。恐る恐る、一歩踏み出す。
外には酸素があった。
地面には、緑のコケが広がっていた。
「……やけに多いな」
踏む。
ぐにっ、と沈む。
「……?」
ただの植物にしては、柔らかい。
ほんの一瞬だけ。
温かい気がした。
「……気のせいか」
ビルが立っていた。本来なら空へと伸びていたはずの建物は、ひび割れ、崩れ、そして——
コケに覆われていた。
壁も、窓も、すべてが飲み込まれている。
建物は崩れているのに、妙に“整っている”場所もある。
「……」
言葉が出ない。
風が吹く。
けれど、不思議なことに、音がほとんどしなかった。
静かすぎる。
「……なんだよ、この星」
そのとき。
ピピッ、と機械音が鳴った。
振り返る。
船のパネルが赤く点滅している。
「燃料残量、ゼロ」
「……は?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「嘘だろ……」
船に駆け寄る。何度操作しても、反応はない。
「……帰れない?」
静かな現実が、じわじわと押し寄せてくる。
「……はは」
思わず、乾いた笑いがこぼれた。
「ノープランすぎだろ、僕」
頭を抱える。
でも。
「……まあ、いいか」
小さく呟く。
どうせ、やることは最初から決まっている。
「メルセを探す」
それだけだ。
「ついでに、帰りの方法も見つける」
深く息を吸う。空気は、吸えた。
問題はなさそうだ。
もう一度、周囲を見渡す。
見たことのない生物が、遠くで動いている。
建物はあるのに、人の気配はない。
そして——
どこかで、誰かに見られている気がした。
「……行くか」
僕は、一歩を踏み出した。
忘れられた星の中へ。




