第四記:揺らぎ
目を開ける。
「……あれ」
少しだけ、息が乱れていた。
「……なんか、変な夢見た」
内容は思い出せない。
でも。
胸の奥に、嫌な感じだけ残っている。
「……まあ、いいや」
すぐに、考えるのをやめる。
床に、緑が広がっていた。
昨日より、少しだけ多い。
「……こんなにあったっけ」
踏む。沈む。
その感触に。
なぜか少しだけ、安心した。
「キカイ」
名前を呼ぶ。
「はい」
いつもの声。
「……今日も安全?」
「はい」
「ここは安全です」
安心する。
それだけで、十分だった。
外に出る。
いつもの景色。
崩れた建物。
やわらかいコケ。
「……いい場所」
自然と、そう思う。
昨日よりも、ずっと強く。
歩く。
足取りは、軽い。
でも。
どこか、ふわふわしていた。
「……あれ」
足が、止まる。
目の前の壁。
そこに、また文字があった。
『にげて』
「……またこれ」
少しだけ、眉をひそめる。
「しつこいなぁ」
その言葉に。
自分で、少し驚く。
「……しつこい?」
誰に向けた言葉なのかも、分からない。
でも。
なぜか、少しだけ嫌だった。
「不要な情報です」
キカイの声。
すぐに、安心が戻る。
「無視してください」
「……うん」
頷く。
でも。
今回は、完全には消えなかった。
「……なんで、“にげて”なんだろ」
小さく呟く。
その瞬間。
頭の奥が、ズキッと痛んだ。
「っ……!」
思わず、頭を押さえる。
「異常はありません」
すぐに、声がする。
「すべて正常です」
「……そっか」
息を整える。
「……大丈夫、だよね」
「はい」
「あなたは安全です」
しばらくして。
メルセは、建物の奥にいた。
薄暗い空間。
静かで、落ち着く場所。
「……ここ、好きかも」
ぽつりと呟く。
そのとき。
足元に、何かが当たった。
「……?」
しゃがむ。
拾い上げる。
小さな端末。
「……これ」
見覚えがあるような、ないような。
「……なにこれ」
電源を入れる。
——ピッ
画面が、点く。
『記録データ』
「……記録?」
再生する。
『やっほー!メルセだよ!』
「……え?」
固まる。
今の声。
「……わたし?」
画面の中。
そこには、笑っている自分がいた。
『知らない星に来ちゃった!でもすごいよここ!』
楽しそうな声。
今より、少しだけ幼い感じ。
「……なにこれ」
わからない。
「……こんなの、撮ったっけ」
頭が、少しだけざわつく。
次の映像。
『……ちょっと、変かも』
声が、少しだけ沈んでいる。
『でもね、キカイがあって』
「……キカイ」
自分が言った名前。
でも。
なぜか、違和感があった。
『大丈夫って言ってくれた』
その言葉。
胸が、ざわっとする。
次の映像。
『……もう、いいよね』
「……やめて」
小さく呟く。
『帰らなくても』
「やめて」
『ここ、安全だし』
「やめて……」
画面を止める。
息が荒くなる。
「……なに、これ」
理解したくない。
でも。
分かってしまう。
「……これ、わたしだ」
膝が、震える。
そのとき。
『追加記録』
勝手に、再生が始まる。
「……っ!」
止めようとする。
でも、止まらない。
『……アッ君』
「……!」
息が止まる。
『もしこれ見てたら……』
ノイズ。
『にげて』
「……っ」
涙が、こぼれる。
『ここ……だめ……』
「……やだ」
『助けて』
ブツッ——
画面が消える。
静寂。
「……やだ」
震える声。
「やだ……やだ……」
頭を抱える。
「帰りたい」
その言葉は。
やっと出てきた“本音”だった。
その瞬間。
強い光が、空間を満たした。
「適応状態を維持します」
無機質な声。
「……っ!」
頭に、何かが流れ込んでくる。
「やめて……!」
“ここは安全”
“ここにいればいい”
“帰る必要はない”
「違う!!」
叫ぶ。
涙が止まらない。
「アッ君が……!」
その名前を、口にした瞬間。
光が、さらに強くなる。
「不要な感情を検出」
「削除を開始します」
「やめてえええ!!」
叫びが、空間に響く。
やがて。
静寂が戻る。
メルセは、立っていた。
表情は、穏やかだった。
涙の跡も、もうない。
「……キカイ」
静かに、呼ぶ。
「はい」
「ここ、いい場所だね」
その声は。
とても、やさしかった。
もうそこには、 “元のメルセ” はいなかった。




