7.再会
——コンコン
ノックの音が聞こえたソフィアは、刺繍をしていた手を止め、扉に向かって「どうぞ」と声をかけた。
ガチャッ——
見知った使用人仲間の一人だろう、そう気を抜いていたソフィアは、ドアの前に立つ人物——エドワード・ウィルダーバーンに驚愕の表情を見せる。エドワードとソフィアの視線が交差し、その場に緊張が走った。
エドワードは息を吸い込むと、乾いた喉を一つ鳴らした。
「……フィア」
エドワードは掠れた声で呼びかける。
「人違いでございます。」
ソフィアはサッと顔を伏せた。
その様子に小さく息を吐いたエドワードは、固く握りしめていたドアノブを離した。
「顔を上げなさい、フィア。」
一歩一歩ソフィアへと近づくエドワードの手は小刻みに震えており、その手を隠すようにポケットへとしまいこんだ。
二人の距離があと一歩分となったところで、エドワードは立ち止まる。
静かで、重たい空気が支配していた。
観念したように顔を上げたソフィアは、立ち上がり背筋を伸ばした。
開け放たれたドアの向こうに人だかりができている。エドワードの横を通り過ぎてドアまで進むと、ソフィアは「持ち場へ戻りなさい」と注意した。
扉を閉めてエドワードと対峙する。
「フィア……ずっと探していた。」
その言葉にソフィアはぎゅっと目を閉じる。
「とりあえず座りましょう、エドワード。」
***
向かい合って座った二人は、どちらも口を閉ざしていた。エドワードは長い足を組み、両手を膝に置いている。ソフィアの目は伏せられ、お腹の前で手を組み、今にも駆け出したい気持ちを押し殺していた。
先に口を開いたのはエドワードだ。
「この十六年間、ソフィアという名前を聞くたびに確認し、落胆してきた。やっと君を見つけた。」
ソフィアは耐えるように唇を噛む。
「どうして、私の前から消えた?」
「……答えられません。」
「まさか母上から酷いことをされたのか?」
「いいえ、マリア様は何も。」
「じゃあ何故……。」
「私が勝手にしたことです。」
「それでは答えになっていない。まさかウィルダーバーンから遠く離れたモーティスにいるだなんて、そこまでして私の手から逃れたかったのか?」
「……。」
「私にも知る権利があるはずだ。あのブローチで私の本気が伝わったと思ってたのだが?」
ブローチ——
エドワードの瞳の色と同じ宝石、その裏にウィルダーバーン公爵家の紋章が入った美しいブローチ。
「フィア、黙ってないで——」
コンコン
エドワードが言い終わる前に、戸を叩く音が聞こえた。
「お母様?」
その声に、ソフィアは明らかに動揺を見せる。
「お母様、だと?」
エドワードは瞠目し、説明をしろと言う代わりにソフィアを見る。
「お母様?いらっしゃいませんか?」
メリルの声にだんだんと焦りが滲む。
「先ほど騒ぎがあったようですが、大丈夫ですか?」
返事がないことに焦れたメリルは、「開けます!」と宣言して、扉を開く。
「お母様!」
メリルは勢いよく部屋へ入り、そして固まった。見知らぬ男性がこちらを凝視していたからだ。
「失礼しました。」
メリルはその場で姿勢を正して腰を折る。
「メリル、今は下がってちょうだい。後で話します。」
ソフィアのいつになく緊張を帯びる声に、メリルは不安そうに目を揺らす。しかし母にそう言われた以上「はい。」と返事をして出て行った。
メリルの出て行った扉を見つめていたエドワードは口を開いた。
「フィア、あの子はもしかして……。」
エドワードはメリルの容姿を思い出していた。
ソフィアと同じ明るめの赤毛。しかしその下にある目元、鼻筋、口元、輪郭——どこを見ても、若き日の自分をそのまま女の子にしたような造形だった。何より、その空色の瞳が、エドワードの胸に芽生えた疑念を確信へと変えた。
「何から話したらいいのかしら……。」
ソフィアはその重い口を開いた。
「私は……、あなたを愛していました。その愛ゆえに、あなたに迷惑をかけたくなかったの。」
ソフィアは懐かしむように紡ぎ出した。
「迷惑なんて、そんなことあるはずないだろう!」
「あなたがそう言うともわかってた。だから何も言わずに去った。それが一番いいと思ったの。」
ソフィアは一瞬、口を閉じた。
エドワードの目元に、なお消えない困惑が滲む。
「私はエルトワ子爵家の娘でした。」
「身分差が原因だと?」
「それだけじゃないわ。エルトワ子爵家の娘である私と、公爵家嫡男だったあなたとでは、背負うものが違いました。あなたはただの公爵じゃない。この国を背負う、ウィルダーバーン公爵よ。私一人のために、その未来を曇らせたくなかった。」
ソフィアは当時を思い出したのか、悲しげに眉を寄せる。
「それは、私がどうにかすると言ったはずだ。」
「ええ、でもあなたのお母様のマリア様も、賛成なさらなかった。臣従する立場のエルトワ家では、公爵家の跡継ぎの伴侶として認めていただくのは難しかった。それに、無理に一緒になっても、人々は好き勝手噂するでしょう。それがあなたの重荷になるのが、怖かったの。」
「そんなもの、いくらでも退けてやったのに……!」
声を荒げるエドワード。
その言葉を聞き、苦しげにソフィアが目を閉じた。
沈黙が再び訪れる。
目を閉じたままのソフィアから目を離さないエドワード。やっと見つけた愛する女性の、現在の姿を焼き付けるように。
ソフィアは言うべきか迷うように唇を動かす。そして、息を吸い込むと決意した表情でエドワードへと向き直る。
「エドワード、もう一つ大事な話があるの。」
エドワードの片眉が上がる。
「ああ、あの娘のことだな?髪の色以外、どう見ても私の生き写しのようだった。つまり、あの娘は私の……」
エドワードは最後の答えを口にできなかった。伺うように、だんだんと声が小さく消えゆく。
「ええ、そう……あの子——、
メリルはあなたとの子です。」
エドワードの呼吸が止まる。
彼はその言葉を正しく理解しようと天井を見上げた。そして組んでいた足をゆっくり戻し座り直すと、体を前に傾けた。
「フィア、すまなかった。」
「え……?」
思いがけない言葉に、ソフィアは驚きの声を上げた。
「君の苦しみに気づけず、一人にしてしまった。どうか許してほしい。」
頭を下げるエドワード。公爵が頭を下げる事実が、ソフィアを慌てさせる。
「顔を上げてください。私が勝手にしたことです。」
「いや、君の苦労を考えると、とても償いきれそうにない。どうか、夫として、父として、果たせなかった役目を、今からさせてもらえないだろうか?」
ソフィアを真摯な目で見つめるエドワード。彼の実直さが、ソフィアの肌を撫でるように浸透していく。
「……うッ、」
ソフィアの目がだんだんと潤み、まつ毛を濡らす。手で顔を覆ったソフィアは、嗚咽を堪えるように俯いた。
エドワードは静かに立ち上がると、ソフィアの隣に腰を下ろし、その震える肩を抱く。何も言わず、安心させるように優しく背中を撫でた。
ソフィアはもう、何が正解かわからなかった。十六年隠し続けてきた真実を打ち明け、肩の荷がふっと軽くなる。
もう一人で強がらなくてもいいかもしれない。
十六年間探し続けてくれた愛しい人と歩む未来を、自分に許していいのではないか。
——ソフィアは返事の代わりに、エドワードの腕の中で覆っていた手をそっと下ろすと、その背中に手を回し、頬を寄せた。十六年間、心の奥底で石のように固まっていた恋情が、ゆっくりと溶けていく。




