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金星の約束  作者: ロンネ


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7/9

7.再会

 ——コンコン


 ノックの音が聞こえたソフィアは、刺繍をしていた手を止め、扉に向かって「どうぞ」と声をかけた。


 ガチャッ——


 見知った使用人仲間の一人だろう、そう気を抜いていたソフィアは、ドアの前に立つ人物——エドワード・ウィルダーバーンに驚愕の表情を見せる。エドワードとソフィアの視線が交差し、その場に緊張が走った。


 エドワードは息を吸い込むと、乾いた喉を一つ鳴らした。

 

「……フィア」

 エドワードは掠れた声で呼びかける。

「人違いでございます。」

 ソフィアはサッと顔を伏せた。

 

 その様子に小さく息を吐いたエドワードは、固く握りしめていたドアノブを離した。

 

「顔を上げなさい、フィア。」

 

 一歩一歩ソフィアへと近づくエドワードの手は小刻みに震えており、その手を隠すようにポケットへとしまいこんだ。

 二人の距離があと一歩分となったところで、エドワードは立ち止まる。

 静かで、重たい空気が支配していた。

 

 観念したように顔を上げたソフィアは、立ち上がり背筋を伸ばした。

 開け放たれたドアの向こうに人だかりができている。エドワードの横を通り過ぎてドアまで進むと、ソフィアは「持ち場へ戻りなさい」と注意した。

 

 扉を閉めてエドワードと対峙する。

 

「フィア……ずっと探していた。」

 

 その言葉にソフィアはぎゅっと目を閉じる。

 

「とりあえず座りましょう、エドワード。」


***


 向かい合って座った二人は、どちらも口を閉ざしていた。エドワードは長い足を組み、両手を膝に置いている。ソフィアの目は伏せられ、お腹の前で手を組み、今にも駆け出したい気持ちを押し殺していた。


 先に口を開いたのはエドワードだ。

 

「この十六年間、ソフィアという名前を聞くたびに確認し、落胆してきた。やっと君を見つけた。」

 

 ソフィアは耐えるように唇を噛む。

 

「どうして、私の前から消えた?」

 

「……答えられません。」

 

「まさか母上から酷いことをされたのか?」

 

「いいえ、マリア様は何も。」

 

「じゃあ何故……。」

 

「私が勝手にしたことです。」

 

「それでは答えになっていない。まさかウィルダーバーンから遠く離れたモーティスにいるだなんて、そこまでして私の手から逃れたかったのか?」

 

「……。」

 

「私にも知る権利があるはずだ。あのブローチで私の本気が伝わったと思ってたのだが?」

 

 ブローチ——

 エドワードの瞳の色と同じ宝石、その裏にウィルダーバーン公爵家の紋章が入った美しいブローチ。

 

「フィア、黙ってないで——」

 

 コンコン

 

 エドワードが言い終わる前に、戸を叩く音が聞こえた。

 

「お母様?」

 

 その声に、ソフィアは明らかに動揺を見せる。

 

「お母様、だと?」

 エドワードは瞠目し、説明をしろと言う代わりにソフィアを見る。

 

「お母様?いらっしゃいませんか?」

 メリルの声にだんだんと焦りが滲む。

「先ほど騒ぎがあったようですが、大丈夫ですか?」

 返事がないことに焦れたメリルは、「開けます!」と宣言して、扉を開く。

 

「お母様!」

 

 メリルは勢いよく部屋へ入り、そして固まった。見知らぬ男性がこちらを凝視していたからだ。

 

「失礼しました。」

 

 メリルはその場で姿勢を正して腰を折る。

 

「メリル、今は下がってちょうだい。後で話します。」

 

 ソフィアのいつになく緊張を帯びる声に、メリルは不安そうに目を揺らす。しかし母にそう言われた以上「はい。」と返事をして出て行った。


 メリルの出て行った扉を見つめていたエドワードは口を開いた。

 

「フィア、あの子はもしかして……。」

 

 エドワードはメリルの容姿を思い出していた。

 ソフィアと同じ明るめの赤毛。しかしその下にある目元、鼻筋、口元、輪郭——どこを見ても、若き日の自分をそのまま女の子にしたような造形だった。何より、その空色の瞳が、エドワードの胸に芽生えた疑念を確信へと変えた。

 

「何から話したらいいのかしら……。」

 

 ソフィアはその重い口を開いた。

 

「私は……、あなたを愛していました。その愛ゆえに、あなたに迷惑をかけたくなかったの。」

 

 ソフィアは懐かしむように紡ぎ出した。

 

「迷惑なんて、そんなことあるはずないだろう!」

 

「あなたがそう言うともわかってた。だから何も言わずに去った。それが一番いいと思ったの。」

 

 ソフィアは一瞬、口を閉じた。

 

 エドワードの目元に、なお消えない困惑が滲む。

 

「私はエルトワ子爵家の娘でした。」

 

「身分差が原因だと?」

 

「それだけじゃないわ。エルトワ子爵家の娘である私と、公爵家嫡男だったあなたとでは、背負うものが違いました。あなたはただの公爵じゃない。この国を背負う、ウィルダーバーン公爵よ。私一人のために、その未来を曇らせたくなかった。」

 

 ソフィアは当時を思い出したのか、悲しげに眉を寄せる。

 

「それは、私がどうにかすると言ったはずだ。」

 

「ええ、でもあなたのお母様のマリア様も、賛成なさらなかった。臣従する立場のエルトワ家では、公爵家の跡継ぎの伴侶として認めていただくのは難しかった。それに、無理に一緒になっても、人々は好き勝手噂するでしょう。それがあなたの重荷になるのが、怖かったの。」

 

「そんなもの、いくらでも退けてやったのに……!」

 

 声を荒げるエドワード。

 その言葉を聞き、苦しげにソフィアが目を閉じた。


 沈黙が再び訪れる。

 目を閉じたままのソフィアから目を離さないエドワード。やっと見つけた愛する女性の、現在の姿を焼き付けるように。

 

 ソフィアは言うべきか迷うように唇を動かす。そして、息を吸い込むと決意した表情でエドワードへと向き直る。

 

「エドワード、もう一つ大事な話があるの。」

 

 エドワードの片眉が上がる。

 

「ああ、あの娘のことだな?髪の色以外、どう見ても私の生き写しのようだった。つまり、あの娘は私の……」

 

 エドワードは最後の答えを口にできなかった。伺うように、だんだんと声が小さく消えゆく。

 

「ええ、そう……あの子——、


 メリルはあなたとの子です。」

 

 エドワードの呼吸が止まる。

 彼はその言葉を正しく理解しようと天井を見上げた。そして組んでいた足をゆっくり戻し座り直すと、体を前に傾けた。

 

「フィア、すまなかった。」

 

「え……?」

 

 思いがけない言葉に、ソフィアは驚きの声を上げた。

 

「君の苦しみに気づけず、一人にしてしまった。どうか許してほしい。」

 

 頭を下げるエドワード。公爵が頭を下げる事実が、ソフィアを慌てさせる。

 

「顔を上げてください。私が勝手にしたことです。」

 

「いや、君の苦労を考えると、とても償いきれそうにない。どうか、夫として、父として、果たせなかった役目を、今からさせてもらえないだろうか?」

 

 ソフィアを真摯な目で見つめるエドワード。彼の実直さが、ソフィアの肌を撫でるように浸透していく。


「……うッ、」

 

 ソフィアの目がだんだんと潤み、まつ毛を濡らす。手で顔を覆ったソフィアは、嗚咽を堪えるように俯いた。

 

 エドワードは静かに立ち上がると、ソフィアの隣に腰を下ろし、その震える肩を抱く。何も言わず、安心させるように優しく背中を撫でた。

 

 ソフィアはもう、何が正解かわからなかった。十六年隠し続けてきた真実を打ち明け、肩の荷がふっと軽くなる。


 もう一人で強がらなくてもいいかもしれない。


 十六年間探し続けてくれた愛しい人と歩む未来を、自分に許していいのではないか。

 

 ——ソフィアは返事の代わりに、エドワードの腕の中で覆っていた手をそっと下ろすと、その背中に手を回し、頬を寄せた。十六年間、心の奥底で石のように固まっていた恋情が、ゆっくりと溶けていく。

 


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