3.ブローチ
春になると社交シーズンが近づき、モーティス家もその準備に追われていた。
メリルはソフィアと他の侍女とともに、セディの持ち物の整理をしていた。
「お母様、今年も付いて行かれないのですか?」
メリルはハンカチの枚数を数えながら問う。
「そうね、そう指示されてるわ。」
ソフィアはセディの侍女筆頭だ。王都まで同行するのが自然に思えたが、他家の事情を知らないメリルは判断できなかった。
「私はいつか行ってみたいです。」
メリルは王都という華やかな場所へ、年頃の女の子らしい憧れを抱いていた。
「そうね、モーティス城下町をもっと賑やかにした感じかしら?人も建物も比べ物にならないくらいひしめき合ってるの。」
メリルは城下町の密度を上げる想像をしたが、うまくいかなかった。
「そんなに賑やかなのですね。ますます行ってみたくなりました。」
——ふとある考えが浮かんだ。
「王宮で働こうかしら。」
何となく、それが一番王都への近道な気がしてつぶやいた。
「お母様、どう思いますか?」
そう振り返れば、一瞬ソフィアは悲しそうな表情をしたように見えた。だが、はっきりと見たときには微笑んでいて、気のせいだったかと見過ごすことにした。
「もうおしゃべりはやめて手を動かしなさい。」
「はーい。」
メリルはどこまでハンカチを数えたかわからなくなり、最初から数え始める羽目になった。
それからは口を閉じ、黙々と作業をしていると、開かれっぱなしにされたドアを誰かがノックした。
「母上は不在かな?」
イーサンが顔を覗かせる。
「イーサン様」
その場にいた者は手を止め、軽く頭を下げた。
「いや、そのまま続けてくれて構わない。」
「セディ様なら応接室で、お客様とご面会中でございます。」
ソフィアが代表して答える。
「そうか、ありがとう。邪魔をした。」
それだけ言うと、イーサンは去っていった。
メリルはあのダンスの日を境に、イーサンを見るたび緊張感を孕んだ喜びを感じていた。本で読んだ恋物語が、まさか自分の身に起きるなんて、最初は信じられなかった。
イーサンを見ると体がソワソワし、喉が渇き、胸の奥が痺れるように疼く。
その声で名前を呼んで欲しいと願う。
けれど今の彼は、もう自分を見ていない。
メリルは頭を振り、目の前の仕事へと意識を向けた。
いよいよ社交シーズンが目前に迫り、モーティス家は王都へと出発した。
外でお見送りをし、馬車が遠ざかると、ふっと肩の力を抜いた。
「お母様、図書室に行っていいかしら?」
メリルは我慢できない様子で問いかけた。
「まあ、この子ったら。あまり長居せずにね。」
ソフィアは仕方ないというように、腰に手を当てて答える。
「はーい。」
足取り軽く、図書室へと向かった。
メリルは王都行きを漠然と思いついたことで、今まで手に取ったことのない『ルーゼン王国貴族名鑑』を探す。
「あった。」
本棚から抜き出すと、革張りの表紙が手に馴染んだ。
まず初めに王家。ランスロット一世による建国の歴史から始まる。現国王はジェフリー。王宮や大聖堂、そんな見どころが絵に収まっている。紋章は獅子と二本の槍。王家らしい威厳のあるモチーフだ。
王家のページを流し読みし、王国地図が目に留まった。そこから地方紹介のページへ飛ぶ。
北部地方。スレーデン湖の挿絵が目に留まる。自分が名乗るスレーデンの名を冠したその湖は、メリルにとって昔から憧れの場所だ。
「綺麗……」
思わず見入る。スレーデン湖はウィルダーバーン公爵家のページで紹介されていた。ランスロット一世を武で支えた名門貴族だ。ウィルダーバーン家は代々軍事を司り、建国を支えた五貴族の筆頭であり、豊富な水源に恵まれて栄えているという。現当主はエドワード・ウィルダーバーン。ページの隅には大輪の百合と二頭の馬の紋章が描かれている。品があり高潔な印象を受けた。
パラパラとめくり、気になる景勝地を見つけては、手を止め説明文を読む。
「モーティス家は……ここだ。」
南西部を治める伯爵家。穏やかな気候と豊かな農地に恵まれる。現当主アルバート・モーティス。
「知ってることばかりね。」
見慣れた穂麦と太陽の紋章をひとなでし、パタンと閉じる。窓の外を見れば、太陽の位置が真上にある。
「いけない、食事の時間だわ!」
貴族名鑑を本棚にしまうと、いつもより足早に食堂へと向かった。
昼食後、メリルはソフィアに頼まれた裁縫箱を取りに、ソフィアの部屋を訪れていた。
「裁縫箱はたしか……ここね。」
壁に備え付けられているキャビネットを開け、裁縫箱を取り出す。その拍子にゴトッという音と何かが転がる気配がした。
足元を見ると、華美なジュエリーケースの蓋が大きく開き、その横に大きめのブローチが転がっている。
母が普段身につけないほどの豪華な品を目にして、驚いた。メリルは壊れてないかサッと手に取った。見た目以上の重みが手のひらに伝わってくる。
サファイアよりも淡い色の大粒な宝石、その周りを囲むようにダイヤが二重に連なっている。
「もしかしてこれは……蒼天石かしら?」
メリルは思わず息を呑んだ。本の中でしか目にしたことのない希少な宝石。その名の通り、澄みきった空を閉じ込めたような淡い青色をしていると書かれていた。
「なんて美しいの——」
メリルは検分するようにいろんな角度から眺めた。傷は見当たらない。裏返すと、そこには先ほど図書室で目にした大輪の百合と二頭の馬の紋章が彫られていた。
「これって……ウィルダーバーン公爵家の紋章?」
なぜ母がこれを持っているのか、小さな違和感が芽生えたが、メリルはそれを振り払うかのようにジュエリーケースにしまい直した。後で母に聞けばいい。今は考えないことにして、キャビネットの中へ納めた。




