25.婚約
それからひと月、正式な婚約へと進むためにアルバートとセディ、イーサンがウィルダーバーン家を訪問する日がやってきた。
メリルは自室で何度も鏡を見ていた。指先で髪を整え、左右に顔を向け、おかしな点がないかと確認する。
「メリル様、お綺麗ですよ。」
侍女の言葉も耳に入らない。
メリルが身に纏ったのは、柔らかなジョーゼット生地で仕立てられたスモーキーピンクのドレスだった。首元は控えめな立襟となっており、肩から流れるベルスリーブは薄く透け、動くたびに風を孕んで優雅に揺れる。
胸下で切り替えられたエンパイアラインのスカートは、裾へ向かってすとんと落ち、飾り立てることなくシンプルな美しさがあった。
派手さはない。けれど、淡く霞んだ薔薇色は、明るい赤毛と空色の瞳をいっそう柔らかく映し出していた。
姿見の前で体を左右に振ってドレスを揺らす。
両手で頬を包み、今か今かと待ち侘びていた。
コンコン
ノックの音に体が跳ねる。
「お嬢様、そろそろ応接室までいらしてください。」
ヨーゼフが、間もなくモーティス家を迎える時刻であることを知らせに来た。
メリルは緊張を帯びて動かしにくくなった足を踏み出し、応接室へと向かった。
応接室にはすでに、エドワード、ソフィア、マリアが揃っていた。
エドワードは新聞から顔を上げ、ふっと優しい眼差しを向ける。
「よく似合っている。」
「ありがとうございます。」
メリルは小さく頭を下げると、ソフィアの隣へ腰を下ろした。
静かな部屋に、柱時計の振り子だけが規則正しく時を刻んでいる。
その音を聞くたびに、胸の鼓動まで速くなるようだった。
コンコン。
「旦那様。モーティス伯爵ご一家がご到着されました。」
「お通ししなさい。」
エドワードの一言に、ヨーゼフは恭しく一礼する。
ほどなくして扉が開かれ、アルバート、セディ、そしてイーサンが応接室へと足を踏み入れた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
先頭に立つアルバートが丁重に一礼する。
「よく来てくださった。」
エドワードも立ち上がり、その礼を受ける。
当主同士の挨拶が交わされ、続いてセディとソフィア、マリアがそれぞれ言葉を交わした。
その間、メリルは膝の上で手を重ねたまま、視線を上げることができない。
けれど、目の前まで近づいてきた足音だけははっきりと耳に届いていた。
「イーサン・モーティスでございます。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます。」
聞き慣れた声。
メリルはゆっくりと顔を上げた。
「……。」
視線が重なる。
騎士となったイーサンは、濃紺の騎士服に身を包み、胸には銀色の騎士章が静かに輝いていた。
以前よりも少し日に焼けた横顔は凛々しさを増し、まっすぐに伸びた背筋からは揺るぎない自信が感じられる。
その姿に、メリルはぎゅっと手を握る。
(素敵……。)
イーサンもまた、一瞬だけ柔らかく目を細めたが、すぐに表情を正した。
一通りの挨拶を終えると、全員が席に着いた。
用意された紅茶と菓子が運ばれ、穏やかな歓談が始まる。
アルバートとエドワードは領地の話を交わし、セディとソフィアも近況を語り合う。
そんな中、アルバートは静かに切り出した。
「本日は、正式に婚約のお許しをいただきたく参りました。」
応接室の空気が少しだけ引き締まる。
エドワードは一度メリルへ目を向け、それからゆっくりと頷いた。
「こちらとしても異存はありません。」
その言葉に、アルバートも穏やかに微笑む。
「ありがとうございます。」
穏やかな空気が戻る中、ソフィアが二人へ視線を向ける。
「あなた。」
エドワードがソフィアを見る。
「せっかくですもの。メリルにお庭を案内させてはいかがでしょう。」
エドワードはメリルとイーサンを見比べ、小さく頷いた。
「そうだな。」
そして、娘へ穏やかな声を向ける。
「メリル、イーサン殿を案内してきなさい。」
「はい、お父様。」
メリルは立ち上がる。
イーサンも静かに席を立ち、エドワードたちへ一礼した。
「失礼いたします。」
応接室を出るまで、二人は礼節を崩さない。
扉が静かに閉まる。
ようやく二人きりになった廊下には、どこか張り詰めた沈黙が流れていた。




