21.縁談
春の社交シーズンも終盤に差しかかる頃、公爵邸には今年も山のような縁談が届いていた。
昨年だけでも相当な数だったというのに、公爵令嬢としての地位が定着し、王妃のお気に入りとして名が知れ渡った今年は、その数がさらに増えている。
執務室の机には、家柄や経歴をまとめた書類が幾重にも積み上げられていた。
エドワードは一枚一枚目を通しながら、静かに息を吐く。
「……そろそろ決断しなければならないな。」
向かいに座るマリアが紅茶を口に運びながら視線を向けた。
「やっと手放す気になりましたか。」
その言葉に、エドワードは苦笑する。
「いや。できることなら、まだ手元に置いておきたい。」
その表情は父親そのものだった。しかし、すぐに公爵としての顔へ戻る。
「そうも言っていられなくなりました。キース殿下がメリルを気に入っておられる。」
マリアの眉がわずかに動く。
「噂は耳にしてます。第二王子に動きがあったんですか?」
「いえ。ただ、あちらが本格的に動かれる前に、こちらが先手を打たなければなりません。」
「……厄介なことですね。」
マリアは積み上げられた書類へ視線を落とした。
「分かりました。候補者はこちらで改めて選別いたしましょう。」
「お願いします。」
エドワードは頷くと、隣に座るソフィアへ視線を向けた。
「フィア。君はメリルの意向を聞いてくれないか。」
「分かりました。」
ソフィアは机に置かれた書状をまとめると、エドワードに向けてしっかりと頷いた。
***
夕暮れの柔らかな陽射しが部屋を橙色に染めていた。
ノックの音に、メリルは本を閉じる。
「どうぞ。」
扉が開き、ソフィアが穏やかな笑みを浮かべて入ってきた。
「少しいいかしら。」
「もちろんです、お母様。」
二人は窓辺のソファへ腰を下ろした。
しばらく他愛ない話をしたあと、ソフィアはゆっくりと切り出す。
「メリル。これまでたくさんの方とお会いしたでしょう?」
「はい。」
「その中で、いいなと思う方はいなかった?」
メリルは小さく首を横に振る。
「……いません。」
「そう。」
ソフィアは優しく微笑む。
「じゃあ、気になっている方は?」
その問いに、メリルの心臓が小さく跳ねた。
脳裏に浮かんだのは、ただ一人。栗色の髪。真っ直ぐで誠実な眼差し。幼い頃からずっと隣にいた、大切な人。
(……イーサン)
けれど、その名前を口にすることはできなかった。もし今、イーサンの名を告げたら、お父様はきっと動くだろう。モーティス家へ話を持ちかけ、縁談は一気に進んでしまうかもしれない。
でも、それでは駄目だ。イーサンの気持ちを無視することになる。公爵家の力で彼を縛るようなことだけは、したくなかった。
「……メリル?」
ソフィアの優しい声に、メリルはゆっくりと顔を上げた。
「この件は、お父様にお任せします。」
一度言葉を切り、小さく微笑む。
「公爵家に相応しいお方でしたら、構いません。」
ソフィアは娘を静かに見つめた。
「……そう。」
メリルの瞳の奥に浮かぶ悲しみに、母としてやりきれない思いが込み上げる。
「分かったわ。でももし…、心に思う人がいるなら、私には教えてちょうだい。」
メリルは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「……はい。」
***
その夜。
寝室でブランデーを呷ったエドワードがソフィアへ尋ねる。
「どうだった?」
ソフィアはベッドへ腰掛け振り向いた。
「あなたに任せるそうよ。」
エドワードは苦く笑う。
「責任重大だな。」
「ええ……。」
ソフィアは目を伏せ、布団へと手を伸ばした。
「でも……。」
エドワードはそっとグラスをテーブルへ置く。
「でも?」
ほんの一瞬、ソフィアは迷った。あの子の胸には、もう答えがある。けれど、それを今伝えてしまえば、エドワードは必ず動く。
それでは、あの子たちの未来を親が決めてしまう。
「……いえ、なんでもありません。」
そう言ってベッドに入り、布団を肩まで引き上げ背中を向けた。
エドワードはしばらく妻の背中を見つめ、小さくため息をつく。
「気になるが……聞いても答えてくれそうにないな。」
返事はない。
寝室には静かな夜だけが流れていた。




