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金星の約束  作者: ロンネ


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21/27

21.縁談

 春の社交シーズンも終盤に差しかかる頃、公爵邸には今年も山のような縁談が届いていた。

 昨年だけでも相当な数だったというのに、公爵令嬢としての地位が定着し、王妃のお気に入りとして名が知れ渡った今年は、その数がさらに増えている。

 執務室の机には、家柄や経歴をまとめた書類が幾重にも積み上げられていた。

 エドワードは一枚一枚目を通しながら、静かに息を吐く。

「……そろそろ決断しなければならないな。」

 向かいに座るマリアが紅茶を口に運びながら視線を向けた。

「やっと手放す気になりましたか。」

 その言葉に、エドワードは苦笑する。

「いや。できることなら、まだ手元に置いておきたい。」

 その表情は父親そのものだった。しかし、すぐに公爵としての顔へ戻る。

「そうも言っていられなくなりました。キース殿下がメリルを気に入っておられる。」

 マリアの眉がわずかに動く。

「噂は耳にしてます。第二王子に動きがあったんですか?」

「いえ。ただ、あちらが本格的に動かれる前に、こちらが先手を打たなければなりません。」

「……厄介なことですね。」

 マリアは積み上げられた書類へ視線を落とした。

「分かりました。候補者はこちらで改めて選別いたしましょう。」

「お願いします。」

 エドワードは頷くと、隣に座るソフィアへ視線を向けた。

「フィア。君はメリルの意向を聞いてくれないか。」

「分かりました。」

 ソフィアは机に置かれた書状をまとめると、エドワードに向けてしっかりと頷いた。


***


 夕暮れの柔らかな陽射しが部屋を橙色に染めていた。

 ノックの音に、メリルは本を閉じる。

「どうぞ。」

 扉が開き、ソフィアが穏やかな笑みを浮かべて入ってきた。

「少しいいかしら。」

「もちろんです、お母様。」


 二人は窓辺のソファへ腰を下ろした。

 しばらく他愛ない話をしたあと、ソフィアはゆっくりと切り出す。

「メリル。これまでたくさんの方とお会いしたでしょう?」

「はい。」

「その中で、いいなと思う方はいなかった?」

 メリルは小さく首を横に振る。

「……いません。」

「そう。」

 ソフィアは優しく微笑む。

「じゃあ、気になっている方は?」

 その問いに、メリルの心臓が小さく跳ねた。

 脳裏に浮かんだのは、ただ一人。栗色の髪。真っ直ぐで誠実な眼差し。幼い頃からずっと隣にいた、大切な人。

(……イーサン)

 けれど、その名前を口にすることはできなかった。もし今、イーサンの名を告げたら、お父様はきっと動くだろう。モーティス家へ話を持ちかけ、縁談は一気に進んでしまうかもしれない。

 でも、それでは駄目だ。イーサンの気持ちを無視することになる。公爵家の力で彼を縛るようなことだけは、したくなかった。


「……メリル?」

 ソフィアの優しい声に、メリルはゆっくりと顔を上げた。

「この件は、お父様にお任せします。」

 一度言葉を切り、小さく微笑む。

「公爵家に相応しいお方でしたら、構いません。」

 ソフィアは娘を静かに見つめた。

「……そう。」

 メリルの瞳の奥に浮かぶ悲しみに、母としてやりきれない思いが込み上げる。

「分かったわ。でももし…、心に思う人がいるなら、私には教えてちょうだい。」

 メリルは少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「……はい。」


***


 その夜。

 寝室でブランデーを呷ったエドワードがソフィアへ尋ねる。

「どうだった?」

 ソフィアはベッドへ腰掛け振り向いた。

「あなたに任せるそうよ。」

 エドワードは苦く笑う。

「責任重大だな。」

「ええ……。」

 ソフィアは目を伏せ、布団へと手を伸ばした。

「でも……。」

 エドワードはそっとグラスをテーブルへ置く。

「でも?」

 ほんの一瞬、ソフィアは迷った。あの子の胸には、もう答えがある。けれど、それを今伝えてしまえば、エドワードは必ず動く。

 それでは、あの子たちの未来を親が決めてしまう。

「……いえ、なんでもありません。」

 そう言ってベッドに入り、布団を肩まで引き上げ背中を向けた。


 エドワードはしばらく妻の背中を見つめ、小さくため息をつく。

「気になるが……聞いても答えてくれそうにないな。」

 返事はない。

 寝室には静かな夜だけが流れていた。

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