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金星の約束  作者: ロンネ


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19/27

19.剣技大会

 メリルにとって二度目となる社交シーズンを目前に控えた、春。王都の競技場では、二年に一度の王国剣技大会が幕を開けようとしていた。地方予選を勝ち抜いた剣士や王国騎士団の代表たちが、一対一のトーナメントで王国最強の座を競う。


 王族も臨席する、国を挙げての行事である。代々軍事を司るウィルダーバーン公爵家は、主催に名を連ねる立場だ。エドワード、ソフィア、メリル、そしてマリアの四人は、競技場に着くなり王家の貴賓席へと案内された。


「ようこそ、公爵。今日は世話になるね。」


 貴賓席では、キースが立ち上がって一家を迎えた。


「殿下自らのお出迎え、恐れ入ります。」


「堅苦しいのはなしにしよう。今日は剣を楽しむ日だ。」


 席次は、おのずと定まっていく。王族の並びの末席にキース、その隣に、公爵家の並びの先頭としてメリル。誰が計らったわけでもない、格式どおりの配置だった。


 着席した途端、眼下の観客席から無数の視線が向けられるのを感じる。扇の陰のささやきまでは届かない。それでも、何を話しているのかは分かる気がした。


 (……見られている。)


 メリルは背筋を伸ばし、扇を開いた。マリア仕込みの姿勢は、もう崩れない。


「公爵は開会の観閲があるだろう。ご家族は私が退屈させないから、安心して行ってくるといい。」


「恐れ入ります。では、失礼して。」


 エドワードは一礼し、係の者と共に席を離れた。主催側の公爵は、観閲だ挨拶だと、何かと忙しいらしい。


 メリルは手渡された出場者一覧へ視線を落とす。


 ——イーサン・モーティス。


 その名を見つけた瞬間、胸がどくりと鳴った。思わず、何度も見返してしまう。


 騎士見習いとして努力を重ねていることは聞いていた。けれど、王国剣技大会という大舞台に立つ姿を見るのは初めてだ。


 嬉しい。それ以上に、心配だった。


 (どうか、怪我だけはしませんように……。)


「メリルは、剣技大会は初めて?」


 隣から声を掛けられ、メリルは一覧から顔を上げた。


「はい、殿下。恥ずかしながら、観戦の作法も存じませんの。」


「作法などないよ。強い者に拍手を、敗れた者にはより大きな拍手を。それだけだ。」


「まあ。では、敗れた方がお得ですのね。」


「はは、そう来たか。」


 キースは楽しげに目を細める。相変わらず、話していて息の詰まらない方だと思う。受け答えのひとつひとつに、失礼のないよう心を配る——それが、公爵令嬢メリルのいつもの姿だった。


 開会の宣言が響き、競技が始まった。


 剣がぶつかる鋭い音と歓声が、競技場を満たしていく。勝者が決まり、敗者が去る。その繰り返しを見守りながらも、メリルの心はどこか落ち着かない。


 観閲を終えたエドワードが席へ戻った、ちょうどその時だった。


「次の試合、イーサン・モーティス!」


 その名が、高らかに告げられる。


「メリルは、どの剣士が——」


「……はい。」


 キースの問いに返したはずの声は、自分でも分かるほど上の空だった。身体が競技場のほうへ向き、組んだ両手に力がこもる。


 姿を現したイーサンは、一年前よりさらに引き締まって見えた。騎士見習いの制服に身を包み、無駄のない足取りで中央へ進む。対戦相手と向かい合うその姿は、モーティスで見送ったあの日よりも、ずっと大人びていた。


 隣ではソフィアも、祈るような面持ちで見守っている。


 ——反対隣で、キースが問いの続きを口にしなかったことに、メリルは気づいていなかった。彼の視線が、手すりを掴まんばかりに乗り出した公爵令嬢の横顔へ、しばし注がれていたことにも。


「始め!」


 合図と同時に、二人が一斉に踏み込む。


 激しい金属音が響き渡った。


 一合。


 二合。


 三合。


 息をつく間もなく剣が交わされる。


 (頑張って……。)


 願いが届いたかのように、イーサンが相手の剣を弾き返す。次の瞬間、一歩深く踏み込み、鋭く突き出した剣先が相手の喉元でぴたりと止まった。


「勝者、イーサン・モーティス!」


 競技場に拍手が湧き起こる。


 メリルは胸を撫で下ろした。


「よかった……。」


 小さな呟きに、ソフィアも安堵の微笑みを返す。


 イーサンは一礼すると、何事もなかったかのように競技場を後にした。


「……良い剣士だな。」


 ぽつりと、キースが言った。


「え?」


「型に驕りがない。ああいう剣は、見ていて気持ちがいい。」


 それだけ言うと、キースは次の試合へと目を戻した。メリルも「ええ、本当に」とだけ返し、それきり口をつぐむ。頬が熱いのは、きっと春の日差しのせいだ。


 二回戦。


 相手は先ほどよりも手強そうだった。


 何度も剣がぶつかり合い、会場からどよめきが起こる。押されているように見えた——だがイーサンは一歩退いて体勢を立て直すと、次の瞬間、鋭く踏み込んだ。


「勝者、イーサン・モーティス!」


 ひときわ大きな拍手が沸き起こった。


 メリルの表情がぱっと明るくなる。


「二回も……!」


 見習い騎士がここまで勝ち進むのは珍しいのだろう。観客席のあちこちから感嘆の声が聞こえてくる。


「……ほう。」


 隣の列から、低い声が漏れた。


 振り向けば、エドワードが腕を組んだまま競技場を見つめている。その眼差しは先ほどまでとは違い、興味を引かれたようにイーサンを見据えていた。


 そして迎えた、三回戦。


 対戦相手が姿を現した瞬間、競技場の空気がわずかに変わった。


「前大会の準優勝者だ。」


 誰かの声が客席から聞こえる。メリルの胸が、ざわりと騒いだ。


 中央で向かい合う直前——イーサンの視線が、ほんの一瞬だけ貴賓席のほうへ流れた。気のせいと言われれば頷いてしまいそうな、それほど短い一瞥。けれど確かに、こちらを見た。


 (イーサン……?)


 問いかける間もなく、彼はもう剣を構えている。


 試合が始まると、これまで以上に激しい攻防が続いた。


 イーサンも一歩も引かない。何度も剣を交え、互いに譲らぬまま時間だけが過ぎていく。


 (頑張って……。)


 祈るように見つめた、その時だった。


 甲高い音が競技場に響き、イーサンの剣が大きく弾かれる。体勢を立て直すより早く、相手の剣先が喉元へ突きつけられた。


「そこまで!」


 審判の声。


 一瞬の静寂。


 そして、競技場は大きな拍手に包まれた。


 イーサンはわずかに眉根を寄せ、一度だけ目を閉じる。息を整え、剣を収めると、相手へ深く一礼した。その姿にもまた、惜しみない拍手が送られる。


 メリルも、立ち上がりそうになる勢いで拍手を送った。


 負けてしまった。相手が、ただ強かった。それでも最後まで、堂々とした立派な試合だった。


 ***


 休憩の間、貴賓席には菓子と茶が運ばれた。


 眼下の観客席では、夫人たちの扇がこちらを向いては、また戻る。


「ご覧になって。殿下のお隣……。」


「ウィルダーバーンの姫君でしょう。まあ、なんてお似合いなこと……。」


 風の加減か、切れ切れの声が届いてしまう。メリルは聞こえないふりをして、茶器へ目を落とした。否定のしようもない。ここで席を立てば、それこそ角が立つ。


 (……並んで、座っているだけなのに。)


 誰も、悪いことなど何ひとつしていない。それなのに、自分の外側で何かが少しずつ形を成していく——その気配だけが、うなじのあたりに残った。


 ***


 競技終了後、入賞者の発表が行われた。


「第八位——イーサン・モーティス!」


 競技場に再び拍手が響く。


「見習い騎士で八位入賞か。」


「末恐ろしいな。」


「モーティス家の次男だったか。」


 あちこちで囁きが交わされる。メリルは両手を頬に添えた。


「イーサン……。」


 負けたことばかりが頭に残っていた。けれどそれは、王国でも八人しか残れなかったということ。誇らしさが、身体中に広がってゆく。


 表彰の列に並ぶイーサンは、落ち着いた表情で前を向いていた。悔しさはきっと残っている。それでも胸を張って立つ姿は、誰よりも凛々しく見えた。


 公爵邸へ戻っても、メリルの高揚はなかなか冷めなかった。自室の窓辺に立ち、そっと目を閉じる。


 今日の競技場。真っ直ぐに剣を構える姿。勝利のたびに沸き起こった歓声。そして、敗れてなお胸を張って礼をする姿。


 自然と頬が緩む。


 (イーサン……本当に素敵だった。)


 幼い頃から知っているイーサンとは、もう違う。努力を積み重ね、騎士への道をひたむきに歩むその姿に、メリルの胸は熱く焦がれていた。

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