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金星の約束  作者: ロンネ


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18/27

18.噂話

 マリアの執務室の机には、山のように積まれた縁談の書状が並んでいた。

 ソフィアは一通ずつ目を通しながら、小さく息をつく。

「こちらは侯爵家のご嫡男。家格は申し分ありませんね。」

 マリアも頷く。

「ですが、領地経営の評判が今ひとつです。見送りましょう。」

 ソフィアは次の書状を開けた。

「こちらは?」

「伯爵家ですが、年齢が三十五歳。」

「ずいぶん離れていますね。」

「論外です。」

 ソフィアはさらに一通手に取る。

「こちらは人柄は悪くないようですが……。」

「財政が不安定です。」

 二人が淡々と選別をつづけていると、ノックの音が来訪者を伝えた。

「母上、エドワードです。入ってもよろしいか?」

「どうぞ。」

 マリアは鼻梁に掛けていた老眼鏡を外し、机へ置いた。

 現れたエドワードは上着の前を軽く開きながら、机に置かれた書状へ目をやった。

「何をしているんだ?」

「メリルへの縁談です。」

 ソフィアが苦笑する。

「毎日のように届くんですよ。」

 エドワードは一番上の書状を手に取り、一瞥した。

「……全て断りなさい。」

 ソフィアが目を丸くする。

「まあ、全部ですか?」

「当然だ。」

 マリアが呆れたようにため息をつく。

「いつまでも囲っておけませんよ。」

 エドワードは静かに椅子へ腰掛けた。

「社交界へ出たばかりだ。まだ誰を選ぶ必要も、選ばせる必要もない。メリルには、もっと広い世界を見せたい。婚姻は、その後でも遅くない。」


マリアはしばらく黙っていたが、小さく頷く。

「……その考え自体には賛成です。ですが、全て断れば、求婚を望む家から反感も買います。」

「承知の上だ。」

 エドワードは即答する。

「やっとこうして家族になったのだ。誰にも邪魔はさせぬ。」

 ソフィアは困ったように微笑みながらも、その横顔をどこか嬉しそうに見つめていた。


 その日を境に、公爵家へ届く縁談は一つ残らず丁重に断られていった。

 メリルもまた、公爵令嬢としての日々を懸命に歩み続ける。数え切れないほどの夜会や茶会へ出席し、少しずつ社交界へ溶け込んでいった。最初は緊張で強張っていた笑顔も、今では自然に貴族たちと言葉を交わせるまでになっている。

 

 マリアの厳しい指導は変わらなかったが、「よろしい」と頷くことは以前より増えた。

 

 夜会では、キース第二王子と顔を合わせる機会も少なくなかった。その度に気さくに声を掛けられ、時にはダンスへ誘われることもある。

 聞き上手で褒め上手、人との距離の縮め方も実に自然だ。女性たちの人気が高い理由を、メリルも少しずつ理解していった。

 

 エドワードは相変わらず縁談を退け続け、そのたびにマリアへ呆れられ、ソフィアは苦笑していた。

 それでも夕食の席には笑い声が絶えず、四人は少しずつ、本当の家族になっていく。

 メリルもまた、もう自分を「侍女の娘」だとは思わなくなっていた。

 ウィルダーバーン公爵家の長女として。

 そして、一人の娘として。

 メリルの社交界デビューはこうして幕を閉じた。

 

***


 王宮騎士団の訓練場には、朝から木剣の打ち合う音が響いていた。ひと通りの鍛錬を終えた騎士たちは休憩所へ集まり、水を飲みながら思い思いに言葉を交わしている。


「聞いたか?」

 若い騎士が声を潜める。

「何をだ?」

「キース殿下が次に狙ってる女性。」

「またか。」

 周囲から苦笑が漏れた。

「今度は誰なんだ?」

「ウィルダーバーン公爵令嬢らしい。」

 その名に、木剣を拭いていたイーサンの手が止まる。

「例の、公爵が十六年探し続けた娘か。」

「ああ。帰国祝いの夜会で一曲踊ったんだと。」

「見ていた奴が言うには、まるで絵画だったらしい。」

「美男美女で、本当にお似合いだったってさ。」

「以前ほど女性を取っ替え引っ替えという話も聞かなくなったな。」

「その代わり、ウィルダーバーン公爵令嬢が出席する夜会では、よく殿下のお姿を見かけるって聞いたぞ。」


 何気ない噂話だった。

 だが、その言葉だけはイーサンの目の前を暗くさせる。メリルが第二王子と踊った。王族からの誘いを断れないことも、公爵令嬢となった今では当然のことも理解している。それでも、「お似合いだった」という一言が、みぞおちを押しつぶす。


 第二王子。


 王族という揺るぎない身分。優れた容姿に、人を惹きつける話術。外交を任されるほどの器量を持ち、多くの令嬢の憧れを集める存在。

 対して自分は、騎士として歩み始めたばかりだ。

 イーサンは木剣を強く握りしめ、あえて自分を痛めつけた。


「イーサン。」

 名を呼ばれ、顔を上げる。

「次、お前だ。」

「はい。」

 木剣を手に取り、訓練場の中央へ歩み出る。

 構えた瞬間、雑念は消えた。

 踏み込む。

 振り下ろす。

 受け流す。

 再び踏み込む。

 木剣同士が激しくぶつかり合い、乾いた音が響く。

 教官は何度も頷いた。

「いい踏み込みだ。」

 だが、イーサンは止まらない。

 一撃ごとに迷いを振り払うように木剣を振るう。

 剣しかない。騎士として功績を積み、この国に必要とされる存在になる。

 それが、メリルの隣へ立つために自分が選んだ道だった。


 訓練が終わる頃には、制服は汗で重くなっていた。

 荒い呼吸を整えながら木剣を握り直す。

 ——負けるものか。

 誰にも聞こえないほど小さく胸の内で呟き、イーサンは再び教官へ視線を向けた。


 春に行われる王国剣技大会。

 そこで結果を残す。

 その一心で、イーサンは再び木剣を構えた。

 

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