17.社交界
王宮でのお披露目を皮切りに、公爵家には毎日のように招待状が届いた。伯爵家の夜会、侯爵家の晩餐会、公爵夫人主催のお茶会――。最初は緊張していたメリルも、回を重ねるごとに自然と笑顔で挨拶を交わせるようになっていった。
王妃主催のお茶会にも招かれた。穏やかな笑みを浮かべる王妃は噂どおり聡明な方で、緊張していたメリルにも優しく声を掛けてくださった。
「またお会いしましょうね。」
その一言が、メリルの自信になった。
『キース第二王子が外交の任を終えられ、帰国披露の王宮夜会が開かれる。』
エドワードから聞かされ三日。今日がその日だ。
侍女たちの手によって身支度を終えたメリルは、姿見の前で静かに息をのんだ。
深い紫のドレスは赤みを帯びた艶やかな色合いで、明るい赤毛と溶け合うような美しいグラデーションを描いている。胸下で切り替えられた身頃はすっきりと身体の線を引き立て、その下から幾重にも重なるドレープが優雅に広がっていた。
切り替え部分から裾へ向かって、銀糸の刺繍が一本ずつ等間隔に流れ落ちている。蔦が伸びるようにも、夜空から降る流星のようにも見えるその刺繍は、下へ行くにつれて少しずつ大きく、密になり、裾では無数の星々が煌めくかのような華やかさを生み出していた。
ゆるやかに結い上げられた明るい赤毛には、銀細工にダイヤモンドをあしらった髪飾りが繊細な輝きを添える。小さな花々と葉を模した意匠は、動くたびに光を受けて静かに瞬き、耳元で揺れる揃いのイヤリングと美しく調和していた。
胸元には雫形の蒼天石が一粒。紫のドレスの中で澄み渡る青がひときわ鮮やかに映え、空色の瞳を映し返すように静かに輝いている。
侍女は満足そうに微笑み、小さく頷いた。
「本当によくお似合いでございます、メリル様。」
姿見に映る自分は、もうモーティス伯爵家の庭を駆け回っていた少女ではなかった。
少しだけ大人びた、公爵令嬢メリル・ウィルダーバーンが、そこに立っていた。
「メリル。」
エドワードは娘の姿を一目見ると、小さく微笑んだ。
「よく似合っている。」
「ありがとうございます、お父様。」
「今日はキース第二王子殿下とお会いするだろう。」
「どんなお方なのですか?」
「悪いお方ではない。」
エドワードは少し考えるように言葉を選んだ。
「だが、女性関係はあまり褒められたものではない。」
メリルが驚いて目を丸くする。
「女性に人気がある分、ご本人もその気がある。恋人を作っては別れ、また新しい女性と噂になる。そういう話は昔から絶えん。」
「そうなのですか……。」
「だから、甘い言葉を真に受ける必要はない。」
メリルは神妙に頷き、今日の夜会では気を抜かないよう固く手を握った。
二度目となる王宮の大ホールは、前回と違い若い令嬢の姿が目立っていた。色とりどりのドレスが咲き誇り、会場全体が華やいで見える。
「お父様、今日は令嬢が多いですね。」
「当然だ。」
エドワードは視線を巡らせ頷く。
「今日の主役は未婚の第二王子だからな。」
なるほど、と小さく呟く。こんなにたくさんの女性から注目されているのなら、きっと素敵な方なんだろう。
ふと、会場の真ん中で人だかりができているのが目に入る。
(何だろう)
そんなメリルに気がついたエドワードが、メリルの耳元でそっと囁く。
「あそこにいらっしゃるのがキース殿下だ。」
メリルは顎を上げてよく見ようとした。だが、周りの人垣に阻まれて叶わなかった。
「まずは挨拶を済まそうか。」
エドワードに促され、王の御前へと歩みを進めた。
王への挨拶を終えたエドワードとメリルが顔を上げると、王妃が優雅に微笑んだ。
「メリル、少しこちらへいらっしゃい。」
「はい。」
王妃に促され歩み寄ると、その傍らには一人の青年が立っていた。
艶のある黒髪を後ろへ流し、整った顔立ちには余裕を感じさせる笑みが浮かんでいる。堂々とした立ち姿は、数多くの視線を浴びてもなお揺らぐことがない。
「キース。」
王妃が穏やかな声で呼ぶ。
「こちらが先日お話しした、ウィルダーバーン公爵家のご息女、メリルさんよ。」
青年はゆっくりと振り返った。
紫のドレスを纏うメリルを一目見たその瞬間、わずかに目を見開く。
「これは見事だ。」
楽しげに笑みを深めると、一歩近づき、メリルの前で優雅に一礼した。
「初めまして。キースと申します。」
キースはメリルの手を優しく取った。
「お会いできて光栄です。」
そう言って、流麗に手の甲へ軽く口づけを落とす。
突然のことに胸が小さく跳ねる。それでもメリルは表情を変えることなく、静かに微笑んだ。
「初めまして、キース殿下。メリル・ウィルダーバーンと申します。ご無事のご帰還、心よりお慶び申し上げます。」
メリルが臆することなく挨拶を返すと、一瞬キースの片眉が上がった。
「キース。」
王妃が苦笑混じりに名を呼ぶ。
「母上、これはご挨拶ですよ。」
「あなたはいつもそう言うのですから。」
少し離れた場所で見守っていたエドワードは、静かに額へ手を当てた。
「メリル嬢、一曲お願いしても?」
メリルは逡巡した。今までの夜会ではエドワードが巧くかわしていたが、王族からの誘いを断るわけにはいかない。
「はい、喜んで。」
キースは柔らかく微笑むと、そっとメリルの手を取り、ホール中央へと導いた。
二人が中央へ立った瞬間、それに気づいたオーケストラが優美なワルツを奏で始める。
「失礼します。」
腰へ添えられた大きな手は驚くほど自然で、もう片方の手は優しく包み込むようだった。
「よろしくお願いいたします。」
音楽に合わせ、一歩踏み出す。
(すごい……。)
まるで体が音楽に乗せられていくようだった。次にどこへ進めばいいのか考える必要がない。ただ身を委ねるだけで、自然と足が動いていく。
それほどまでにキースのリードは滑らかだった。
「お上手ですね。」
思わず零れた言葉に、キースが楽しそうに目を細める。
「外交先では、嫌というほど踊らされますから。」
その答えに、メリルは小さく笑った。
自然と肩の力が抜ける。ダンスは元々好きだった。公爵家でのレッスンも、楽しいと思える数少ない授業の一つだ。気づけば自然と笑みが浮かんでいた。
「……なるほど。」
「?」
「笑った方が、ずっとお綺麗だ。」
さらりと告げられた言葉にも、メリルは慌てることなく微笑みを返す。
「ありがとうございます。」
「その落ち着きも見事です。」
こんな言葉を、何人の女性へ掛けてきたのだろう。そんなことを思いながらも、不思議と嫌な気はしなかった。
やがて曲が終わる。
キースは最後まで優雅に礼を取り、再びメリルの手を取ってエドワードのもとまで送り届けた。
「ありがとうございました。」
「こちらこそ。楽しい時間でした。」
キースは軽く会釈すると、その場を離れていく。
「見ました?今のキース殿下とウィルダーバーン公爵令嬢の——」
「とてもお似合いね。」
その様子を周りで見ていた夫人たちのさざめきが、本人たちの知らぬ間に広がってゆく。
エドワードはすぐにメリルへ歩み寄った。
「何か言われたか。」
「たくさん、お褒めいただきました。」
「……やはり。」
苦笑混じりに呟く父へ、メリルはくすりと笑う。
「お父様、心配なさらないでください。」
エドワードは娘を見つめる。
「隙は見せませんから。」
その言葉に、エドワードは小さく頷いた。娘は思っていた以上にしっかりしている。それでも――。
(問題は、あちらがどこまで巧みかだ。)
そんな不安だけは、拭えなかった。




