16.お披露目
ジョシュアの婚礼を終えたメリルは、再びウィルダーバーン公爵家へ戻った。
社交界デビューの日が近づくにつれ、令嬢としての学びは一層深まっていく。礼儀作法やダンスはもちろん、王国の有力貴族や家系、社交界での立ち振る舞いまで、覚えるべきことは尽きなかった。
マリアから厳しくも愛情のある指導を受けながら、メリルは公爵令嬢として胸を張って社交界へ立てるよう、日々努力を重ねていった。
そして、いよいよメリルの社交界が始まる。
侍女たちの手によって身支度を終えたメリルは、姿見の前で小さく息をのんだ。
純白のドレスには、金糸で蔦を描くような繊細な刺繍が施され、裾へ向かうにつれて若葉色へと溶け込む淡いグラデーションが広がっている。その色合いは春風に芽吹く若葉のように柔らかく、歩くたびに軽やかに揺れた。
明るい赤毛はゆるやかなハーフアップに結われ、後ろには白百合の髪飾りが咲いている。百合を彩る金細工がさりげなく光を受け、気品ある華やかさを添えていた。
胸元には雫形の蒼天石が静かに輝き、耳元で揺れる揃いのイヤリングは、空色の瞳を映したかのように澄み切っている。
侍女が満足そうに頷いた。
「よくお似合いでございます、メリル様。」
照れくさそうに微笑んだメリルは、そのままソフィアの部屋へ向かった。
ノックをして扉を開ける。
「お母様。」
振り返ったソフィアは、一瞬言葉を失った。目を細め、ゆっくりとメリルへ歩み寄る。
「……綺麗。」
それ以上の言葉は出なかった。頬にそっと手を添え、愛おしそうに見つめる。
「本当に、大きくなったのね。」
「ありがとうございます。」
照れ笑いを浮かべたその時、部屋の扉が控えめに叩かれた。
「フィア、メリル。そろそろ出発の時間だ。」
エドワードだった。
「どうぞ。」
部屋へ入ってきたエドワードは、メリルの姿を見たまま静かに立ち止まる。その瞳がわずかに見開かれた。
「……よく似合っている。」
声にはどこか誇らしさが滲んでいた。
「こんな姿を見せたら、ますます放ってはおかれないな。」
ソフィアがくすりと笑う。
「それが社交界デビューというものです。」
「分かってはいるんだが……。」
メリルの表情も自然と綻ぶ。
「ありがとうございます、お父様。」
「では、行こう。」
「はい。」
こうしてメリルは新たな世界への一歩を踏み出した。
王宮で開かれる夜会。煌びやかなシャンデリアが大広間を照らし、色とりどりのドレスを纏った令嬢や、正装に身を包んだ紳士たちが優雅に語らっている。
会場入口で、エドワードは隣に立つソフィアへ温和な眼差しを向けた。
「では、娘をエスコートする光栄を賜ろう。」
「ええ、お願いします。」
ソフィアは優しく頷き、メリルの背中をそっと押す。
「あなたなら心配いらないわ。」
「はい、お母様。」
エドワードが腕を差し出すと、メリルは小さく頷き、その腕に手を添えた。
ゆっくりと会場へ足を踏み入れた瞬間、ざわめきがわずかに静まる。
公爵が16年探し続けた女性と、長年隠していた一人娘。
その存在に気づいた貴族たちの間に、どよめきが広がる。喉に糸が絡み付いたかのような不快感で息が浅くなりそうになるが、俯くわけにはいかない。公爵令嬢として、堂々と前を向く。
すると、腕に添えた手をエドワードが軽く二度叩いた。励ますような優しい合図。その温もりにメリルは小さく息を整えた。
三人は王の御前まで進み、歩みを止める。
「ウィルダーバーン公爵閣下、エドワード・ウィルダーバーン様。
公爵夫人、ソフィア・ウィルダーバーン様。
ご息女、メリル・ウィルダーバーン様。」
侍従長のよく通る声が、大広間に響き渡る。
その名が告げられた瞬間、会場中の視線が改めてメリルたちへ集まった。
エドワードとソフィアに続き、メリルは深く礼をする。
「顔を上げなさい。」
王の鷹揚な声に、メリルはゆっくりと顔を上げる。
「メリル・ウィルダーバーンでございます。本日はお目通りの栄を賜り、誠に光栄に存じます。」
王は満足そうに頷いた。
「よく来た。これから社交界で多くを学びなさい。」
「ありがとうございます。」
挨拶を終えた三人は、一礼しその場を辞した。
そこからは、有力貴族への挨拶が続いた。
公爵家、侯爵家、伯爵家――。
紹介を受けるたびに名乗り、丁寧にカーテシーをする。
「初めまして。メリル・ウィルダーバーンでございます。」
最初は緊張で声も硬かったが、次第に笑顔にも余裕が生まれていく。マリアの厳しい指導が、今になって身を助けていた。
有力貴族への挨拶を終え、ソフィアは王妃への挨拶へ向かい、メリルはエドワードとともに会場を歩く。
華やかな音楽が流れ、貴族たちの笑い声が響く中、メリルの視線は思わず会場の端へと向かっていた。
(もしかしたら……。)
王宮で開かれる夜会なら、警備に就いているかもしれない。
そんな淡い期待を胸に、柱の脇や壁際へ目を向ける。視線を巡らせたその先に……
——見つけた!
警備に当たる騎士たちの中に、見覚えのある栗色の髪。
イーサンだった。
王宮警備の制服を纏い、真っ直ぐ前を見据える姿は以前よりも凛々しく見えた。
その横顔を見つけただけで、鼓動のリズムが強く早くなって落ち着かない。
すると、ほんの数瞬、イーサンの視線がこちらを向く。目が合った。表情は変わらない。でも確かにこちらを見ている。
やがて任務中の彼は何事もなかったように視線を戻し、再び警備へ意識を向ける。
メリルもまた、小さく微笑みを飲み込み、前を向いた。
(イーサン、頑張ってるのね……)
それだけで胸がいっぱいになる。
夜会が進むにつれ、エドワードのもとへは次々と貴族が訪れた。
「公爵閣下、ぜひ一度ご令嬢とゆっくりお話しする機会を。」
「我が家の息子もぜひご紹介したく。」
「なんとお美しいご令嬢でしょう。」
「ご令嬢、一曲お願いできませんか。」
次々と声を掛けられるたび、エドワードは微笑を浮かべ、巧みに話題を変えていく。まだ、メリルを急かすつもりはない。ようやく取り戻した家族との時間を、誰にも奪われたくなかった。
その夜、メリルは誰かと踊ることはなかった。
長い夜会が終わり、王宮を後にしたメリルは馬車へ乗り込む。
「お疲れ様。」
ソフィアは安堵したように、目尻を下げた。
「ありがとうございます、お母様。」
「立派だったぞ。」
エドワードの短い言葉に、メリルはほっと息をついた。
社交界という新たな世界は、こうして静かに幕を開けた。




