15.モーティス
翌日、エドワードとソフィア、メリルの三人はウィルダーバーン家の馬車でモーティス領へ向かった。エドワードは公務の都合で長く滞在できないため、式だけ参列することになっている。
見慣れた道が近づくにつれ、メリルの胸は高鳴った。
やがて馬車がモーティス伯爵邸の門をくぐる。
懐かしい屋敷が見えた瞬間、メリルは思わず窓へ身を寄せた。
「ただいま……。」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
玄関前では、アルバートとセディ、ジョシュア、イーサン、そして多くの使用人たちが出迎えてくれた。
「メリル!」
セディの声が響く。
馬車を降りたメリルは、公爵令嬢として礼を取ろうとした。だが、その前にセディが歩み寄り、そっと両手を包み込む。
「よく来てくれたわ。」
「セディ様……。」
懐かしい温もりに、体の力がふわっと緩む。
「お元気そうで安心いたしました。」
「まあ、ずいぶん立派になって。けれど、そんなに畏まらないでちょうだい。あなたは今でも私たちの大切な子なのだから。」
メリルは目元を潤ませ、小さく頷いた。
「お帰り、メリル。」
ジョシュアが穏やかに微笑む。
「ジョシュア様。」
その隣には、朗らかに笑うエレナが立っていた。
「久しぶりね、メリル。」
「エレナ様、お会いできて嬉しいです。」
そして少し後ろに立つ一人の青年へ視線が吸い寄せられる。
短く整えられた栗色の髪。以前より広くなった肩。騎士見習いの制服に包まれた姿は、最後に会った日よりもずっと凛々しく見えた。
「……イーサン。」
「久しぶりだ、メリル。」
その表情は以前よりも精悍さが増している。思わず見惚れてしまい、メリルは慌てて微笑み返す。
「お久しぶり。」
短く挨拶を交わした後は、用意された客室へと向かった。懐かしいモーティスの空気を吸って、メリルは心が満たされるのを感じた。
婚礼は翌日、モーティス家の礼拝堂で執り行われた。
礼拝堂には白と淡い桃色の花が飾られ、柔らかな香りに満ちている。招かれた貴族たちが席につき、穏やかなざわめきが広がっていた。
やがてジョシュアが祭壇の前へ進み出る。
いつもの軽薄な笑みはない。背筋を伸ばし、落ち着いた眼差しで扉の方を見つめる姿は、モーティス家の嫡男として堂々としていた。
大扉が開く。
エレナが姿を現した。
華やかな薔薇のような美しさだった。艶やかな髪を結い上げ、白いドレスに身を包んだ彼女は、明るく、凛として、誰もが目を奪われるほど鮮やかだった。
メリルは思わず息を呑む。
「エレナ様……お綺麗。」
隣に座るソフィアが、微笑みながら頷いた。
「本当に。」
ジョシュアは歩み寄るエレナを見つめ、ほんの少しだけ目元を和らげた。その表情は、普段の彼からは想像できないほど真摯だった。
並び立つ二人は、とてもよく似合っていた。
華やかなエレナと、明るさの奥に確かな頼もしさを持つジョシュア。二人が互いに視線を交わすだけで、礼拝堂の空気まで温かくなるようだった。
式の途中、イーサンを盗み見る。
短く整えられた髪もよく似合っていた。騎士見習いとして鍛えられているのだろう。肩周りが少し逞しくなり、立ち姿にも以前より張りがある。まだ少年らしさは残っているのに、確実に男性へと変化している。
見れば見るほど、甘酸っぱさが背中を駆け上がる。
イーサンもこちらに気づいたのか、静かに視線を向けた。
メリルは思わず背筋を伸ばす。今の自分は、ウィルダーバーン公爵令嬢だ。かつてのように、モーティス家で共に育った侍女の娘ではない。その事実が、二人の間に新しい距離を生んでいる。
イーサンは一度、礼を取るようにわずかに頭を下げた。けれど次の瞬間、柔らかな笑みを浮かべた。畏まりながらも、突き放すようなものではない。その笑みに、メリルの胸の奥がふっと緩む。
ああ、変わっていない。
変わったものはたくさんある。立場も、暮らす場所も、これから進む道も。けれど、イーサンの優しい眼差しだけは、昔と同じだった。
式が終わると、礼拝堂は祝福の拍手に包まれた。
エドワードは式を見届けるとすぐに戻らなければならなかった。それでもウィルダーバーン公爵が自ら出席したことで、モーティス家の婚礼には一層の箔がついた。
「アルバート殿、よい式だった。」
「閣下にそう言っていただけるとは光栄です。」
「ジョシュア殿も、立派だった。」
エドワードの言葉に、ジョシュアは珍しく真面目な顔で頭を下げた。
「ありがとうございます、閣下。」
だが顔を上げると、いつもの軽やかな笑みが戻る。
「これで少しは大人に見えましたか?」
「ジョシュア。」
すかさずセディの声が飛び、周囲に小さな笑いが起きた。
婚礼の祝宴では、メリルは久しぶりにモーティス家の人々と心ゆくまで時間を楽しんだ。
エレナはメリルの手を取り、嬉しそうに笑う。
「来てくれてありがとう、メリル。」
「エレナ様、本当にお美しかったです。」
「まあ、もっと言ってくれてもいいのよ。」
冗談めかして扇子を広げるエレナに、メリルはくすくすと笑った。
少し離れた場所では、ジョシュアが来賓に囲まれている。その姿を見つめながら、エレナは柔らかく目を細めた。
「ジョシュア様、今日はずいぶん大人しくしているでしょう?」
「はい。とても堂々としていらっしゃいました。」
「ふふ、いつまで続くかしら。」
その言葉とは裏腹に、エレナの表情には深い信頼があった。
翌朝、ソフィアとメリルはウィルダーバーンへ戻ることになった。
セディは名残惜しそうに何度も手を握り、アルバートは静かに頷いて送り出してくれた。
ジョシュアとエレナも玄関前に立っている。
「メリル、またいつでもおいで。」
「はい、ジョシュア様。」
「あれ、お兄様じゃないの?」
「ジョシュア。」
新妻となったエレナが横からたしなめると、ジョシュアは肩をすくめた。
「はいはい、わかりました。」
そのやり取りに、メリルは笑みをこぼす。
馬車へ乗り込む前、ふと視線を巡らせると、少し離れた場所にイーサンが立っていた。
「メリル。」
静かに名を呼ばれる。
「イーサン。」
「気をつけて。」
「ありがとう。あなたも、お体に気をつけて。」
「ああ。」
短い会話だった。
けれど以前のように苦しいだけではなかった。胸に残るのは寂しさよりも、温かな余韻だった。
馬車が動き出し、モーティス邸が少しずつ遠ざかっていく。
メリルは窓の外を見つめながら、先ほどのイーサンの姿を思い出していた。
(イーサン、かっこよかったな。)
そう思った瞬間、頬が熱くなる。
ソフィアが隣でそっと微笑んでいることに気づき、メリルは慌てて窓の外へ顔を向けた。
やがて季節は進み、社交シーズンが目前に迫っていた。
ウィルダーバーン公爵令嬢メリルの名は、すでに王都の貴族たちの間で囁かれ始めている。
メリルはまだ知らない。
自分がこれから、どれほど多くの視線の中へ立つことになるのかを。




