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金星の約束  作者: ロンネ


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15/24

15.モーティス

 翌日、エドワードとソフィア、メリルの三人はウィルダーバーン家の馬車でモーティス領へ向かった。エドワードは公務の都合で長く滞在できないため、式だけ参列することになっている。

 見慣れた道が近づくにつれ、メリルの胸は高鳴った。

 やがて馬車がモーティス伯爵邸の門をくぐる。

 懐かしい屋敷が見えた瞬間、メリルは思わず窓へ身を寄せた。

「ただいま……。」

 誰にも聞こえないほど小さく呟く。

 

 玄関前では、アルバートとセディ、ジョシュア、イーサン、そして多くの使用人たちが出迎えてくれた。


「メリル!」

 セディの声が響く。

 馬車を降りたメリルは、公爵令嬢として礼を取ろうとした。だが、その前にセディが歩み寄り、そっと両手を包み込む。

「よく来てくれたわ。」

「セディ様……。」

 懐かしい温もりに、体の力がふわっと緩む。

「お元気そうで安心いたしました。」

「まあ、ずいぶん立派になって。けれど、そんなに畏まらないでちょうだい。あなたは今でも私たちの大切な子なのだから。」

 メリルは目元を潤ませ、小さく頷いた。


「お帰り、メリル。」

 ジョシュアが穏やかに微笑む。

「ジョシュア様。」

 その隣には、朗らかに笑うエレナが立っていた。

「久しぶりね、メリル。」

「エレナ様、お会いできて嬉しいです。」


 そして少し後ろに立つ一人の青年へ視線が吸い寄せられる。

 短く整えられた栗色の髪。以前より広くなった肩。騎士見習いの制服に包まれた姿は、最後に会った日よりもずっと凛々しく見えた。


「……イーサン。」

「久しぶりだ、メリル。」

 その表情は以前よりも精悍さが増している。思わず見惚れてしまい、メリルは慌てて微笑み返す。

「お久しぶり。」

 短く挨拶を交わした後は、用意された客室へと向かった。懐かしいモーティスの空気を吸って、メリルは心が満たされるのを感じた。

 

 婚礼は翌日、モーティス家の礼拝堂で執り行われた。

 礼拝堂には白と淡い桃色の花が飾られ、柔らかな香りに満ちている。招かれた貴族たちが席につき、穏やかなざわめきが広がっていた。

 やがてジョシュアが祭壇の前へ進み出る。

 いつもの軽薄な笑みはない。背筋を伸ばし、落ち着いた眼差しで扉の方を見つめる姿は、モーティス家の嫡男として堂々としていた。

 大扉が開く。

 エレナが姿を現した。

 華やかな薔薇のような美しさだった。艶やかな髪を結い上げ、白いドレスに身を包んだ彼女は、明るく、凛として、誰もが目を奪われるほど鮮やかだった。

 メリルは思わず息を呑む。

「エレナ様……お綺麗。」

 隣に座るソフィアが、微笑みながら頷いた。

「本当に。」

 ジョシュアは歩み寄るエレナを見つめ、ほんの少しだけ目元を和らげた。その表情は、普段の彼からは想像できないほど真摯だった。

 並び立つ二人は、とてもよく似合っていた。

 華やかなエレナと、明るさの奥に確かな頼もしさを持つジョシュア。二人が互いに視線を交わすだけで、礼拝堂の空気まで温かくなるようだった。

 式の途中、イーサンを盗み見る。

 短く整えられた髪もよく似合っていた。騎士見習いとして鍛えられているのだろう。肩周りが少し逞しくなり、立ち姿にも以前より張りがある。まだ少年らしさは残っているのに、確実に男性へと変化している。

 見れば見るほど、甘酸っぱさが背中を駆け上がる。

 イーサンもこちらに気づいたのか、静かに視線を向けた。

 メリルは思わず背筋を伸ばす。今の自分は、ウィルダーバーン公爵令嬢だ。かつてのように、モーティス家で共に育った侍女の娘ではない。その事実が、二人の間に新しい距離を生んでいる。

 イーサンは一度、礼を取るようにわずかに頭を下げた。けれど次の瞬間、柔らかな笑みを浮かべた。畏まりながらも、突き放すようなものではない。その笑みに、メリルの胸の奥がふっと緩む。

 ああ、変わっていない。

 変わったものはたくさんある。立場も、暮らす場所も、これから進む道も。けれど、イーサンの優しい眼差しだけは、昔と同じだった。

 

 式が終わると、礼拝堂は祝福の拍手に包まれた。

 エドワードは式を見届けるとすぐに戻らなければならなかった。それでもウィルダーバーン公爵が自ら出席したことで、モーティス家の婚礼には一層の箔がついた。

「アルバート殿、よい式だった。」

「閣下にそう言っていただけるとは光栄です。」

「ジョシュア殿も、立派だった。」

 エドワードの言葉に、ジョシュアは珍しく真面目な顔で頭を下げた。

「ありがとうございます、閣下。」

 だが顔を上げると、いつもの軽やかな笑みが戻る。

「これで少しは大人に見えましたか?」

「ジョシュア。」

 すかさずセディの声が飛び、周囲に小さな笑いが起きた。

 

 婚礼の祝宴では、メリルは久しぶりにモーティス家の人々と心ゆくまで時間を楽しんだ。

 エレナはメリルの手を取り、嬉しそうに笑う。

「来てくれてありがとう、メリル。」

「エレナ様、本当にお美しかったです。」

「まあ、もっと言ってくれてもいいのよ。」

 冗談めかして扇子を広げるエレナに、メリルはくすくすと笑った。

 少し離れた場所では、ジョシュアが来賓に囲まれている。その姿を見つめながら、エレナは柔らかく目を細めた。

「ジョシュア様、今日はずいぶん大人しくしているでしょう?」

「はい。とても堂々としていらっしゃいました。」

「ふふ、いつまで続くかしら。」

 その言葉とは裏腹に、エレナの表情には深い信頼があった。

 

 翌朝、ソフィアとメリルはウィルダーバーンへ戻ることになった。

 セディは名残惜しそうに何度も手を握り、アルバートは静かに頷いて送り出してくれた。

 ジョシュアとエレナも玄関前に立っている。

「メリル、またいつでもおいで。」

「はい、ジョシュア様。」

「あれ、お兄様じゃないの?」

「ジョシュア。」

 新妻となったエレナが横からたしなめると、ジョシュアは肩をすくめた。

「はいはい、わかりました。」

 そのやり取りに、メリルは笑みをこぼす。

 馬車へ乗り込む前、ふと視線を巡らせると、少し離れた場所にイーサンが立っていた。

「メリル。」

 静かに名を呼ばれる。

「イーサン。」

「気をつけて。」

「ありがとう。あなたも、お体に気をつけて。」

「ああ。」

 短い会話だった。

 けれど以前のように苦しいだけではなかった。胸に残るのは寂しさよりも、温かな余韻だった。

 馬車が動き出し、モーティス邸が少しずつ遠ざかっていく。

 メリルは窓の外を見つめながら、先ほどのイーサンの姿を思い出していた。

 (イーサン、かっこよかったな。)

 そう思った瞬間、頬が熱くなる。

 ソフィアが隣でそっと微笑んでいることに気づき、メリルは慌てて窓の外へ顔を向けた。

 やがて季節は進み、社交シーズンが目前に迫っていた。

 ウィルダーバーン公爵令嬢メリルの名は、すでに王都の貴族たちの間で囁かれ始めている。

 メリルはまだ知らない。

 自分がこれから、どれほど多くの視線の中へ立つことになるのかを。

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