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金星の約束  作者: ロンネ


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13/20

13.それぞれの場所で

 木剣同士が激しくぶつかり合う。


 踏み込む。


 打ち込む。


 だが、一瞬の隙を突かれた。


 先輩騎士の木剣がイーサンの喉元でぴたりと止まる。


「そこまで。」

 教官の声が響いた。


 イーサンは呼吸を整え、木剣を構え直す。


「もう一度、お願いします。」

 

「……来い。」


 再び剣を交える。


 乾いた音が何度も鍛錬場へ響いた。

 だが、結果は変わらない。


「そこまで。」


「もう一度、お願いします。」


 三度。

 四度。

 五度。

 勝てない。


 それでもイーサンは一歩下がり、木剣を構えた。

「もう一度、お願いします。」

 先輩騎士は額の汗を腕で拭い、苦笑する。

「お前な。」

 肩で息をしながら木剣を下ろした。

「ちょっと休ませろ。」

 イーサンは小さく頷く。

「では、自主練してきます。」


 そう言うと鍛錬場の隅へ移動し、一人素振りを始めた。

 先ほど打ち返された型を、何度も、何度も繰り返す。

 踏み込み。

 体重移動。

 剣筋。

 一本振るたびに修正を重ね、黙々と木剣を振り続ける。


「……あいつ、本当に休まねぇな。」

 水を飲みながら一人の騎士が苦笑する。

 「真面目なんてもんじゃない。」

 年長の騎士がイーサンへ目を向けたまま、小さく笑う。

「ああいうやつは、一度コツを掴んだら一気に強くなる。」

「……そうっすね。」

 イーサンはそんな視線を集めていることにも気づかず、ただひたすらに木剣を握る。その実直さは、少しずつ騎士団の中で認められ始めていた。


***

 

 ソフィアは婚礼の準備に、メリルは公爵令嬢としての教育に追われる日々を送っていた。


 ソフィアは公爵夫人としての引き継ぎや衣装合わせ、結婚式の打ち合わせと、毎日慌ただしく過ごしている。


 一方メリルは、マリアのもとで礼儀作法を学んでいた。

 カーテシー、歩き方、ダンス、扇子の扱い、食事の作法、来客への応対、社交界での立ち居振る舞い。

 覚えることは山ほどあった。


「違います。」

 静かな声が部屋に響く。


 メリルは差し出したティーカップを戻し、もう一度やり直す。

「肘が下がっています。」

「……はい。」

 再びやり直す。

「視線。」

「はい。」

 何度注意されても、メリルは弱音を吐かなかった。

 最初は戸惑いばかりだった令嬢教育も、一つずつ身につけていく。

 そんな姿を見つめながら、マリアは厳しい表情を崩さない。


 だが、紅茶を淹れ終えたメリルの所作を見た時だけ、小さく頷いた。

「少しは形になってきましたね。」


 その一言だけで報われるようだった。

 メリルは嬉しそうに微笑む。


 ——そして、婚礼の日を迎えた。


 ウィルダーバーン大聖堂には、多くの貴族や領内の名士が集まっていた。色鮮やかなステンドグラスから柔らかな陽光が降り注ぎ、厳かな空気が堂内を満たしている。


 祭壇の前には、正装に身を包んだエドワードが静かに立っていた。白金の髪を美しく整え、四十歳とは思えないほど凛とした立ち姿に、参列した令嬢たちは思わず息を呑む。


 やがて、大扉がゆっくりと開かれた。


 純白のドレスに身を包んだソフィアが姿を現す。

 長いヴェールを纏った姿は、凛とした気品に満ちていた。堂内の誰もが目を奪われる中、エドワードは込み上げる想いを隠すように、そっと目を細めた。

 メリルは最前列の席から、ようやく結ばれた両親の姿を目に焼き付ける。


 その時、後方から小さな囁きが耳に届いた。

「あちらが新しい公爵令嬢ね。」

「公爵様によく似ていらっしゃるわ。」

「十六年間、地方で使用人として暮らしていたそうよ。」

 好奇の視線。

 だが、それを咎めるように年配の貴婦人が静かに口を開く。

「閣下がお認めになったご家族です。余計な詮索は無用でしょう。」

 その一言で囁きは消えた。


 神父の前へ並んだ二人は、互いを見つめる。

 十六年。

 長い年月を経て、ようやく迎えたこの日。


「では、誓いの口づけを。」


 エドワードはそっとソフィアのヴェールを上げる。

 二人の距離がゆっくりと縮まり、穏やかな口づけを交わした。その瞬間、堂内は大きな拍手に包まれた。メリルは目元を潤ませながら、小さく拍手を送る。


 (お母様、本当によかった。)


 誰よりも幸せそうに微笑む母の姿を見て、胸いっぱいの喜びが込み上げた。


 その日の夕刻には、婚礼の知らせが貴族社会を駆け巡った。


 翌朝発行された新聞には、『ウィルダーバーン公爵 エドワード閣下 ご成婚』の見出しとともに、公爵令嬢メリルが正式に迎えられたことも大きく掲載される。


 社交界は、この話題で持ちきりとなった。


 そして数日後。

 エドワード、ソフィア、メリル、そしてマリアは、正式な報告のため王城へ向かうこととなる。

 国王ジェフリー陛下との謁見が、四人を待っていた。

 エドワードは正装の礼服、ソフィアは公爵夫人として相応しい気品あるドレスを身に纏っている。メリルもまた、マリアから何度も指導を受けた礼装に身を包み、緊張した面持ちで馬車の窓を見つめていた。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。」

 隣からエドワードが優しく声を掛ける。

「でも……陛下にお会いするのは初めてです。」

「礼儀作法は十分身についている。いつものようにすればいい。」

 そう穏やかに微笑まれ、メリルは小さく頷いた。


 王城へ到着すると、案内役の近衛騎士に導かれ謁見の間へと向かう。


 重厚な扉がゆっくりと開かれた。


 高い天井。赤い絨毯の先には、この国の王が玉座に腰掛けている。

 四人は所定の位置まで進み、跪いた。

「面を上げよ。」


 落ち着いた声が静まり返った謁見の間に響く。

 顔を上げると、王はエドワードへ穏やかな笑みを向けた。


「エドワード。」

「はっ。」

「ようやく家族を連れてきたな。」

 その一言に、エドワードは照れたように口元を緩める。

「長らくお待たせいたしました。」

 王は今度はソフィアへ視線を移した。

「そなたがソフィアか。」

「はい。」

「エドワードが十六年探し続けた女性だと聞いている。」

 ソフィアは静かに頭を下げた。

「過分なお言葉にございます。」

 一つ頷き、王の視線がメリルへ向く。

「して、その娘は。」

「はい。娘のメリルにございます。」

 エドワードがそう答えると、メリルは一歩進み出て、美しい所作でカーテシーを披露した。

「ウィルダーバーン公爵家長女、メリルにございます。本日は陛下にお目通りの栄を賜り、誠に光栄に存じます。」

 凛とした声が、静まり返った謁見の間に響く。王はその立ち居振る舞いを静かに見つめ、小さく頷いた。

「……なるほど。若い頃のエドワードによく似ておる。」

 メリルは小さく会釈した。

 やがて王はマリアへと視線を移した。

「マリア。」

「はい、陛下。」

「厳しく鍛えているようだな。」

「当然でございます。公爵令嬢として相応しくあらねばなりません。」

「はは、相変わらず厳しいな。」

 マリアは静かに首を振った。

「まだ学ぶべきことは数多くございます。」

 その答えに王は小さく笑う。


 謁見の間の空気が少しだけ和らいだ。

 王は改めて四人を見渡す。

「公爵家に新たな家族が加わったこと、確かに承った。」


 そして静かに続ける。

「エドワード。」

「はっ。」

「これからは家族を守ることも、公爵としての務めだ。」

 エドワードは真っ直ぐ王を見据えた。

「必ずや。」

 王は満足そうに頷く。

「期待している。」


 こうして、ソフィアは正式にウィルダーバーン公爵夫人として、そしてメリルはウィルダーバーン公爵令嬢として、国王にも認められたのだった。

 

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