静謐なノート家と吸音魔法
午後2時、ちょうどお昼ご飯を食べ終え、眠くなる時間帯である。
そんな中、私は家の前に止まっている立派な馬車を前に遠い目をしていた。
「あぁ、来ちゃったわね、お迎え。本当に来るんだ……。」
なるべく馬車には焦点を合わせないように、どことなく馬車の後ろにピントを合わせることで現実逃避を試みる。
足音とともに聞き慣れた声が聞こえた。
「ノクチリカ、ノート家御子息が嘘を言うわけがないだろ。あぁ、お兄様は心配だ、我が妹はいつも思い切りがいいからな。」
「お兄様……。お言葉ですが、私は基本的に良い子ですわよ。」
出勤するのだろう、きちんとした格好のお兄様を見上げ、顔を顰める。
「そもそも……、お兄様に言われたくありませんわよ。噂になってますわよ、エリーチカ様に話しかけられて素気無く返しただとか、あまつさえ無視しただとか。」
「まさか!業務中だったから、業務として対応しただけだよ。むしろ褒めて欲しいね、私事を持ち込まない優秀な官僚だと。」
お兄様は目を細めて笑う。
いつも、何処となく掴みどころがない人だが、楽器への熱意には目を見張るものがある。
本当に、あのエリーチカ様相手に業務対応をしたから、噂になっているんだろう。
「お兄様はいいわよね、お仕事を盾にできるから。今から夜会のことを思うと胃が痛いのよね……。これ、今日どうなるのかしら……。」
「なるようにしかならないさ。
さぁ、お行儀よく、いってらっしゃい、ノクチリカ。」
「ええ、いってきます。お兄様。」
お出かけ用にと用意されていた白いレイヤードのワンピースの裾を軽く摘んで、お兄様にご挨拶をし、馬車へと近づいた。
「ごきげんよう、お待たせいたしました。」
一言、御者へと声をかける。
随分と背の高い人だ。
明るい茶髪を自然に流し、短く揃えている。
ただの御者にしては体格が良く、鍛えられてるのが伺える立ち姿だ。
「いいえ、こちらこそ、お手数をおかけいたします。アルモニア嬢。我が主の御命令につき、お迎えに存じました。こちらに。」
そういうと馬車の扉を開け、片手で押さえる。
もう片方の手をこちらに伸ばし、掴みやすいようにしてくれたので、有り難く手を借りて乗り込んだ。
馬車の中は、アルモニア家が所有しているものよりも数段質が高いことが伝わってくる。
椅子もきちんとクッションが敷かれており、振動による痛みを感じないように工夫されてるのが伺えた。
「これ、いくらするのかしら……。50万リズ……いえ、500万リズくらいかしらね。でも少し狭いから、多分公爵家の中では小さくて安いものな気がする。とんでも無いわね、公爵家。」
椅子に腰掛け、ふっと息を短く吐き出す。
扉と反対側の壁はきちんと窓になっており、カーテンまでついている。閉められてるカーテンを少しだけ開けて外の景色が見えるようにした。
「いい天気だわ。本当なら今日も庭で演奏して、のんびりお昼寝とかしちゃったり、授業の予習をしたり、色々する予定だったのに……。」
せんなきことを、思ってしまう。
そんなぼやきをしていたら、馬車はゆっくりと動き出した。
ノート公爵家は王都の中でも王宮の近くに位置している。
我が国、オーパス王国は他の国々に比べて、他国の観光客を歓迎する一方、他国に比べて音楽の地位が高い。
これは、豊かな国である象徴でもあるが、娯楽や伝統、文化を使いこなす風流人であることが意味を持つからだ。
例えばこれが隣国などだったら、やはりどれだけ国力へ還元できるか、も強く重視されるだろう。
我が国の辺境伯らも武力と共に音楽にも秀でているし、秀でる必要がある。
地方での娯楽は辺境伯ら自身が、音楽として領民へと与える必要があるからだ。
そんな中、異彩を放つのが王家とノート公爵家である。
ノート公爵家は歴代、素晴らしいピアノ演者を輩出し、年の瀬にその年を寿ぐために演奏する役割を担っている。
それだけでなく、殆どの国家主催の祭事はノート公爵家の縁者が楽器の演奏を行うのだ。
我々貴族も自身の領地での祭事では演奏をするが、その規模、音の響かせる必要のある範囲は桁違いである。
これは強く響かせる魔力と技術、そしてただ楽器を喚びだすだけでは難しい。
そんな権威も力もある公爵家は当然豪華であるとは思っていたが、窓から見える景色は想像を超えていた。
一度馬車が停止し、門がゆっくりと開いていく。
そこからまた、馬車は動き出したが、見える庭が
、まるで自然公園のような、植物園とすら言っても良さそうな程に広く、設備が充実しているように見える。
「なにこれ……。」
異様なのは静かさだ。
馬車はかなり防音性が高いものだったが、それ以上の静かさだ。街を走っていた時に聞こえた喧騒は遥か遠くへといき、馬車の音すらも一段と静かになったように感じる。
「これは……、見たことない魔力の使い方をしてるわね。もしかして、音が響かない様に……或いは吸収できるようにしている……?」
馬車は庭をぬけ、車寄せへと入っていく。
屋根に覆われたその場所に音は無く、そこには静謐が横たわっていた。
「これは……私自身が騒音だわ。生命の音すらうるさく響いてしまう。」
耳の奥から音がするほどの静寂だ。
ぶくぶくぶくぶくと、ぼわんぼわんと、耳の奥から音がする。
自身の格好はドレープの多い白いワンピース。
このワンピースでは、歩くたびに、身じろぎするたびに衣擦れの音がするだろう。
「流石に、このお屋敷にお邪魔するのに、騒音を立てるわけにはいかないわ。」
おそらく、何かしらの見立てでこの屋敷には音を立てない仕組みがある。
自分に全く同じことは出来ずとも、招かれてる客として、お行儀よく振る舞わなくては。
「オーケストラの会場をイメージすればいいんだわ。絨毯がひかれ、防音材が敷き詰められた壁、それらは音を反響せず、吸収する。
つまり、私のワンピースに魔力を帯させ、絨毯のように音を吸収させれば、限りなく静かになる。」
イメージを強固にするために言葉を口から出す。
はっきり、私のワンピースが音を吸収する様をイメージして、ほんの少しだけの魔力を練る。
ラップをかける様に、ヴェールをかぶる様に、薄く、上から下まで、隙間なく魔力を身にまとわせた。
「ふぅ。これで、どうかしら。」
大袈裟に体を捩ってワンピースを動かしてみても、そこには音がなく、イメージが成功しているのがわかった。
「これ、めちゃめちゃ疲れると思うのだけど、この家では日常なのかしら……。随分なことだと思うのだけど。」
どうイメージしたらこの家が出来上がるのだろうか、信じられない思いで窓から車寄せには豪華な建物を見上げた。
ゆっくりと馬車がとまる。
馬車のドアがノックされた。
「ノクチリカ様、ご到着いたしました。扉をお開けしても大丈夫でしょうか?」
「ええ、ありがとう。」
ゆっくりと開かれた扉から見てる屋敷は、とても広く、シンプルにまとめられていた。
「お手を。」
御者が静かに手を差し伸べている。
降りるべく、その手をとって、恐る恐るステップを降りた。
魔力を身にまとわせていなければ、私の足音がさぞ響いただろう。
地面に足をつけると、御者の手をはなす。
人心地ついた気持ちで細く長く息を吐く。
「随分と乗り心地が良かったわ。ありがとうございます。」
御者の素晴らしい運転技術と気遣いに軽い礼を持って謝意を伝える。
「それで、私はどこへ行けばいいのかしら。ご案内いただける?」
「ええ、ご案内いた――。」
「それには及ばない。」
御者の言葉を遮る様に、甘く低い声が響いた。




