奏者としてのプライド
「それでは、今から私が見本として、ピアノのパートを弾きますので、覚えてくださいね。
あ、弾く時の細かいところや、強弱の込め方はまたご相談ということで、一旦お聞きください。」
「あぁ。ありがとう。」
ノクチリカがピアノを顕現させて、その前に座って基本姿勢を取った。
彼女にしては珍しく、少し緊張したようなそぶりで、一呼吸置いた。
春の曲だと、先ほどノクチリカから聞いていたが、春とは、こんなに音が多いものだっただろうか。
彼女が演奏する音は、いつも音の響きに工夫をされていることが多い。
しかし、今回は俺への見本だからだろう、純粋に演奏だけに集中している。
彼女自身が書いた曲とは、信じられない技巧さ、そして難しさだ。
両手で細かく音を取っていく。
細かく細かく細かく、跳ねるように、ノクチリカは手を動かす。
この国で、こんなに細かく音を取って演奏する者はどれだけ居るんだろうか。
さらには、ノクチリカの魔力だ。
演奏に目が離せないでいると、彼女の演奏する音に乗った魔力から、春の山野が広がっていく。
魔力を音に込める技術が明らかに高い。
演奏と魔力操作を同時に繊細に動かすことは、かなりのハードルのはずだ。
それを感じさせない技巧のうまさは、おそらく同世代で卓越している。
私自身も、細かく操作すること自体は慣れているが……、ノクチリカは魔力を込めた音を、明確に意識して置いているように感じる。
二羽の小鳥が囀りながら、かなり速いスピードで飛び、お互いにちょっかいをかけ合っている。
咲いている花は穏やかな風に吹かれ、たんぽぽの綿毛が風にあおられて舞った。
高く、忙しなく細かく音が聞こえるのに、響きが優しく、強弱のおかげで穏やかにすら感じる。
春の、曲だ。
優しい一音で、ノクチリカの手が止まる。
「ふぅ。
リュクス様、如何でしたか――、リュクス様?」
微笑んでいる彼女が、いつになく遠く感じる。
音楽療法の授業では彼女の魔力を込めた演奏の上手さに圧倒され、この間の訪問時のノクチリカの芸の細かさに圧倒された。
しかし、今日のこれは、ピアノ演者としての表現力での、圧倒だ。
彼女と俺では、技術ではない壁があることを、実感させる音楽だった。
「リュクス様?
もしかして、お耳汚しでしたか?」
ノクチリカに声をかけられているのに、返事ができなかった。
彼女が弾いたこの一連の曲を、自分自身がこれと同じように、いや、これ以上に美しい春として弾けるイメージが出来ない。
俺自身の演奏技術だけではなく、春を親しみ、今まで受け取ってきた情報量の差が、おそらく出ている。
心配したノクチリカが、俺に近づいてきている。
動かなくては、と思うのに、圧倒されて言葉が出なかった。
「リュクス様?」
大丈夫だと、今の俺では言えない。
その事実が、俺とノクチリカの間にある溝だった。




