海底の月を掬うもの
「それでは、また学校で。」
そうリュクスへと簡単に挨拶をし、腰を落として一礼する。
リュクスも胸に手を当て、浅く頭を下げた。
「また。ノクチリカ嬢、今日は我が家へお越しくださり、ありがとうございました。君の音楽により触れられて、有意義な1日だったよ。」
「とんでもございません。
こちらで夜会での演奏曲はある程度ピックアップしておきますわ。それでは、良い夜を。」
「良い夜を。」
従者の差し出す手をとりステップを上る。
行きと同じ馬車に深く腰をかけると、扉はゆっくりとしまった。
最後までこちらを見ていたリュクスへ、軽く目を伏せ閉まるまで目礼する。
閉まり切った扉を見て、ゆっくりと息を吐いて、自身のワンピースに纏わせていた魔力を解く。
「疲れたわ……。」
少しだけ姿勢を崩して、カーテンの隙間から外の景色を眺める。
ゆっくりと動き出し、屋敷の敷地から出ると、スピードが安定してきた。
もう日も落ちた時間だ。
この世界には楽器の演奏がメジャーだが、歌を歌う――つまり、己の喉を楽器とする者は存在する。
もっとも、それは魔力が練れなかったり、お金がなく楽器の構造に詳しくないなど理由があり、多くは庶民が歌を好んで、打楽器を好んでいる。
しかし、前世では歌手は活躍していたし、私もアイドルやアーティストに憧れることは一度くらいあった。
そのせいだろう、歌への抵抗感もなく、私はよく誰に聞かせることなく歌うことが多くあった。
貴族で歌を歌う人は少ないため、家族やエドワード以外私の歌を聞いたことがある人はいない。
だが、やはり前世から馴染みがあるのは歌うことだし、楽器は気合いがいるのだ。
だから、こんな日は歌いたくなる。
「いい空模様だわ……。」
体内で魔力を練る。
普段は外に出力する魔力を喉に集め、息を大きく吸った。
「――星月よ、かかる天川よ。
浮かぶ月に魅了され、飛び上がる兎よ。
海に浮かぶは、掴めぬ月。
眠るは水底、されど。
水底から月を掬う者だけが、夢を掴むだろう。」
有名な子守唄がある、この国の人間なら一度は聞いたことがある、ウサギと月の歌だ。
前世でも、月にウサギはいるだの、いないだの、色々話されていたイメージがあった。
だから、この曲がいちばんのお気に入りだ。
そんなお気に入りの曲を、私は歌う際に魔力を声に込めて、楽器として現象を具現化する遊びを昔からしていた。
目の前にはウサギがぴょこぴょこと、音を立てて、シャラシャラと音を鳴らして宙に浮かんでいる月に向かって飛び跳ねる。
もう1匹のウサギは、ぼわんと海に浮かぶ月を掴もうとし、水音を奏でる。
ウサギも、月も、楽器として音を鳴らすものとして具現化させれば、きちんと形作るのだ。
この世界は案外、道理を通そうと思えば通せるのだと、私は知ってる。
「リュクス様は……、多分、メロディナ様もだけど。この世界の貴族たちは音楽を消費するだけでは、許されないと、そう思ってるのよね。」
歌が終わっても暫くは残り続けるうさぎをぼんやりと眺め、思う。
「飛び方を知らない兎は、きっとずっと飛び跳ね続けるし、水面から月を救おうとするわ。
それは……なんて、可哀想なのかしら。」
もう一度、空へと目を向ける。
すっかり日が落ち切ってしまった、美しい星月夜を見て、明日のことに想いを馳せる。
「リュクス様に、純粋に音楽を楽しんでもらう……、難しい問題ね。取り敢えず、難しい曲にはしましょう。
難しいことを考えるから良くないんだわ。
考える暇などない程に難しければ、きっと熱中できる。
その先に、リュクス様が音楽の楽しさを見出せるかは……、難しいわね。」
月はノクチリカを見下ろして、優しく光っていた。




