第八十話 白銀の記憶
本日3話目の投稿です。
石碑から溢れ出した光は、まるで朝日が雪原を照らすように祈りの間を優しく包み込んでいた。先ほどまで漂っていた瘴気は跡形もなく消え去り、澄み切った空気の中には、かすかな花の香りにも似た神聖な気配が満ちている。二体の守護獣は石碑の前に並び、静かにその光を見つめ続けていた。
誰も言葉を発さない。
この静寂すら、長い戦いを終えた者たちへの祝福のように感じられた。
「終わったんだね」
ミアが安堵の息を漏らす。
その声を聞いたレオンはゆっくりと頷いた。
「うん。でも、本当に始まるのはここからなんだと思う」
レオンの視線は石碑から離れない。
石碑に浮かぶ八つ目の紋様は、先ほどよりもはっきりと姿を現していた。七つの紋様が円を描く中心で静かに輝くその印は、不思議と七神猫の理とは異なる力を感じさせる。
「長老、この紋様を知っていますか」
レオンの問いに、長老はゆっくりと首を横へ振った。
「いいえ。白猫族に伝わる古文書を全て読んできましたが、この印を見たのは初めてです」
「巫女様は?」
「私も存じません」
巫女は石碑へ歩み寄り、指先をそっと紋様へ近づける。しかし触れる直前、紋様は水面のように揺らぎ、柔らかな光となって巫女の指先を避けるように流れていった。
「拒まれた……?」
驚いたように巫女が呟く。
その光はゆっくりと空中を漂い、迷うことなくレオンの前で止まった。
「僕に?」
レオンが手を差し出すと、光は吸い寄せられるように掌へ溶け込んだ。
その瞬間だった。
雪が降っている。
冷たい風が頬を撫でる。
レオンの視界いっぱいに、見たこともない景色が広がった。
どこまでも続く白銀の山脈。
雪原を駆ける数え切れないほどの猫たち。
その中心には、七色の光を纏う七神猫が並び立ち、多くの人々が希望に満ちた表情でその姿を見上げていた。
「これは……」
レオンは思わず息を呑む。
次の瞬間、その穏やかな景色が黒く染まる。
空が裂け、巨大な黒い渦が世界を覆い尽くした。
大地は崩れ、人々は逃げ惑い、七神猫たちはそれぞれの理を解放して災厄へ立ち向かう。その激しい戦いの中、一人の青年が迷うことなく前へ歩き出した。
その背には七つの光が集まっている。
顔は見えない。
しかし、不思議とレオンはその背中から目を離せなかった。
「猫王……」
無意識に言葉が漏れる。
その青年が静かに振り返ろうとした瞬間、景色は霧のように消え去った。
「レオン!」
ミアの声で我に返る。
気付けばレオンは片膝をつき、荒い息を繰り返していた。ミアが心配そうに肩を支え、ライやアカネもすぐ近くまで駆け寄ってくる。
「大丈夫か!」
「急に動かなくなるからびっくりしたよ!」
「……何を見た」
クロが短く尋ねる。
レオンは呼吸を整えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「千五百年前の景色だった」
その一言に、その場の空気が張り詰める。
「七神猫がいた。そして……猫王も」
長老は目を見開き、巫女は静かに胸の前で手を組んだ。
「石碑は、あなたに記憶を託したのですね」
「記憶を……」
「ええ。封印は役目を終えました。だから次の時代を生きる者へ、本当の歴史を伝えようとしているのでしょう」
レオンは再び石碑を見つめる。
先ほどまで眩しく輝いていた紋様は、今は穏やかな光を放ちながら静かに脈打っていた。
その時、石碑の奥から低く澄んだ鐘の音が響く。
一度。
二度。
三度。
音が鳴り終えた瞬間、石碑の中央に一筋の光が走り、固く閉ざされていた壁がゆっくりと左右へ開き始めた。
誰も知らなかった。
石碑の奥に、さらに先へ続く道が隠されていたことを。
長い眠りを終えたその道は、まるでレオンたちを待ち続けていたかのように、静かに白い光へ包まれていた。
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