第五十二話 凍てつく命
本日3話目の投稿です。
翌朝、白銀の集落は静かな朝日へ包まれていた。
夜の吹雪は嘘のように止み、雪原には柔らかな光が降り注いでいる。屋根へ積もった雪がきらきらと輝き、冷え切った空気の中にもわずかな温もりが感じられた。しかし、その穏やかな景色とは裏腹に、集落の人々の表情は決して明るくはない。結界の異変が、この地に静かな影を落としていた。
「準備はできたか」
ライがレオンの肩へ飛び乗る。
「もちろん」
レオンが頷くと、クロは何も言わず雪の上へ降り立った。アカネも軽やかに着地し、その場で大きく背伸びをする。
「よーし! 今日はあたしが一番乗りだ!」
「勝手に突っ走るなよ」
ライが呆れたように笑う。
「分かってるって!」
そう言うなり、アカネは雪煙を上げながら駆け出した。
「……速い」
クロが小さく呟く。
一瞬遅れて、自らも影のように雪原へ溶け込んでいく。その姿は瞬く間に白銀の景色へ紛れ、気配だけが遠ざかっていった。ライはそんな二匹を見送りながら鼻を鳴らす。
「へっ、元気な連中だ」
レオンは苦笑しながら歩き出した。
集落を離れるにつれ、人の足跡は少しずつ消えていく。風だけが雪をさらい、辺りは静寂に包まれていた。黒い雪は昨日より増えてはいないが、ところどころ地面を汚すように積もり、白銀の景色を少しずつ蝕んでいる。
やがてクロが戻ってきた。
「前方」
短く告げる。
「魔物はいない。ただ……妙だ」
「妙?」
フェリスが問い返す。
クロは北の森を見つめたまま、小さく頷いた。
「静かすぎる」
その一言だけで十分だった。
森には鳥の声がない。
獣の足跡もない。
風に揺れる枝の音だけが、凍てついた森の中へ虚しく響いていた。
「俺が先に行く」
ライは地面を蹴る。
青白い雷が身体へ走り、一気に森の入口まで駆け抜ける。そのまま周囲を見渡し、鼻を利かせながら雪を踏み締めた。しばらくして振り返ると、大きく手を振る。
「今んところ問題ねぇ!」
「じゃあ行こう!」
アカネは元気よく跳び上がる。
倒木を飛び越え、岩の上を軽やかに駆け抜ける姿は、まるで炎そのものだった。勢い余って雪へ突っ込みそうになり、「おっと!」と体勢を立て直す姿に、レオンたちは思わず笑みを浮かべる。
森の奥へ進むにつれ、黒い雪は少しずつ増えていった。
白かった木々は灰色へ変色し、枝先は力なく垂れ下がっている。雪の下に広がる草花も黒く染まり、今にも崩れ落ちそうだった。その景色は、まるで森そのものが静かに眠りへ落ちていくようだった。
「全部……枯れてる」
レオンは小さく呟く。
ユキも胸元で手を握り締める。
「こんな森じゃなかったのに……」
その声には、故郷を失っていく悲しみが滲んでいた。
その時だった。
後ろを歩いていたミアが、ふと立ち止まる。
「……あれ?」
小さな声だった。
誰にも聞こえないほど静かな呟きだったが、レオンはすぐに振り返る。
「どうしたの?」
ミアは一本の小さな草を見つめていた。
黒い雪へ埋もれ、葉は色を失っている。誰が見ても枯れているようにしか見えない。それでもミアはしゃがみ込み、雪を優しく払うと、そっと両手で包み込んだ。
「まだ……」
その表情は驚いていた。
耳を澄ませるように目を閉じ、小さく息を吸う。
「まだ、生きています」
静かな言葉だった。
レオンたちは顔を見合わせる。
「え?」
アカネが首を傾げる。
「どう見ても枯れてるぞ?」
ライも草を覗き込み、小さく鼻を鳴らした。
「俺には分かんねぇな」
クロだけが黙ってミアを見つめている。
フェリスも草へ視線を落としたが、不思議そうに首を傾げるだけだった。
「……何か感じるのですか?」
ミアは困ったように微笑む。
「分かりません。でも……この子が、まだ頑張ってる気がして」
その言葉を口にした瞬間だった。
黒く染まった葉が、ほんのわずかに揺れた。
風ではない。
まるで小さな命が、もう一度息を吸ったような微かな震えだった。
しかし、その変化に気付いた者はいない。
ただ一人。
ユキだけが静かに目を見開いていた。
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