第三十三話 帰還
本日1話目の投稿です。
世界は眩い光に包まれた。
視界を埋め尽くすほどの白い輝きが、崩れゆく核の世界を静かに飲み込んでいく。砕け散っていた赤黒い結晶は光へ溶け、空間を満たしていた黒い霧も朝靄のように消えていった。千五百年もの間続いていた悪夢が、ようやく終わりを迎えようとしていた。
レオンは思わず目を閉じる。
黒竜の翼に包まれたまま、身体がふわりと浮かび上がる感覚があった。暖かな風が頬を撫で、重く張り付いていた空気が嘘のように軽くなる。あれほど苦しかった世界が、少しずつ遠ざかっていくのを肌で感じていた。
『レオン』
黒竜が静かに呼ぶ。
その声は以前とはまるで違っていた。深く響く低い声はそのままだが、そこからは絶望も憎しみも消えている。ただ長い旅路を終えた者だけが持つ、穏やかな静けさがあった。
「はい」
レオンが見上げる。
黒竜もレオンを見下ろしていた。
真紅だった瞳は少しずつ色を変え始めている。赤い輝きの奥から金色の光が滲み出し、濁っていた瞳は澄み渡る空のような透明さを取り戻していた。その姿はまだ傷だらけだったが、もう災厄の竜には見えなかった。
『ありがとう』
黒竜はもう一度言った。
短い言葉だった。
だが、その二文字には千五百年分の想いが込められていた。救われなかった時間も、誰にも届かなかった願いも、孤独の中で流した涙も、その全てが静かな感謝となってレオンへ届けられていた。
「僕は何もしてません」
レオンは少し照れたように笑う。
「助けてって言葉が聞こえたから、助けに来ただけです」
黒竜は小さく目を細める。
その表情はどこか優しかった。守護竜として人々を見守っていた頃も、きっとこんな顔で笑っていたのだろう。レオンはそう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
その時だった。
前方に広がる白い光の中から、一つの人影がゆっくりと現れる。
銀色の長い髪。
白い衣。
どこか儚げな微笑み。
レオンはその姿を見て息を呑んだ。
「あなたは……」
少女は静かに笑う。
『最後に、お礼を言いに来たの』
その声は優しかった。
もう苦しみも孤独もない。ただ穏やかな安らぎだけが、その表情には宿っている。
『あの子を助けてくれてありがとう』
少女は黒竜を見る。
黒竜も静かに少女を見つめ返した。
長い間、同じ災厄の中へ閉じ込められていた二人だった。互いを知りながらも、本当の意味で言葉を交わせなかった存在が、ようやく最後の別れを迎えようとしていた。
『すまない』
黒竜が静かに言う。
『お前まで苦しませた』
少女は首を横に振る。
『違うよ』
優しく笑った。
『私も一緒だったから』
その一言だけだった。
だが、それだけで十分だった。
黒竜は何も言わない。
巨大な瞳を閉じ、静かに息を吐く。その姿からは、長い年月背負ってきた重荷が少しずつ消えていくようだった。
少女はレオンを見る。
『あなたなら大丈夫』
レオンは首を傾げる。
少女はどこか懐かしそうに笑った。
『猫王は、いつの時代も誰かを救う人だから』
その言葉を残すと、少女の身体は無数の光となって空へ舞い上がる。
暖かな粒子は風へ乗り、黒竜の周囲をゆっくりと巡っていく。その光に触れるたび、黒竜の砕けた鱗は少しずつ修復され、裂けていた翼もゆっくりと元の姿を取り戻し始めていた。
「綺麗だ……」
レオンは思わず呟く。
黒竜は空を見上げていた。
その瞳にはもう涙はない。
ただ静かな笑顔だけがあった。
『ようやく会えたな』
その言葉に答えるように、最後の光が黒竜の額へ触れる。
少女は何も言わない。
ただ嬉しそうに微笑み、その姿を光の中へ溶かしていった。
やがて白い世界はゆっくりと消え始める。
光も風も空も、一つずつ輪郭を失い、世界そのものが静かに閉じていく。それは崩壊ではなく役目を終えた舞台が幕を下ろすような、美しく穏やかな終わりだった。
『帰ろう』
黒竜が言う。
その一言にレオンは力強く頷く。
「はい。一緒に帰りましょう」
黒竜は大きく翼を広げる。
修復された翼が光を受けて輝き、空気を大きく震わせた。以前のような重苦しさはない。誰かを傷付けるためではなく、未来へ羽ばたくための翼だった。
次の瞬間、二人は眩い光の中へ飛び込む。
白い世界が音もなく遠ざかり、意識がゆっくりと浮かび上がっていく。遠くから誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。それは懐かしく、温かく、必死に待ち続けてくれていた仲間たちの声だった。
そして最後に聞こえたのは、黒竜の穏やかな声だった。
『今度こそ、守ろう』
その言葉と共に、レオンの意識は現実世界へと帰っていった――。
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