第二十八話 千五百年の終わり
本日2話目です。3話目投稿するかは未定です。ストックと相談します。
白い世界の中心で弾けた光は、静かに広がり続けていた。
暖かな輝きが世界全体を包み込み、今まで空を覆っていた黒い霧を少しずつ消していく。荒れ狂っていた空気は完全に落ち着き、張り詰めていた緊張も嘘のように薄れていた。まるで長い嵐が過ぎ去った後の朝のような静けさが、この世界を優しく満たしていた。
レオンは光の中に立つ少女を見つめる。
先ほどまで災厄の中心にいたとは思えないほど、その表情は穏やかだった。痩せ細っていた体は光に包まれ、苦しみに歪んでいた顔からも少しずつ力が抜けていく。その姿は怪物でも災厄でもない。ただ長い間、一人で泣き続けていた少女そのものだった。
『綺麗だね……』
少女がぽつりと呟く。
その瞳には光が映っていた。千五百年もの間この世界を見続けてきたはずなのに、まるで初めて空を見上げる子供のような表情だった。その何気ない一言に、レオンは胸の奥が少し痛くなる。
「見たことがなかったんですか?」
少女は小さく首を振る。
『見てたよ。でも……見る余裕なんてなかった』
寂しそうに笑いながら、少女は空を見上げた。光はどこまでも広がり、白い世界を暖かく照らしている。誰かを傷付けるための力ではなく、誰かを包み込むためだけに存在するような優しい光だった。
『ずっと苦しかったから』
その一言だけで十分だった。
どれほど長い時間を孤独の中で過ごしてきたのか。どれほど誰かに気付いてほしいと願い続けてきたのか。想像するだけで胸が締め付けられる。
『私ね』
少女は静かに言った。
『本当は世界を壊したかったわけじゃない』
その言葉にユウが目を閉じる。猫神も何も言わない。誰もが分かっていた。この少女の願いは最初から単純だったのだ。
『誰かに気付いてほしかった』
少女は自嘲するように笑う。
『ありがとうって言ってほしかった』
その声は震えていた。怒りでも憎しみでもない。ただ寂しさだけが滲んでいる。だからこそ、その言葉は誰の胸にも深く刺さった。
『でも、誰も来なかった』
静かな言葉だった。
責めるような響きはない。ただ事実を語っているだけなのに、その寂しさが痛いほど伝わってくる。千五百年という時間の重みが、その短い言葉の中に詰まっていた。
レオンは少女を見つめる。
責める気持ちは少しも湧かなかった。むしろ、ようやく本当の気持ちを聞くことができた気がした。災厄になった理由も、怒り続けていた理由も、その全ての根底には孤独があったのだ。
「遅くなってごめんなさい」
少女が目を見開く。
レオンは少しだけ笑った。
「僕は千五百年前にいませんでした。でも今ここにいます」
光が揺れる。
少女の瞳に涙が浮かんだ。
「だから言います」
レオンは真っ直ぐ少女を見る。
その言葉だけは誤魔化したくなかった。
「ありがとう」
少女の肩が小さく震える。
「世界を守ってくれてありがとうございました」
涙が零れ落ちた。
それは悲しみの涙ではなかった。苦しみの涙でもない。長い間求め続けていた言葉がようやく届いた涙だった。誰にも認められなかった時間が、少しだけ報われた瞬間だった。
少女は泣きながら笑う。
その笑顔は不器用だった。けれど、どこか眩しかった。レオンはその表情を見ながら、この少女が本当に欲しかったものは最初から力でも復讐でもなかったのだと改めて理解する。
やがて少女はエルへ視線を向けた。
エルも涙を流していた。二人は長い間同じ場所に閉じ込められていた。互いの存在は知っていても、本当の気持ちだけは知らなかったのだ。
『ごめんね』
少女が言う。
『いっぱい苦しめちゃった』
エルは涙を拭いながら首を横に振った。そして少しだけ勇気を出すように前へ歩き出す。その瞳にはまだ悲しみが残っていたが、それ以上に優しさがあった。
『私も怖かった』
声は少し震えていた。
『でも……ずっと一人だったんだね』
少女の表情が崩れる。
エルは小さく笑った。
「もう一人じゃないよ」
その言葉を聞いた瞬間、少女は声を上げて泣き出した。
千五百年間抱え続けた孤独。誰にも届かなかった願い。誰にも理解されなかった苦しみ。その全てが涙となって溢れ出していた。白い世界には少女の泣き声だけが響いている。それなのに不思議と悲しい空気ではなかった。
光はさらに強くなる。
少女の体は少しずつ透け始めていた。終わりの時が近付いているのだろう。レオンもエルもユウも、その事実を理解していた。誰も止めようとはしない。それは消滅ではなく、長い役目を終えた魂がようやく帰るべき場所へ帰ろうとしているだけだからだ。
少女は最後に猫神を見る。
『迎えに来てくれたの?』
猫神は優しく微笑んだ。
「うん。ずいぶん待たせてしまったけどね」
少女は少しだけ笑う。
その表情は驚くほど穏やかだった。まるで迷子だった子供がようやく家を見つけたような顔だった。
『そっか』
少女は小さく頷き、最後にレオンへ視線を向けた。その瞳にはもう迷いも悲しみもない。ただ穏やかな感謝だけが残っていた。
『見つけてくれてありがとう』
レオンは静かに頷く。
少女は満足そうに微笑んだ。
その体は光となり始めていた。足元から少しずつ粒子となって空へ昇り、暖かな輝きが世界全体へ広がっていく。その光景はどこまでも美しく、誰も言葉を発することができなかった。
『もう大丈夫』
少女はそう言った。
その声は不思議なほど穏やかだった。
『黒竜をお願い』
レオンは強く頷く。
「任せてください」
少女は嬉しそうに笑う。
その笑顔にはもう孤独も苦しみも残っていなかった。千五百年もの間背負い続けた重荷から解放され、ようやく安らぎを手に入れた人の顔だった。
やがて光は空へ溶けていく。
最後の輝きが消える瞬間、白い世界全体を優しい風が吹き抜けた。それはまるで少女が残した最後の「ありがとう」のようだった。誰も言葉を発しない。ただ静かな時間だけが流れている。その静寂は悲しいものではなく、長い旅路を終えた者を見送るための穏やかな静けさだった。
その時だった。
世界の奥から低い咆哮が響き、白い世界が大きく揺れる。ユウの表情が変わり、エルも思わず息を呑んだ。猫神だけが静かに空を見上げている。その瞳は何かを悟っているようだった。
「時間切れみたいだね」
猫神がそう呟いた瞬間、白い世界の空が大きく割れる。広がった亀裂の向こうから現れたのは巨大な真紅の瞳だった。
黒竜がこちらを見ていた。
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