第二十七話 本当の願い
本日1話目です。ちょっと執筆間に合わないかもなので2話投稿になるかもです。
黒い影の中心に走った亀裂は、今までのものとは明らかに違っていた。
白い世界は大きく震え続けている。空に走った無数の亀裂は少しずつ広がり、その隙間から柔らかな光が差し込み始めていた。荒れ狂っていた黒い霧も勢いを失い始めている。まるで長い間閉ざされていた何かが、ようやく外へ出ようとしているようだった。
『やめろ』
黒い影が低く唸る。
その声には怒りがあった。だが、それだけではない。どこか怯えているようにも聞こえた。今まで絶対的な存在だった災厄が、初めて追い詰められているように見えた。
『それ以上近付くな』
レオンは黙って影を見つめた。先ほどまで感じていた恐怖は薄れている。代わりに胸の奥で強くなっている感情があった。この存在は倒すべき怪物ではない。ずっと誰にも届かなかった願いなのだと、今なら分かる気がしていた。
「近付いたらどうなるんですか?」
レオンが静かに尋ねる。
黒い影は答えない。その代わり黒い霧が大きく揺れた。まるで触れてほしくない傷を見られた時のような反応だった。その様子を見て、レオンは確信に近いものを感じる。
「あなたは何を隠しているんですか」
白い世界に沈黙が落ちる。
震動だけが微かに響く中、誰も言葉を発しなかった。ユウも猫神も静かに見守っている。二人とも、今はレオン自身が答えへ辿り着かなければならないと分かっているようだった。
やがて黒い影が震え始める。
それは怒りではなかった。長い時間押し込められていた苦しみが、ようやく表へ出ようとしているようだった。
『私は忘れられた』
その声は小さかった。
今まで世界を揺るがしていた存在とは思えないほど弱々しい声だった。
『誰も覚えていない。誰も思い出さない。誰も名前を呼ばない』
その言葉と共に周囲の景色が揺らぐ。白い世界は音もなく崩れ、新たな記憶の光景へと塗り替わっていった。
そこは戦場だった。
炎が上がり、城壁は崩れ、兵士たちは無数に倒れている。悲鳴と怒号が飛び交う地獄のような光景の中心に、一人の少女が立っていた。銀色の髪を風に揺らしながら、その小さな体で必死に誰かを守ろうとしている。
レオンは息を呑む。
エルではない。
だが、どこか似ていた。
少女は傷付きながらも立ち続けていた。涙を流し、体を震わせながらも、それでも逃げようとはしない。自分が倒れれば誰かが傷付くと分かっているからだ。その瞳には恐怖があった。それでも前へ出ることだけはやめなかった。
やがて景色が変わる。
戦いは終わっていた。
崩れていた街は復興し、人々は笑顔を取り戻している。子供たちは元気に走り回り、大人たちは平和な日常を過ごしていた。誰もが幸せそうだった。
だが、その景色のどこにも少女はいない。
誰も彼女の話をしていない。
誰も彼女を覚えていない。
その平和が誰によって守られたのかを知る者すら残っていなかった。
レオンは胸の奥が締め付けられるのを感じた。
守ったのに。
救ったのに。
それなのに忘れられてしまった。
その孤独がどれほど辛いものだったのか、想像するだけで苦しくなった。
『誰も覚えていないんだ』
黒い影の声が震える。
今まで聞こえていた怒りも憎しみもなかった。そこにあったのは、ただ寂しさだけだった。
『苦しかった。寂しかった。助けてほしかった』
その言葉を聞いた瞬間、レオンは全てを理解した。
この存在は世界を憎んでいたわけではない。
本当はずっと待っていたのだ。
誰かが自分を見つけてくれることを。
誰かが名前を呼んでくれることを。
誰かが「ありがとう」と言ってくれることを。
その願いが届かなかったから、絶望になった。
その孤独が積み重なったから、災厄になった。
黒い影の体がゆっくりと崩れ始める。
荒れ狂っていた黒い霧は風に流されるように薄れていき、その奥から別の姿が見え始めていた。今まで憎しみで覆い隠されていた本当の姿が、少しずつ姿を現そうとしている。
ユウは目を見開いていた。
猫神も静かに息を吐く。
そしてエルは震える声で呟いた。
『そんな……』
少女は知ってしまったのだ。
千五百年間共に閉じ込められていた存在の正体を。
その願いを。
その孤独を。
レオンはゆっくりと前へ歩き出した。
誰も止めない。
黒い影も止めようとはしなかった。
いや、止めることができなかったのかもしれない。
レオンは亀裂の前で足を止める。
黒い霧の向こうには、小さな少女がいた。痩せ細った体を震わせ、長い銀色の髪を乱しながら、怯えた瞳でこちらを見上げている。その姿は災厄などではなく、長い間誰にも見つけてもらえなかった迷子の子供にしか見えなかった。
「やっと見つけました」
レオンは静かに言った。
少女が目を見開く。
信じられないものを見るような顔だった。
「ずっと苦しかったんですね」
その言葉を聞いた瞬間、少女の瞳から涙が溢れ出した。
理解してもらえなかった。
気付いてもらえなかった。
助けを求めても届かなかった。
そんな千五百年分の孤独が、一気に崩れ落ちていくようだった。
「頑張ったんですね。もう大丈夫です」
レオンは優しく微笑む。
その笑顔を見た瞬間、少女の肩が大きく震えた。溢れ出した涙は止まらない。今まで押し込めてきた感情が堰を切ったように流れ出していた。
そして少女は初めて口を開く。
『……ありがとう』
その声は震えていた。
だが確かに届いた。
その瞬間、白い世界を覆っていた黒い霧が一斉に砕け散る。無数の光となった霧は空へ舞い上がり、世界全体を包み込むように広がっていった。荒れ狂っていた空気は消え、代わりに暖かな光が満ち始める。まるで長い夜が終わり、ようやく朝が訪れたかのようだった。
レオンは思わず空を見上げる。
光の中で、少女は泣きながら笑っていた。その表情はとても穏やかだった。千五百年もの間抱え続けてきた孤独から、ようやく解放されたように見えた。
猫神はその光景を静かに見つめていた。
黄金の瞳がゆっくりと細められる。その表情には安堵にも似た色が浮かんでいた。まるでずっと待ち続けていた瞬間を見届けているようだった。
「ようやく帰れるね」
その小さな呟きと共に、白い世界の中心で眩い光が弾けた。
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(勝手にやってた世迷言コーナーどこ行ったんでしょうね)




