第二十五話 猫王の資格
やばい予約完全に忘れてました。本日2話目です。
「猫神の試練を始めよう」
猫神の声が響いた瞬間、白い世界を覆っていた光が一気に膨れ上がった。
レオンは思わず目を閉じる。視界を焼くような光だった。次に目を開いた時、そこには先ほどまでの景色は存在しなかった。
灰色の空がどこまでも広がっている。風は吹いておらず、音もない。乾いた大地だけが果てしなく続いていて、まるで世界そのものが止まってしまったかのような静寂に包まれていた。
「ここは……」
レオンは周囲を見回した。
ユウもいない。エルもいない。猫神の姿も見当たらない。完全に一人だった。不安が胸を掠めるが、それ以上に奇妙な違和感があった。この場所を知らないはずなのに、どこか懐かしい。遠い記憶の片隅に触れているような感覚だった。
「レオン」
突然、背後から声が聞こえた。
レオンは反射的に振り返る。そして目の前の光景に息を呑んだ。
そこに立っていたのは自分だった。
黒髪も黒い瞳も見慣れている。鏡を見ているようだった。だが決定的に違う部分があった。その瞳には光がなかった。感情を押し殺したような冷たい目が、じっとこちらを見つめていた。
「誰なんですか?」
レオンが問い掛けると、もう一人のレオンは小さく笑った。
「僕だよ。正確には、お前が見ないようにしている部分かな」
その声は静かだったが、不思議と胸に重く響いた。敵意は感じない。だが目の前にいる存在を見ているだけで、本能が警鐘を鳴らしている。
「猫神の試練なんですか?」
「そうだと思う?」
もう一人のレオンは肩をすくめた。その仕草まで自分と同じだったからこそ不気味だった。
「じゃあ聞くけど」
その言葉と同時に世界が揺らぐ。
灰色だった景色が崩れ、別の光景へ塗り替わっていく。気付けば二人は王都を見下ろしていた。
炎が上がっている。
城壁は崩れ、人々は逃げ惑っていた。悲鳴と怒号が響き渡り、建物は次々と燃え落ちていく。見たことのない光景なのに、胸の奥が嫌な予感で締め付けられた。
「もし黒竜を助けた結果、王都が滅ぶとしたら?」
レオンは言葉を失う。
「え……?」
「どちらかしか救えないんだ。黒竜を救うか、王都を救うか」
淡々と告げられた言葉が重くのしかかる。
レオンは目の前の光景を見つめた。炎に包まれた街。泣き叫ぶ人々。その全てが現実のように鮮明だった。
助けたい。
そう思う。
だが本当に両方救える保証などどこにもない。
「僕は……」
答えが出ない。
沈黙が続く。
その様子を見て、もう一人のレオンは静かに笑った。
「ほらね」
景色が再び変わる。
今度はエルだった。
少女は一人で立っている。その小さな背中は今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。ようやく涙を流し、救われ始めたはずの少女だった。
だが次の瞬間、その体が霧のように崩れ始める。
「エル!」
レオンは思わず駆け出した。
しかし距離は縮まらない。
どれだけ手を伸ばしても届かない。
「エルを救えば災厄は消える。でも黒竜は助からない」
冷たい声が響く。
胸が締め付けられた。
景色はさらに変わる。
今度は黒竜だった。
巨大な体を震わせながら苦しそうに咆哮している。その真紅の瞳には涙が浮かび、助けを求める声が今にも聞こえてきそうだった。
『助けて』
あの日聞いた声だった。
忘れられるはずがない。
レオンは拳を握り締める。
「やめてください」
「まだあるよ」
世界がさらに歪む。
今度は仲間たちだった。
ミアが傷付きながらも立っている。ライは血を流しながら剣を握っている。アカネは炎を揺らし、それでも前を向いている。フェリスもまた傷付きながら誰かを守ろうとしていた。
レオンは息を呑む。
その光景はあまりにも痛々しかった。
誰も諦めていない。
誰も逃げていない。
それなのに全員が傷付いている。
まるで「誰かを救う」ということの重さを突き付けられているようだった。
やがて景色が消える。
残ったのは灰色の世界だけだった。
静寂が戻る。
何もない世界の中心で、もう一人のレオンが静かに口を開いた。
「全員を救いたい」
その言葉には嘲笑も怒りもなかった。
ただ現実を見つめるような冷たさだけがあった。
「立派だと思うよ。でも本当にできるの?」
その問いが胸に突き刺さる。
助けたい気持ちは本物だ。
だが力が足りなかったら。
選ばなければならなくなったら。
誰かを救うために誰かを見捨てるしかなくなったら。
その時、自分はどうするのか。
答えは出ない。
灰色の空の下、レオンは立ち尽くしていた。
「それが現実だ」
もう一人のレオンは静かに続ける。
「猫王だからって何でもできるわけじゃない。全員を救うなんて綺麗事だ」
その言葉は残酷だった。
だが否定できない。
現実はいつだって残酷だ。
ユウは救えなかった。
エルも救われなかった。
黒竜も千五百年苦しみ続けた。
レオンは拳を握る。
悔しかった。
苦しかった。
何も言い返せない自分が情けなかった。
理想だけを語っていたのではないかという不安が胸を締め付ける。
だが、その時だった。
脳裏に浮かんだ顔があった。
ユウだった。
千五百年もの間後悔を抱えながら、それでも諦めなかった猫王。失敗したからこそ、二度と同じ過ちを繰り返したくないと願い続けていた。
次に浮かんだのはエルだった。
絶望の中で泣き続けながら、それでも誰かを憎むことを選ばなかった少女。その優しさは奇跡のようだった。
そして仲間たちだった。
傷付きながらも立ち上がる者たち。失敗しても前を向く者たち。誰かのために怒り、誰かのために涙を流せる人たち。
レオンが出会った人たちは、諦めない人たちばかりだった。
レオンはゆっくりと顔を上げる。
胸の中の迷いが消えたわけではない。
不安もある。
怖さもある。
それでも答えは決まっていた。
「分かりません」
静かな声だった。
もう一人のレオンが眉を動かす。
「本当に全員を救えるかは分かりません。失敗するかもしれませんし、誰かを助けられないかもしれません」
そこで一度息を吸う。
胸の奥が熱かった。
「でも、それは諦める理由にはならないと思うんです」
灰色の世界が静まり返る。
「救えないかもしれないから助けないなんて嫌です。失敗するかもしれないから挑まないのも嫌です」
レオンは真っ直ぐ前を見る。
「できるかどうかじゃなくて、やりたいんです」
その言葉が響いた瞬間だった。
灰色だった空に初めて光が差し込んだ。
止まっていた空気が動き出す。大地を撫でる風が吹き抜け、冷たかった世界に少しずつ色が戻っていく。
もう一人のレオンはしばらく黙っていた。
やがて小さく笑う。
今度の笑顔は冷たくなかった。
どこか安心したような、肩の荷が下りたような笑みだった。
「そっか」
その体が光へ変わり始める。
輪郭が崩れ、風に溶けるように消えていく。
「なら大丈夫だ」
最後にそう言い残し、もう一人のレオンは静かに消えた。
そして世界が眩い光に包まれる。
レオンは目を閉じた。
次に目を開いた時、目の前には猫神が立っていた。黄金の瞳は優しく細められ、その表情にはどこか満足そうな色が浮かんでいる。
「おかえり」
その一言を聞いた瞬間、レオンはようやく理解した。
これは力を試す試練ではなかった。
猫王として何を選ぶのか。
どんな絶望を見ても諦めない覚悟があるのか。
それを問うための試練だったのだと。
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