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神獣使いではなく猫使いです  作者: 猫屋敷 春人
第四章 千五百年の約束
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24/53

第二十四話 猫神

今日は3話投稿予定です。

「やっと会えたね」


白猫の声が響いた瞬間、白い世界そのものが震えた。


荒れ狂っていた黒い霧が一瞬だけ静まり返る。暴走していた災厄の力さえ、その存在を前にして息を潜めているようだった。小さな猫の姿でしかないはずなのに、そこには世界そのものを見下ろすような圧倒的な存在感があった。


レオンは言葉を失う。


初めて会うはずなのに、どこか懐かしい。遠い昔から知っていたような不思議な感覚が胸の奥に広がっていく。その存在を見ているだけで、張り詰めていた心が少しずつ落ち着いていくようだった。


「あなたは……」


ようやく絞り出した声に、白猫は穏やかに目を細める。


「今の人たちは猫神と呼んでいるみたいだね」


軽い口調だった。


だがユウは驚愕したまま動けない。エルも涙を浮かべたまま白猫を見つめている。千五百年前の英雄と災厄の核、その二人が同時に言葉を失うほどの存在だった。


レオンは改めて目の前の猫を見る。


白く美しい毛並み。黄金色の瞳。どこにでもいそうな猫の姿をしている。だが、その瞳の奥には気の遠くなるほど長い時間を見守ってきた者だけが持つ静かな深みが宿っていた。


「猫神様……」


ユウが震える声を漏らす。


猫神は苦笑した。


「相変わらず堅いね、ユウ」


その一言にユウの目が大きく見開かれる。昔と変わらない口調だったのだろう。普段は落ち着いているユウが、今だけは本当に驚いた表情を浮かべていた。


「どうして今になって……」


「少し寝過ぎたかな」


猫神は悪びれもなく答える。


レオンは思わずぽかんとした。


世界の命運が懸かった場面なのに、返ってきた答えがあまりにも緩い。その反応を見た猫神は小さく笑い、「そんな顔をしなくても大丈夫だよ。私は昔からこんな感じだから」と肩をすくめるように尻尾を揺らした。


「いや、もっと神様っぽいと思ってました」


レオンが素直に言うと、ユウが深く頷く。


「私もそう思った」


「酷くない?」


猫神は不満そうに耳を伏せた。


その様子は本当に普通の猫だった。


だが次の瞬間、猫神の視線が黒い影へ向く。


空気が変わった。


穏やかだった雰囲気が消え、白い世界に再び緊張が走る。黄金の瞳が静かに細められ、その奥に鋭い光が宿った。黒い影もまた猫神を見つめている。先ほどまで余裕を崩さなかった存在が、今は明らかな警戒を見せていた。


『なぜ出てきた』


低い声が響く。


その声には隠しきれない苛立ちが混じっていた。


猫神は静かに答える。


「出てきたんじゃない。出られるようになったんだよ」


『何?』


黒い影が揺らぐ。


猫神は後ろを振り返った。


その視線の先にはエルがいた。少女は涙を流したまま立ち尽くしている。長い孤独の果てにようやく誰かへ届いた感情を、自分でも整理できていないようだった。


「君のおかげだ」


エルが目を見開く。


「ずっと耐えてくれてありがとう」


優しい声だった。


責めるでもない。憐れむでもない。ただ感謝だけが込められていた。その言葉を聞いた瞬間、エルの瞳から新たな涙が溢れ出す。千五百年間、世界は彼女を災厄と呼び、怪物と呼び、恐れ続けた。だが猫神が最初に伝えたのは感謝だった。


『私……頑張れた?』


震える声だった。


猫神は迷わず頷く。


「うん」


たった一言だった。


それなのに、その言葉は千五百年分の孤独を少しだけ溶かしていく。エルの肩から力が抜け、張り詰めていた糸が切れたようにその場へ座り込んだ。少女は声を上げて泣いていた。子供のように、ずっと我慢していたものを吐き出すように。


レオンはその姿を見ながら胸の奥が熱くなるのを感じていた。


まだ全てが終わったわけではない。黒い影もいる。災厄も残っている。それでも今この瞬間だけは、エルがようやく救われ始めている気がした。


だが――


黒い影から膨大な殺気が溢れ出した。


低い唸り声のような音が世界に響く。黒い霧が激しく波打ち、白い空間そのものが耐え切れないように軋み始める。先ほどまで押し込められていた怒りが一気に噴き出したようだった。


『ふざけるな』


その声には今までになかった激情が宿っていた。


『救われるだと?』


黒い影の輪郭が大きく膨れ上がる。周囲の霧を飲み込みながら、その姿はさらに巨大になっていった。憎しみも絶望も怒りも全てを取り込みながら肥大化していく様子は悪夢そのものだった。


『苦しんだのは私だけではない。泣いた者がいた。裏切られた者がいた。救われなかった者がいた』


その叫びと共に無数の声が響き始める。悲鳴、嗚咽、怨嗟。世界中から集められた負の感情が黒い霧の中で渦を巻き、一つの巨大な濁流となって空間を埋め尽くしていく。


レオンは息を呑んだ。


ようやく理解した。


この存在は単なる怪物ではない。


エルだけではない。


救われなかった無数の願い。


報われなかった無数の感情。


誰にも届かなかった叫び。


それら全てが積み重なり、一つの存在になっているのだ。


だから巨大だった。


だから消えなかった。


だから千五百年経ってもなお、この世界へ絶望を囁き続けていた。


猫神は静かに影を見つめていた。


その表情に焦りはない。むしろ悲しそうですらあった。まるで目の前にいる存在を敵ではなく、救われなかった誰かとして見ているようだった。


「そうだね」


猫神は小さく頷く。


「君の言う通りだ」


その言葉にレオンは目を見開く。


だが猫神は続けた。


「君の中には確かに救われなかった願いがある。忘れ去られた痛みがある。誰にも届かなかった悲しみがある」


猫神の声は静かだった。


だが、その一言一言は黒い霧の奥深くへ届いているようだった。


「だから私は君とも話さなければならない」


世界が静まる。


荒れ狂っていた霧が僅かに動きを止める。黒い影もまた沈黙していた。その言葉は誰も予想していなかった。


倒すのではない。


封印するのでもない。


猫神は災厄と対話しようとしている。


救われなかった願いを切り捨てるのではなく、向き合おうとしているのだ。


そして次の瞬間、猫神はゆっくりとレオンを見上げた。


黄金の瞳が真っ直ぐ彼を捉える。その視線を受けた瞬間、レオンの胸が大きく脈打った。まるで今までの全てが、この瞬間へ繋がっていたと言われているようだった。


「レオン」


初めて名前を呼ばれる。


それだけなのに足元が震えそうになる。


「ここから先は君の役目だ」


猫神の声は穏やかだった。


だが、その言葉には世界の行く末すら託すような重みがあった。


「最後の試練を始めよう」


その言葉が響いた瞬間、白い世界の景色が大きく揺らぎ始めた。足元から広がる光が空間を書き換えるように世界を覆い、遠くで黒い霧が唸り声を上げる。まるで世界そのものが次の局面を迎えようとしているかのようだった。


レオンは息を呑む。


これが最後。


黒竜を救うための。


エルを救うための。


そして災厄と向き合うための本当の試練が、今まさに始まろうとしていた。


閲覧ありがとうございます。誤字脱字などありましたらご報告の程よろしくお願いします。

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