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神獣使いではなく猫使いです  作者: 猫屋敷 春人
第四章 千五百年の真実
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第二十一話 最初の罪

ストックに余裕があると心持ちが変わりますね。

影は静かに笑った。


その笑みを見た瞬間、レオンの背筋を冷たいものが走り抜ける。姿は曖昧なままなのに、そこにいるだけで空気が重くなるような圧迫感があった。まるで深い海の底へ沈められたような息苦しさが胸を締め付ける。


白い世界が軋む。


黒い霧が渦を巻く。


まるでこの存在を中心に、世界そのものが歪み始めているようだった。


「何なんですか……あれは」


レオンは目を離せないまま呟く。


ユウの表情は険しかった。その横顔には警戒だけではなく、怒りと憎しみ、そして消えることのない後悔が刻まれている。


「災厄の核ではない」


静かな声だった。


だが、その一言は重かった。


レオンは目を見開く。


「違うんですか?」


「違う」


ユウは断言する。


「エルは核だ」


「だが、あれは災厄そのものだ」


黒い影がゆっくりと歩き出す。


足音は聞こえない。それなのに一歩進むたび、白い世界に亀裂が走った。空間が耐え切れないように悲鳴を上げ、その存在を拒絶している。


エルは怯えたように後ずさる。


小さな肩が震えていた。


『嫌……』


その声には明確な恐怖があった。


『来ないで……』


影は止まらない。


まるでエルの言葉など最初から存在しないかのように。


「エルは何を怖がっているんですか?」


レオンの問いに、ユウは苦しそうに目を伏せた。答えたくない記憶を掘り返すように、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「自分自身だ」


レオンは意味が分からず顔を上げる。


だがユウは続けた。


「正確には、自分の中に生まれたものだ」


その瞬間、周囲の景色が大きく揺らぐ。


崩壊する研究施設。泣き叫ぶ研究者たち。砕け散る結晶。そして苦しむ少女。千五百年前の光景が鮮明に蘇る。


だが、その中で異様だったのは研究者たちの表情だった。


彼らは恐怖していた。


それなのに同時に歓喜していた。


失敗したはずなのに。


全てが壊れているのに。


その瞳だけは狂ったように輝いている。


「連中は勘違いしていた」


ユウの声が響く。


「神獣の力だけを手に入れようとした」


「だが生まれたのは力じゃない」


景色の中心で、エルの体から黒い何かが溢れ出していく。それは魔力ではなかった。憎しみ、絶望、嫉妬、恐怖、悲しみ――人が抱く負の感情が混ざり合い、一つの存在として形を成していく。


レオンは言葉を失った。


目の前にいる影は怪物ではない。


人間が生み出した感情の集合体だった。


「これが……」


「人の闇だ」


ユウは静かに答える。


「神獣の力と人間の欲望が混ざり合った結果、生まれた存在」


黒い影がゆっくりとこちらを向く。


顔は見えない。


だが見られている。


そんな感覚だけがあった。


その瞬間、レオンの胸の奥へ嫌な感情が流れ込んでくる。怒り、憎しみ、諦め、誰かを恨みたくなる衝動。まるで人の負の感情そのものを無理やり押し込まれているようだった。


「最初の災厄」


ユウは拳を握る。


「いや――」


その瞳に強い怒りが宿る。


「最初の罪だ」


白い世界が大きく震えた。


その言葉に反応したかのように、黒い影から膨大な霧が噴き出す。荒れ狂う感情の奔流が空間を埋め尽くし、視界そのものを黒く染めていった。


エルが苦しそうに胸を押さえる。


『痛い……』


レオンは反射的に駆け寄った。


「エル!」


少女の体が薄くなっていた。輪郭が崩れ始め、今にも消えてしまいそうだった。その姿はあまりにも痛々しく、見ているだけで胸が締め付けられる。


「どういうことですか!?」


ユウは歯を食いしばる。


「エルは核だ」


「核は災厄を封じる檻でもある」


レオンは息を呑んだ。


意味を理解した瞬間、胸が締め付けられる。千五百年間、エルはたった一人で災厄を閉じ込め続けていたのだ。誰にも知られず、誰にも感謝されず、ただ世界を守るためだけに。


その事実は重かった。


世界は救われた。


だが、その代償として一人の少女が犠牲になっていた。


「そんなの……」


レオンは拳を握った。教会も研究者たちも許せなかった。世界を救うためだと言いながら、一人の少女へ全てを押し付けた人間たちが。そして、その犠牲を千五百年間見過ごしてきた世界そのものが。


『だめ……』


エルが弱々しく首を振る。その声には恐怖だけではなく、自分よりレオンを案じる気持ちが滲んでいた。千五百年間苦しみ続けてきたはずなのに、今もなお誰かを心配している。その優しさがレオンの胸を強く締め付ける。


『近付いちゃだめ』


「嫌だ」


レオンは静かに答えた。


エルは驚いたように顔を上げる。


「今まで誰も助けてくれなかったんだよね」


レオンはゆっくりと言葉を続ける。その声は優しかったが、同時に揺るぎない決意を秘めていた。


「だから今度は僕が助ける」


エルの瞳が揺れる。


信じたい。


でも信じられない。


そんな感情が入り混じっていた。


千五百年間裏切られ続けた少女には当然だった。


それでもレオンは目を逸らさない。


黒竜もそうだった。


エルもそうだった。


みんな苦しみながら耐えていた。


誰かを守るために。


誰にも助けを求められないまま。


だからこそ放っておけなかった。


黒い影が笑う。


その笑みには嘲りが滲んでいた。まるでレオンの決意も、ユウの後悔も、エルの願いも全て知った上で踏みにじろうとしているかのようだった。


そして影の口がゆっくりと開く。


『助ける?』


低く濁った声だった。


その瞬間、白い世界全体が震えた。空間が悲鳴を上げるように軋み、黒い霧が嵐のように荒れ狂う。積み重なった憎悪と絶望が形を持ったかのような圧力に、レオンは思わず息を呑んだ。


『人間が?』


その言葉には千五百年分の怒りが込められていた。


裏切られた者たちの叫び。


見捨てられた者たちの絶望。


救われなかった願いたちの慟哭。


それら全てが一つになり、世界を揺るがすほどの重さを持っていた。


ユウの表情も変わる。


驚いていた。


千五百年前に戦ったユウですら、この反応は予想していなかったのだ。


黒い影はゆっくりとレオンを見下ろす。その視線に触れた瞬間、胸の奥へ冷たい感情が流れ込んできた。


人を信じるな。


誰も助けてはくれない。


世界は裏切る。


そんな囁きが頭の中に響く。


だがレオンは歯を食いしばった。


エルの涙を見た。


黒竜の叫びを聞いた。


だからもう迷わない。


影は再び笑った。


その笑みは嘲りに満ちていた。まるでレオンの決意など無意味だと言わんばかりに。そして、その奥には世界そのものへの憎悪が渦巻いている。


『なら見せてやろう』


その瞬間――


世界が砕けた。


白い空間が無数の破片となって崩れ落ちる。景色は反転し、光は消え、視界が黒へ染まっていく。レオンは立っていることすらできなかった。


凄まじい量の記憶が流れ込んでくる。


悲鳴。


憎悪。


絶望。


裏切り。


人間たちが積み重ねてきた罪の記憶。


それら全てが濁流となって押し寄せ、意識を飲み込もうとしていた。


そして暗闇の奥で、影の声だけが響く。


『人間が生み出した本当の地獄を見ろ』


その声が消えた時、レオンの視界には見知らぬ光景が広がっていた。


そこは千五百年前の世界だった。


だがユウが見せてきた記憶とは違う。


誰にも語られなかった、最も醜い真実が眠る場所だった。


閲覧ありがとうございます。

誤字脱字ありましたら報告よろしくお願いします。

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