第二十話 千五百年の願い
本日3話目です。いつの間にか500pv超えてました。ありがとうございます。
少女の影がゆっくりと顔を上げた。
長い銀髪が揺れる。その瞳はどこまでも暗く、深い悲しみを湛えていた。今にも消えてしまいそうなほど儚い姿なのに、レオンは不思議と目を離せなかった。
目の前にいるのは怪物ではない。
苦しみ続けてきた一人の少女だった。
『助けて』
小さな声だった。
泣き叫ぶわけでもない。ただ諦めきったような声が白い世界に響く。その言葉には千五百年という時間の重さが滲んでいた。
レオンは一歩前へ出る。
「エル」
少女の肩が小さく震えた。
その反応だけで分かる。
彼女にはちゃんと意識が残っている。
『……どうして』
掠れた声が返ってくる。
『どうして私の名前を知ってるの』
レオンは少しだけ言葉に詰まった。
上手い答えなんて思い付かない。ただ、この子を放っておけないという気持ちだけははっきりしていた。
「ユウから聞いたんだ」
『ユウ……?』
少女の瞳が揺れる。
忘れかけていた記憶を探るように、その表情に戸惑いが浮かんだ。
『猫王……』
その瞬間、周囲の黒い霧が大きく脈打った。
どくん。
どくん。
まるで心臓の鼓動のような音が響く。黒い霧はエルの感情に呼応するように揺れ動き、白い世界そのものが僅かに震えていた。
「エル」
レオンはもう一度呼び掛ける。
「ずっと苦しかったんだよね」
少女は何も答えない。
だが俯いた顔からは涙が零れていた。
『苦しかった』
小さな声だった。
『ずっと痛かった』
レオンは黙って聞いていた。
今は何かを言うよりも、最後まで聞かなければいけない気がした。
『怖かった』
『助けてほしかった』
『でも誰も来なかった』
エルの言葉と共に景色が揺らぐ。
崩壊する研究施設。逃げ惑う研究者たち。砕け散る結晶。そして瓦礫の中に一人だけ取り残された少女。
千五百年前の記憶が断片となって浮かび上がる。
『みんな逃げた』
エルは震える声で続ける。
『私だけ残して』
レオンは胸の奥が痛んだ。
誰よりも傷付いたのはエル自身だ。
利用され、苦しみ、そして捨てられた。
それなのに世界は彼女を怪物と呼び続けた。
『どうして私だったの?』
その問いに答えられる者はいない。
ユウも。
黒竜も。
誰も。
レオンは拳を握った。
答えなんて持っていない。
それでも。
「分からない」
正直に言った。
エルが顔を上げる。
「どうして君が選ばれたのかは分からない」
「どうして誰も助けなかったのかも分からない」
レオンは真っ直ぐエルを見る。
「でも」
一度だけ言葉を切る。
「君が悪くないことだけは分かる」
エルの瞳が大きく見開かれた。
まるで信じられない言葉を聞いたようだった。
『違う』
エルは首を振る。
『私がいるから世界が苦しんだ』
『私がいるから黒竜も……』
言葉が途中で途切れる。
その表情は痛々しいほど苦しそうだった。
レオンはゆっくり首を振る。
「違う」
今度は迷わなかった。
「悪いのは君じゃない」
「君を利用した人たちだ」
白い世界に静寂が落ちる。
エルは呆然とレオンを見つめていた。
千五百年。
誰にも言われなかった言葉だった。
誰も彼女を許さなかった。
誰も彼女を慰めなかった。
だからこそ、その言葉は深く心へ届いていた。
『私……悪くないの?』
消え入りそうな声だった。
レオンは力強く頷く。
「うん」
その一言に迷いはなかった。
エルの瞳から涙が溢れ出す。
一粒。
また一粒。
止まらない。
黒い霧が大きく揺れる。
だが先ほどまでの禍々しさは薄れていた。まるで千五百年間押し込められていた悲しみが、ようやく解放され始めているようだった。
その時だった。
白い世界が激しく震える。
先ほどまでとは比べ物にならないほどの揺れだった。黒い霧が荒れ狂い、空間そのものが悲鳴を上げるように軋み始める。
レオンは思わず身構えた。
「何が起きてるんですか!?」
ユウの表情が変わる。
先ほどまでの穏やかな表情は消え、その瞳には明確な警戒が宿っていた。千五百年前の悲劇を語る時でさえ見せなかった顔だった。
「まずい」
低い声が響く。
「核の奥にいる」
レオンの背筋を冷たいものが走った。
「奥に……?」
ユウは黒い霧の中心を睨み付ける。
その視線の先では、何かが蠢いていた。
黒い霧が渦を巻き、一点へ集まっていく。まるで巨大な穴が世界を飲み込もうとしているようだった。
エルの表情が凍り付く。
血の気が引き、小さな体が震え始める。
『嫌……』
掠れた声が漏れる。
『来ないで……』
その反応を見た瞬間、レオンは理解した。
あれこそが本当の敵なのだと。
エルを苦しめた存在。
黒竜を侵した存在。
そして世界を滅びへ導いた元凶。
黒い霧の中心で、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
人の形をしている。
だが人ではない。
輪郭は曖昧なのに、そこには確かな悪意だけが存在していた。見ているだけで息が詰まり、心の奥を掴まれるような圧迫感が広がる。
白い世界が悲鳴を上げる。
エルが怯える。
ユウが睨み付ける。
そしてレオンは、その影から目を離せなかった。
やがて影はゆっくりと顔を上げる。
口元が歪む。
まるで獲物を見つけたように。
その瞬間――
影は静かに笑った。
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