第45話 兎の巣穴
思い立ったが吉日。
騎士団でも大した情報がないくらいだ。これ以上調べても、使える情報は出てこないだろう。
そう同意したヴァンとレオは、隠密作戦をその日の夜中のうちに決行することにした。
まさか盗賊連中も、盗まれたその日に取り返しに来るとは思わないだろう。
「毒の粉塵の調査のついでに手に入れたんだ、見ろよヴァン」
レオが見せてきたのは、いくつかの小さなガラス玉だ。中には白い煙のようなものが渦巻いて見える。
「なにこれ?」
「魔法玉だよ、知らないのか?中に魔法を封じ込めることができるやつだ。睡眠魔法が入ってるやつを買ってきた」
レオが言うには、回復魔法も入るということで冒険者なら誰でも携帯する必需品らしい。戦闘や狩りに使うものなら騎士団の財布も使えると鼻歌混じりだった。
睡眠魔法は精神魔法――希少な属性だ。かなり高価な気がしたが、ヴァンは値段を聞かないことにした。
「着いたぞ」
特にトラブルもなく、ヴァンとレオは目的地に到着した。
大通りのすぐ裏にある商人たちの倉庫街。中央広場に近い建物ほど立派になるのは表通りと同じだが、このあたりは違う。小規模な露店主たちが共同で使う物置が寄り集まったような、寂れた一角だった。
「鏡の魔女が言うには――ここだ」
ヴァンは防犯意識の欠片もないボロ扉が並ぶ中から、赤い扉を見つけて指さした。
物置の扉はそのほとんどが塗装されていなかったが、この扉だけは違っていた。かなり色褪せて傷ついており、この色に塗られてから随分時間が経ってはいるようだが――それでも味気ないボロ扉の中で、やけに鮮やかに見える。
その扉の脇に立てかけられた色つきの板を覗き込んで、レオは訝しげに言った。
「……酒場って書いてあるけど」
「うん。合ってるよ」
酒場『うさぎ』――随分可愛らしい名前だが、この看板こそカモフラージュであり、目印。盗賊団『月の衆』の拠点の入り口だ。
「大丈夫か?魔女に騙されてないよな?」
「おい、あんま大きい声出すなよ。もう敵は目の前なんだぞ」
ヴァンは適当に叱りつけて誤魔化した。今もどこかでヨーデルに見られているであろう事を思うと、彼女の悪口に聞こえるような会話はしたくなかったのである。
「ていうかここ、アジトだとしても正面玄関じゃないのか?大丈夫かよ」
「まあ、そうだ。でもここ以外の入口はわかんないから」
つくづく、作戦も何もあったものではない。ヴァンはレオと顔を見合せて頷き、自分たちのブーツに布を巻いた。極力足音を立てないようにするためだ。
入口の扉には鍵がかかっていたが、木製のボロ扉の閂など障害にもならない。ヴァンは難なくそれを魔法で焼き切り、ゆっくりと扉を開いた。
まず最初に、汗と土の不快な匂いが鼻をついた。真夜中で明かりもなくよく見えないが、少なくとも付近に人影はない。暗闇に目を慣れさせるため、二人はしばらくその場で動かずに辺りを警戒した。
目が慣れてくると、徐々に建物の内部の荒れた様が見えてくる。まず目に入ってきたのは、壊れた椅子と凹んだ机だ。中はほとんど廃墟のようになっていた。
『ここがアジトだというなら、やつらの正体は鼠だな』
(ああ……使われてる感じはないよな)
相棒の言うことも尤もだ。やはり魔女に騙されたのではと、ヴァンの心に一抹の不安がよぎった。
「見ろ」
レオが囁くようにヴァンを呼んだ。
ヴァンはそこへゆっくりと向かった。緊張のせいか自分の足音がやけに大きく感じた。レオの提案でブーツに布を巻いたのは正解だった。木造の床がこんなに音を立てやすいとは――冷や汗が首を伝った。
示された場所には、破壊された酒樽と大量の空の酒瓶が転がっていた。中身が少し残っているものもあるようで、ツンときつい酒の匂いがする。床は土だらけだが、付近には複数人の泥の足跡もあった。
――昨日は雨だった。まだ乾いていないところを見ると、これは最近の足跡だろう。
そのまま進もうとしたレオを制して、ヴァンは目を閉じて相棒を呼んだ。
(レックス)
久々の感覚共有――身体中の産毛が逆立つような感覚が、心臓から波のように広がっていく。この近くに人間がいるかどうか、夜目のきく竜の眼を借りようと思ったのだ。
ようやく馴染んだ感じがしたヴァンが目を開けると、まるで昼のように酒屋の中がよく見えるようになっていた。人間の目とは色合いが違う――輪郭が鋭くなって、遠くまで見通せる。それに視野がぐんと広がっている。
(こりゃいい。無敵の気分だ)
ヴァンはレオのために障害物を静かにどかしながら、酒屋の奥へずんずんと進んでいく。
そんなヴァンの後ろ姿に、レオは畏怖を感じていた。
――課外授業のときも、コイツの背中を見てこんな気持ちになったっけ。
レオがヴァンの感覚共有を見るのは初めてだった。ヴァンがそれを始めたとき、空気は震え、レオの心臓は勝手に早鐘を打った。
危険――危険だ。逃げろ!
脳がヴァンに対して危険信号を出したのだ。理屈ではなく、生物的な本能が警鐘を鳴らした。
この存在の不興を買えば、たちまち俺は餌になる。
レオは急に自分が小動物になった気分だった。そう思わされてしまうほどの存在感をヴァンは放っていた。
――いや、待てよ。
そんな目立つオーラを放ってはまずいのではないだろうか。
(おい…おい、ヴァン!やめとけ!)
五感のいずれかを感覚共有していると、共有していない部位の感覚が鈍る。おそらく今はレックスの眼を借りているのだろう、なかなかヴァンは気付かない。
肩を掴んで振り向かせようとした時、ふっとプレッシャーが止んでヴァンが鋭く振り向いた。
感覚共有の名残か、その両眼は真っ暗な酒場の中で奇妙な対の満月のように見えた。
しかし、それも一瞬のことで、すぐにいつものヴァンの瞳に戻った。
その迫力に気圧されたことを悟られまいと、レオは表情を整えた。ヴァンは気にする様子もなく、真顔でハンドサインをした。
『カウンター』『向こう』『三人』
前方の酒屋のカウンターには、食べ散らかされたままの皿が山積みになっている。そしてその向こう――正確にはカウンターの下の空間から、くぐもった足音が聞こえた。
『恐らく、下の階だ』
(カウンターに階段があるみたいだ)
ヴァンはもう一度耳を澄ませるために目を細めて沈黙したあと、レオに後ろ手でサインした。
『この先』『下』『突入』
そして小さく呟いた。
「バレてるかも」
微かにヴァンの耳に届いたのは、重い金属の触れる音。
つまり、武器の音だ。




