第42話 袋小路と反抗期
「…おい!大丈夫か!?」
ぼんやりとした視界に、ひどく焦ったような声。この声は――誰のだっけ――
「しっかりしろって!」
建物の隙間から、細長い夜空が見える。自分に呼びかけている男は必死の形相だ。月光に透けた栗色の髪、オリーブグリーンの目――ああ、そうだ――こいつは――
「おかしな貴公子…」
「このアホ!」
鈍い衝撃が頬を打って、ようやくヴァンは覚醒した。
「あ!?なに!?ここどこ!?」
「中心街から少し外れた路地だよ。なんでこんなとこ倒れてたんだ!レックスは――」
「そうだ、レックス!」
弾けるように立ち上がって辺りを確認したヴァンは、相棒の姿が見つけられず背筋が凍るのを感じた。
『わたしはここだ』
すぐに呻くような声が聞こえたので、ヴァンは安心してため息をついた。
「俺の中だ――よかった」
レオもホッとしたようで一緒にため息をつくと、高そうなローブが汚れるのも構わずその場に座り込んだ。
「で、どうした?なにがあったんだ」
「ああ――よくわかんないんだけど」
ヴァンは路地を見渡して、気まずさに頭をかいた。
「どうやら、薬草箱を盗まれたらしい」
「は!?魔法薬の材料の!?さっきそのための鱗貨を渡したばっかだろ」
「いや……その……すまん」
言い訳のしようがなく、ヴァンは項垂れた。レオは怒っているというよりは困惑した表情で、路地を見た。
「こんな大通りのすぐ近くで、でかい箱丸ごと盗まれたってのかよ?レックスもいたんだよな?」
「――たぶん、毒の粉塵みたいなものを撒かれたんだ。ほんとに急で……犯人を見る前に気を失っちゃってさ」
『……面目ない』
レックスも珍しく素直に落ち込んでいるようだ。
「レックスでも敵に気づけなかったのか」
レオはヴァンに尋ねたようだが、レックスはヴァンを通してそのまま答えた。
『シャイロックとかいう薬屋の中で、おかしな匂いがしたのだ。わたしは嗅覚を乱されていた』
レオはその店名に聞き覚えがあるようで、眉をひそめた。
「高級店じゃないか。騎士団で使う薬品類もそこから買ってるはずだ。……シャイロックがグル?」
ヴァンは答えかねて、唸った。
あの好々爺が――いや、あり得る。
実は彼が盗賊と繋がっていて、貴重な薬草を取り返そうとした……?
そんな、まさか――ダメだ。まだ頭が上手く働かない。
「レックス、嗅覚は元に戻ってないか?犯人の匂いが追えると助かるんだけど」
ヴァンが問いかけると、虚空に黒い炎の渦が巻き上がりレックスがズシンと顕現した。
『完全ではないが』
レックスは鼻をひくつかせ、辺りを見回した。
「人間の男が二人。女が一人。それと香辛料の匂いがするが――これは別の通りからのものか?これが邪魔でほかはわからん」
確かに、ヴァンも中央通りから漂う煮込み料理のうまそうな匂いを感じていた。人間でもわかるのだから、レックスにはさぞ強烈に感じるだろう。
「ともかく他に手がかりがないか、調べよう」
しかし、手分けして調べ直しても、毒の粉塵の残り以外はブーツと思われる足跡がいくつか見つかっただけだった。
ヴァンはレオと一緒に路地にしゃがみこんでうんうん唸った。
「なあレオ、お前のポケットマネーで薬草を買うわけにはいかないか?ベリーへの返金は自力で稼げって言われてたけど、魔法薬の材料なら好きに買ってもいいだろ?」
レオは大きくため息をついた。
「やれやれ、できるなら最初からやってるよ」
「なんでできないんだ?」
「騎士団の金で魔法薬を作ったら、成果も騎士団のもんになるんだよ」
「で、でも……借金はその場で返そうとしてたじゃん!」
ヴァンの苦し紛れの抗議に、レオは肩を竦めた。
「それは支払い先が『学校』になるだろ?いくらでも言い訳できる」
金ならあるのに、使えないとは。
「どうすっかなあ」
少しの沈黙。遠くで夜市の喧騒が聞こえる。
「目撃者は――いないよな」
呻くように呟いたヴァンに、レオはやけくそなのか懐から出したクッキーを齧りながら言った。
「このあたりに土地勘がある知り合いとかいないのか?同じ手口の泥棒がいたら手がかりになるかも」
「中央通りだぞ?金持ちしかいない」
ヴァンの脳裏には「いつでも頼りなさい」と笑顔のロウェンが過ぎったが、すぐ般若顔のヨーデルも思い出されたので真顔になった。
「そういう情報は騎士団のほうがありそうだけどな」
「それはウチじゃなくて、警邏隊の仕事だ」
「警邏隊?」
「ああ。街の治安維持が仕事の隊だ。平民出身が多くてね、騎士団とはすこぶる仲が悪い」
そう言われて思い返すと、確かにバザールのあたりを物々しい装備の集団が歩いていたのをヴァンは思い出した。
冒険者には見えなかったから傭兵か何かと思ったけど――お揃いの装備だったから、違和感あったんだよな。
「じゃあ、顔が割れてない俺が、警邏隊に聞いてみるってのは?」
「まあ……ありかな……でも信用されるのは難しいぞ。あいつらは町民には優しいんだけど、金持ちと国の犬にはすぐ噛みつくんだ。慎重にな」
――とはいえ、もう手立てがない以上、やってみるしかないだろう。俺は平民だし、目の敵にされることもないはずだ。
「とりあえずレオは、毒の粉塵について調べてくれないか?入手経路がわかれば手がかりになるかも。その辺に散らばってる黄色い粉がそうだ」
「よし、わかった。警邏隊の拠点は東区にある」
「ああ。取り返すぞ」
レオは黙ってニッと笑い、ヴァンの肩を拳で小突いて去っていった。
その爽やかな笑顔と頼もしい背中を見ていると、騎士団で慕われているのも妙に納得してしまう。
「あいつって……嫌味なくらい爽やかだよな」
路地に伏していたレックスは、片目だけ開けてヴァンを見た。
『何を今更。お前が卑屈なのは、今に始まったことではない』
――なんだ、やんのかこいつ。
ヴァンは口を尖らせて応戦した。
「なんだよ拗ねちゃってさあ。お前が嫌味ったらしいのもだぞ」
『なに?』
そのままお互い八つ当たり気味に口論しながら、ヴァンとレックスは警邏隊を探すため中央通りへと向かった。
◇◆
さっそく東区で警邏隊について聞き込みをしてみると、街の人たちはすぐに色々と教えてくれた。
「ああ、警邏隊の人かい?いつもこの辺りは昼頃に回ってくるよ」
「この前アイスもらった!」
「いい人たちだよお。会いたい?ああ、拠点はつきあたりの――」
どうやらよっぽど町人に愛されているらしい。
拠点に向かってみると、そこは無骨で簡素な造りの三階建ての建物だった。豪華絢爛な騎士団の本部とは対照的だ。
ヴァンは意を決してドアノッカーを掴み、ゴンゴンと打ちつけた。
「あの、すみませ――」
「誰だ貴様ァ!!!!」
騎士団の大男、バルガス以来の声量の怒号が響く。縮み上がって辺りを見回そうとしたヴァンは、振り向いた先で大剣を振りかぶる男を見た。
次の瞬間――衝撃波に近い風圧がヴァンの顔を叩き、ヴァンはよろめいた。
『何のつもりだ』
風がやんだのを感じて目を開けると、目の前にはレックスの夜空のように美しい翼膜が広がっている。どうやら、急遽顕現したレックスがヴァンを翼で庇ったようだ。
「なんのつもりか、だと!?制圧するつもりに決まっているだろう!黒髪は不吉の象徴!そしてその紋章!国の回し者か!?」
謎の男は、ヴァンの身につけている魔法学校のローブの紋章を指さしていた。
――服装から察するに、この男は警邏隊だ。まさかこいつらは、国が運営してるからってエルドリアの学生まで敵視するのか?
登場から怒りの最大値を突破し続けている謎の男は、竜を前にしてなおも食ってかかった。
「黒い髪に、黒い竜。不吉なヤツめ、何者だ?正直に吐け!さもなくば――」
「ま、待って!俺、聞きたいことがあるだけで!」
ヴァンは必死で叫んで対話を試みようとしたが、男は応えない。レックスも先程の盗難の失態を気にしているのか、警戒を解く気がないようだ。
男は大剣を構えたまま叫んだ。
「竜もどきを連れた不審者の言うことなど聞くものか!!去れ!!」
『貴様……このわたしを侮辱するか!』
「おい、待てレックス!」
ヴァンの制止を振り切って、レックスは男の大剣に飛びかかり、振り切られる前にそれを噛み砕いた。
「ちょ……」
呆気にとられるヴァンをよそに、男は剣がダメなら拳だとばかりに腕を回し始める。
「なんだ?どうした?」
「なにかあったのか」
騒ぎを聞きつけて警邏隊の建物の中からも続々と人が出てきた。こんなことになってしまっては、もはや聞き込みどころではない。
「すいません!すみません!なんでもないんです!ただちょっと!うちの番が!レックス!謝れこのバカ!!」
鼻息荒いレックスの首根っこのトゲを掴んで謝らせようとするが、当然重くて動かない。そのうちに周囲の人だかりはどんどん増えてきた。
大剣を折られて丸腰になった男と、牙と爪をむき出しにして唸るレックス――どう見ても、完全にこちらが悪者だ。
殺気立った屈強な男たちに囲まれてしまったヴァンは、念のためローブに手を突っ込んで密かに杖を掴んだ。
「なんなんだ……俺は話をしに来ただけだ!」
「嘘つけ!なぜリーダーの剣が折れてる!」
「急に襲いかかってきたんだ!」
「リーダーがそんなことするわけないだろ!」
やいのやいのと野次が飛ぶなか、仲間が来て気が大きくなった男が拳を鳴らしながら近付いてきた。
「万策尽きたな。え?投降したらどうだ、不審者め」
その腹の立つ表情を見て、ヴァンの頭の中でぶちっと音がした。ヴァンは男が殴りかかって来たのを難なくかわすと、叫んだ。
「次から次へと理不尽なことばっかり!もうごめんだね、たくさんだ!やってられるか!」
ヴァンは半ばやけくそになっていた。
『同感だ』
レックスは控えめにしていた両翼を道いっぱいに広げ、周囲を強く威嚇した。
周囲がそれに怯んだ隙に、ヴァンは杖を素早く振って足元に魔法陣を多重生成した。そして――苛立ちに任せて叫んだ。
「先に手を出したのはそっちだからな――"風と踊ってろ"!」
その言葉と同時に、小さな風の刃が旋風と共に巻き起こった。それらは肉を切り裂くほど鋭くはないが、警邏隊の脛当てに強い衝撃を与え、男たちは鈍い悲鳴をあげた。
ヴァンに襲いかかろうとしていたある男は足元をすくわれて転び、その腕からすっぽ抜けた棍棒は風に巻き込まれて反対側の男の胸を突く。
別の男は風の刃に腹部を打たれて蹲り、その後ろにいた男は額のど真ん中に刃を食らうと目を回して倒れた。
「まだまだ、"踊らされてろ"!」
ヴァンの言葉に呼応して、地面から舞い上がる木の葉のように刃が増えた。それを見るや、警邏隊の後方の男たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
なんとか魔法攻撃を乗り越え、気合いでヴァンに辿り着く猛者もいた。しかし、疲弊した大振りの攻撃はヴァンにかすりもしない。結局風の刃に全身を打ち付けられ、「あいだだだだだ!!!」と叫んだあとは気を失ってしまった。
「そういえば、あの男は――」
この混沌の元凶となった男は、どこに?
攻撃してくる人間がいなくなると、ヴァンは辺りを見回した。
「あ」
少し離れた場所で、レックスに頭をかじられている男がそこにいた。幸いにと首と頭は繋がっている。
『捕まえておいてやったぞ』
ヴァンは呆れ返って目を回した。
「ここからどうやって信用してもらうっていうんだ。それとも、俺にそいつを拷問しろってか」
『それも一つの手といえる』
もっともらしく頷く相棒を見やり、次に周辺に散らかっている街の人気者たちを見やると、ヴァンは盛大なため息をついた。
「……これは、詰んだかな」
俯く先の地面の水たまりに、美しい夜空が映っている。ヴァンはぼんやりとそれを見つめて現実から逃避をはかった。
しかし、夜空はすぐに見えなくなってしまった。
丸眼鏡の魔女が、夜空を遮ってこちらを覗き込んできたからだ。




