番外編 薬師とピロシキ
ミハイルは食べきれない肉や野菜を薬師のもとへ持って行く。
十日ぶりの訪問だろうか。狩猟に施術院にと忙しくしていたので、久々になってしまった。
出入り口には、『本日休業。急患のみ、扉を七回叩いてください』と書いてあった。
ミハイルは気にせず、中へと入る。
「おい、爺さん。入るぞ」
珍しく、返事はなかった。いつもならば、すぐに出てくるのに。
不思議に思いながら、部屋の中へと入っていく。
「爺さん、どこいんだよ。厠か?」
家の中は静かだった。いつもだったら、調合などをして、部屋の中に薬草の匂いなどがたちこめているのに、それもない。
ミハイルは早足で、家の中を歩く。時折、薬師を呼びながら。
最後に、入ったことのない寝室の扉をあけると――。
「爺さん!」
「はいはい。まだ生きていますよ」
返事があってホッとする。薬師は寝台に横たわっていた。近付くと、思いの外元気な顔をした薬師が手を掲げている。
「どうしたんだよ。こんな時間まで、眠っているなんて。風邪か?」
「まあ、そんなもんですね。ちょっと患者が多かったので、移ってしまったのかもしれません」
額に手を当てたが、熱は引いているようだった。
「昨日が峠だったようで。なんとか乗り越えました」
「危ねえな」
「大丈夫ですよ。私みたいな爺は長生きするもんです」
起き上ってスープを作ったり、薬を煎じたりするほどの元気はあったようだ。今日は用心のため、安静にしていたと言う。
「もうね、この歳になると、自分に優しくなるんですよ。無理はよくない」
「まあ、そうだな」
自らを診察した結果、今日の夕方ごろには元気になる予定だと言う。
「それでミーシャさん、今日はなんのご用で?」
「ああ、オリガが食いもんを持って行けって」
近所のすそわけで卵と野菜、豚肉を貰ったが、食べきれないので薬師に持って行くことにしたのだ。
「ありがたいですねえ」
「なんか作ってやるよ。食いたいもんあるか?」
「おや、いいのですか?」
「まあ、病人だし。特別にな」
「嬉しいですねえ」
病人に肉はどうかと思うので、オイル漬けか何かにしようかと考えていたら、想定外の料理を作ってほしいとお願いしてきた。
「ピロシキが食べたいです」
「は?」
「お肉たっぷりのピロシキ、大好物なんですよ」
どうやら、食欲はある模様。病人食をと考えていたミハイルだったが、予定が一気に崩れる。
「病気なのにピロシキって。あんた、いったいどんな胃をしているんだよ」
「昔からそうなんですよね。どんなに体が弱っていても、食欲だけはあるんです」
「まあ、いいことだけどな」
早速、持って来ていた食材が役に立ちそうだった。
「で、どのピロシキがいいんだ?」
「どの、というと?」
「いろいろあるじゃねえか」
焼きピロシキに、揚げピロシキ、クッキーピロシキに、パイピロシキ、クレープピロシキ、異国風ピロシキなど。生地の種類だけでも、豊富にあった。
「最近は、そんなに種類があるんですね」
「まあな」
一番人気は、スタンダードな焼きピロシキだ。中身は挽き肉とタマネギを炒めたものをたっぷり詰める。
「では、焼きピロシキでお願いします」
「わかった」
ミハイルはすぐに調理に取りかかる。
まず、ボウルに小麦粉、酵母、砂糖を入れて混ぜ合わせる。途中で、溶き卵に牛乳を混ぜた物を、生地に合わせてさらに練る。生地のボソボソ感がなくなったら溶かしバターを加えて混ぜた。まとまった生地はボウルに戻し、布を被せて一時間ほど発酵させる。
生地の発酵を待つ間、中の具を作る。
豚肉は挽き肉状にして、刻んだタマネギと共に炒める。香辛料、塩胡椒で味付けをして、最後にみじん切りにした茹で卵を加えた。
茹で卵入りのピロシキは、ミハイルの勤めていた店で人気だったのだ。
発酵が終わったら生地を切りわけ、楕円に伸ばす。中に具を入れて、端と端を捩じるようにして閉じた。
表面に溶き卵を塗り、鉄板に並べて十分ほど焼いたら、ピロシキの完成だ。
薬師の台所の棚には、いつも飲まされる苦い茶しかなかった。茶葉の匂いを嗅いだだけでゾッとしてしまう。
他に飲み物はないようなので、蜂蜜湯を作る。風邪なので、喉に良い蜂蜜のほうがいいだろう。
ピロシキは十個作った。二個くらいでいいかと思い、皿に盛りつける。蜂蜜湯と共に、寝室に運んで行った。
「爺さん、できたぞ」
「ああ、ありがとうございます」
薬師は眼鏡をかけて、起き上がる。なんかいつもと違う気がしていたら、眼鏡をかけていない上に、髪の毛を整えていなかったからだった。違和感の正体に気付く。
「どうかしました?」
「いや、こうして見たら、普通の爺さんだなって思って」
「仙人か何かだと思っていました?」
「なんだよ、仙人って」
「異国に伝わる、不老不死で、不思議な術を使う爺のことですよ」
たしかに、薬師は人ならざる者に当てはめるほうがしっくりくる。こうして、病床に伏している姿を見て、ようやく同じ人間だったと気付くことができた。
「帝都にいた時も、化け物扱いされたことがあります」
「気持ちはわかる」
「え?」
「あ、いや。なんでもない。ほら、ピロシキ、温かいうちに食え」
「わあ、ありがとうございます!」
薬師はミハイルの差し出すピロシキを笑顔で受け取った。
焼きたてアツアツだが、気にせずにかぶりつく。
「熱いぞって、遅かったか」
しかし、舌を火傷した様子もなく、幸せそうな笑顔を浮かべて食べていた。
「どうだ?」
「……すごく、美味しいです!!」
生地はほのかに甘みがあり、表面はカリッとしていて中はふんわり。肉汁溢れる具がたっぷりと包み込まれていた。
「おや、これは具に茹で卵が入っているのですね」
「ああ。美味いだろ?」
「はい。卵の黄身が肉汁を吸っていて、とても美味しいです」
茹で卵入りのピロシキは、薬師にも好評だった。
「あと、八個あるから、好きな時に食べろよ」
「まだあるのですか?」
「今、食うか?」
「はい」
よほどお腹が空いていたのか、結局、薬師は六つのピロシキを食べた。
年寄りとは思えない、強靭な胃である。
「スープかなんか、作っておこうか?」
一応、パンの買い置きはあったし、食材もあったが、独り暮らしで風邪を引いた薬師を心配して声をかける。
「いえ、大丈夫ですよ。ピロシキのおかげで、だいぶ元気になりました」
「そうかい」
「ありがとうございました」
とりあえず、枕元に蜂蜜湯を用意して、小腹が空いた時のために、残ったピロシキも置いていく。
「甲斐甲斐しいですね」
「病人は放っておけないだけだ」
「ピロシキも、ありがとうございました。妻の得意料理で、久々に食べることができて、嬉しかったです」
ピロシキは薬師にとって特別な料理のようだった。
風邪で弱っていたので、つい、食べたくなったのだと話す。
「言ってくれたら、作ったのに」
「ミーシャさんは、優しい子ですね」
「普通だ」
ミハイルは照れ隠しのために、薬師に背中を向ける。そのまま帰ろうとしたが、一度振り返って、枕元へと戻って来た。
「どうかしましたか? お小遣いがほしいのですか?」
「あんたはまた、そんなことを言って……」
ミハイルは溜息を吐きながら、眠る薬師と視線を合わせるように片膝を突く。
「前から、オリガと話し合っていたことなんだが」
「はい?」
ミハイルは一度ゴホン! と咳ばらいをして、真面目な顔で話し始めた。
「爺さん、一緒に住まないか?」
「え?」
「独り暮らしは、いろいろ不便だろう?」
「いえいえ、大丈夫です。慣れていますので」
「でも、いつまでも元気ってわけでもないだろうが」
「まあ、そうですが」
新婚の家に邪魔するわけにもいかないと言う。
「俺達だって、ずっと新婚なわけじゃねえし」
「え、もしかして、オーリがご懐妊を?」
「ち、違う!」
まだ、子どもはできていない。しかし、この先家族が増える可能性がある。
「そうなったら、子守爺も必要だろ?」
「そんな……私なんかで、良いのですか?」
「俺達の爺さんは、あんたしかいないよ」
血の繋がりはないが、薬師はミハイルとオリガの祖父といっても過言ではない存在であった。
いろいろと世話になっていたので、いつか同居をしたいと考えていた。
機会を窺っていたが、今日、弱りきった姿を見て、誘ってみようとミハイルは思った。
「ありがとうございます。嬉しいです。本当に……」
薬師はしばらく考えさせてくれと言った。もちろん、前向きに考えることを前提に。
夫婦に、新しい家族が増えるのは、そう遠い話ではなかった。
春はもうすぐ近い。




