番外編 吹雪の森にて
ミハイルが青星の村にやって来て、二度目の冬を迎える。
雪は深々と降り積もり、緑の森を白く染めていく。
ここ数日は立っていられないほどの強風が吹き、出かけることもままならなかった。
よって、按摩の予約はすべて取り消しとなって、稼ぐ機会を失ってしまった。
しかし、そうはいっても、夏季から秋季にかけて、ほぼ休むことなく営業していたので、暮らしは随分と豊かになった。
ミハイルはなんとか、大黒柱としてがんばっていたのである。
本日は久々の晴天。
ウサギやライチョウなど、小型動物の狩りに夫婦そろって出かけようという話になった。
ミハイルは鞄に食料を詰める。
パンに燻製肉、チーズに乾燥させた香草、果物など。雪の中歩き回っていると、食材が凍ってしまうことがあるので、加熱できるように鍋なども入れておく。それから、葡萄酒も。
食材を入れた鞄を持ち上げると、そこそこの重さになった。ソリに積むので問題はない。
オリガは空気銃の準備をしていた。すでに終わっていたようで、外で待ち構えている。
「よし、オーリ、行くか」
「ああ」
ソリ犬と猟犬を引き連れ、冬の針葉樹林の森に向かった。
◇◇◇
二人乗りのソリを、犬達が牽く。そのあとを、猟犬が走っていた。
朝は青空が覗いていたが、先を進むごとに雲が流れ、だんだんと灰色に染めていく。
「なんか、はっきりしねえ天気だな」
「雪が降らないといいが」
まず、一ヵ所目。
真っ白なウサギを発見した。ミハイルが銃を撃ち、見事命中させる。犬が回収してくれた。
その後も、周辺で狩りを行って、ウサギ二羽とキツネ一匹を仕留めることに成功した。
血抜きを行い、革袋に入れて紐で縛っていく。
「ミーシャ、ずいぶんと腕を上げたな」
「だろ? 俺、按摩屋で食えなくなったら、猟師になるから」
「村の男どもが、止めるだろうがな」
ミハイルの按摩なしでは生きていけない、という男が何名もいるほどの評判だった。
食えなくなることはないだろうと、オリガは言う。
「ミーシャ、今日はこれくらいにしておこう」
「そうだな」
空を見上げると、黒い雲が流れていた。風も強くなっている。
ソリ犬に褒美の干し肉を与えていたら、雪がハラハラと降ってきた。
「オーリ、早く帰ろう」
「ああ」
夫婦はソリに乗り、犬に指示を出す。
ゴウゴウと、横殴りの風が吹き荒れる。白い幹を持つ落葉樹の、葉や枝を激しく揺らしていた。
強い風に雪が多く混ざるようになり、視界を真っ白に染めていた。
ソリ犬も走りにくそうにしている。
「クソ、どうなってんだよ、これ!」
針葉樹林の森の、ミハイルにとっては二年目の洗礼である。
厳しい冬の森の仕打ちに、舌打ちをした。
「ミーシャ、少し進んだ先に、洞窟がある。そこで休もう」
「熊の寝床じゃねえだろな?」
「違うと思う。たぶん」
オリガから曖昧な返事があり、ミハイルは不安を募らせる。しかし、このまま進むのも危険だった。
視界は真っ白で、ソリを牽く犬も足取りにも迷いがある。
雪と風が治まるまで、洞窟の中で大人しくしていたほうがいい。そう判断して、オリガの言っていた洞窟を目指し、辿り着いた。
銃を構えながら、洞窟の中に入る。オリガが角灯で、内部を照らしてくれた、
犬は反応することなく大人しくしているので、野生動物は潜んでいないようだ。
しかし、入ってすぐに骨があったので、ミハイルはぎょっとする。
「うわっ、なんだよ、これ!」
「イノシシの骨だな」
驚くばかりであったミハイルとは違い、オリガは冷静に分析していた。
ごつごつとした岩に囲まれた洞窟はそこまで広くない。
どうやら、狩人の休憩所として人工的に掘られたもののようだった。
ミハイルは辺りの石を集めて、簡易かまどを作る。
岩壁に蔓が生えていたので、引き千切って薪替わりにした。
火を熾したら、どんどん燃える。
犬は洞窟の入り口辺りで団子状に集合していた。密着しているほうが、温かいのだろう。
ミハイルは鞄から鍋を取り出し、葡萄酒を注いだ。続いて、乾燥果物と蜂蜜を入れる。
「ミーシャ、それは?」
「なんちゃってサングリア?」
サングリアとは、葡萄酒に果物を漬け込んで呑む甘い酒である。
最後にシナモンを入れて、ぐつぐつ煮込んだ。
ある程度温めたら、カップに果物ごと注ぐ。
受け取ったオリガは、不思議そうに眺めていたが、甘酸っぱい匂いを嗅ぐと、頬が緩んだ。
「都にいたときに勤めていた時、パン屋のおかみさんが寒い日に作ってくれたんだ。子どもだったから、酒じゃなくて、ジュースだったけれど」
ミハイルは昔話をしつつ、カップで冷え切った手を湯気の上がるカップで温めながら、サングリアを飲んだ。
シナモンの甘い香りと、果物の甘酸っぱさ、葡萄酒の渋みなど、さまざまな味わいが口の中に広がる。
喉から胃にかけて、熱を帯び、全身に温かさが広がっていく。
葡萄酒から作ったサングリアは、大人の味であった。
オリガも気に入ったようで、美味しいと言う。
続いて、外から掬って来た雪でスープを作った。
鍋に雪を放り込んで溶かしつつ、ナイフで薄く削いでいった燻製肉と香辛料、乾燥キノコなどを入れて、しっかりと煮込む。
パンは凍っていたので、鍋の蓋にして解凍させた。
スープの蒸気でふっくらとなったパンと、燻製肉と雪溶けスープが完成した。
自分達だけ食事を楽しむわけにはいかないので、犬達にも干し肉を与える。
「よし、オーリ、食おう」
「ああ、そうだな」
スープは燻製肉の塩気がにじみ出ており、針葉樹林の森の雪を使っているからか、いつもより柔らかい味のように感じた。
この大自然は、厳しくもあり、優しくもある。
スープを呑みながら、ミハイルはしみじみと思っていた。
食事が終わっても、風は治まらなかった。
洞窟の中は冷え切っていて、せっかく食事で温まった体を冷やしてしまう。
「オーリ」
「ん?」
「こっちに来い」
ミハイルはオリガの手を引き、腕の中に抱きしめるようにして座った。
「こうしていたら、温かい」
「そうだな」
オリガ越しにぼんやりと、火を見つめる。
よく燃える蔓があってよかった。入り口付近にあったイノシシの骨は、薪代わりにはならなかっただろう。
ミハイルが狩りに出かけようと言ったおかげで、大変なことになった。
オリガに謝っておく。
「ミーシャは悪くない。針葉樹林の森の天候は、気まぐれだから」
「そうだけどさ。辛い目に遭わせてしまって、申し訳ねえなって」
「いや、そんなことはない」
オリガは話す。視界の確保が悪くなるほど天気が悪くなって、洞窟で待機したことが何度もあると。
「寒い中、角灯の火だけで過ごしていたんだ」
携帯していた食料は凍ってしまい、食べられない。寒いし、お腹は空いたし、本当に家に帰れるか不安だけが募って最低最悪な状態だったと。
「それに比べたら、ぜんぜん、辛くない」
焚火があって、お腹はいっぱいで、ミハイルが温めてくれて――辛いことなど一つもないとオリガは言い切った。
「だから、ミーシャ。ありがとう」
返事をする代わりに、ミハイルはオリガの腰をぎゅっと抱きしめた。
空いている手で、金髪を優しく撫でる。
「本当、オーリは今まで一人で頑張っていたんだな」
「だから、ミーシャに逢えたんだ」
「そっか」
その後、夫婦は静かな時間を過ごす。
風はしだいに治まり、雲間から太陽の光が差し込んで来た。
オリガは立ち上がり、振り返って手を差し伸べる。
「ミーシャ、帰ろう」
「そうだな」
ミハイルは差し出された手を握って立ち上がった。
微笑むオリガの横顔を、洞窟に差し込んだ太陽の光が照らしていた。
その美しさに、ミハイルは見惚れる。
「ミーシャ、どうした?」
「あ、いや、なんでもねえ」
まだまだ照れてしまって、正直な気持ちを告げることができない、初心なミハイルであった。
悪天候で遭難しかけたものの、洞窟のおかげでなんとか助かる。
かつて、ここに洞窟を作った狩人に、夫婦は感謝をすることになった。




