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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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森の後始末

 オリガが森でトラ挟みにかかって怪我をした。

 その話は、事件の翌日に集まった『キタキツネの会』の組合員の集まりで報告する。

 四十名ほどからなる組合員達は、怒り狂った。男達のほとんどがオリガと同じ年頃の娘や息子を持っており、もしも自分達の子どもが同じ目に遭ったら絶対に許せないと憤る。

 抗議の意を唱え、武力行使も辞さないという雰囲気であったが、サーヴァが皆を落ち着かせる。


「相手は血気盛んな若造だ。ことは慎重に進めなければならん」


 怒りを抑え、どうすべきか、酒も飲まずに話し合った。


 その翌日。

 森の中に『輝ける黄金のトラを射止める会』のトラ挟みが森の至る場所に設置されており、それが周知されていない件に関して、『キタキツネの会』の組合員達は抗議の声をあげた。

 初夏になるとベリーの時季となり、女子どもも森へ足を踏み入れる。そうなる前に、対策をしなければならなかった。


 さすがに村一番の歴史と勢力があるギルド、『キタキツネの会』からの申し入れを『輝ける黄金のトラを射止る会』は無視できなかった。

 後日、設置場所を書いた村の見取り図を提出することを確約した。


 同じ日に、ミハイルと『キタキツネの会』の組合員五名はトラ挟みがあった場所へ向かう。

 クマと戦った場所でもあるので、ミハイルは恐ろしく思っていたが、さすがに、武装した人間が大勢いる中に野生動物は現れないだろう。意を決し、森の中へ再度足を踏み入れる。


 途中、煙草を手渡される。これは、緑星の村の名産らしい。


「クマは煙草の煙が嫌いなんだ」

「へえ、そうなんだ」


 個人的に、煙草というものは都のオヤジ達が恰好を付けて吸うものだと思っていた。

 しかし、ここら辺りでは、クマ避けの役割もある。


「ま、好きで吸っている奴が大概だがな。おい、吸い殻には各自気を付けろよ!」


 火事になったら大変だ。なので、煙草のカスは各々持ち歩いている、小型の灰皿に入れるのが『キタキツネの会』では決まりとなっている。


 モクモクとオヤジ達が煙草を吸っているので、ミハイルはもらった分はベルトに吊るしている鞄に入れておいた。


 倒したクマは他の野生動物に食べられているかもしれないと思っていたが、そのままの姿で横たわっていた。


 個体としてはそこまで大きくはない。しかし、襲われていた時は大きなクマに見えた。

 今、冷静になった時に見下ろすと、記憶の中のクマよりも小さく見える。


「襲われている時は、小さなクマでも化け物じみた大きさのクマに見えるもんさ」


 組合員の男に、ポンと肩を叩かれる。長年狩人をしていると、クマに襲われるというのは誰もが経験することらしい。恐ろしい話であった。


「なあ、このクマ、どうするんだ?」


 獲物は仕留めたあとすぐに内臓を摘出しないと、消化物や血液などから肉が汚染してしまうので食用にはできない。


「まあ、真冬でも、猛烈に人を追い駆けたあと死んだクマは不味いだろうなあ」


 体の体温が高い状態で仕留めた獲物は、肉が不味くなる。狩人の常識である。

 基本的に、罠で仕留めるよりも、待ち伏せして仕留めた肉のほうが美味い。


「罠は猛烈に暴れ回るんだよなあ」

「足を引き千切ってまで逃げる奴もいるから」

「なるほど」


 オリガが罠で仕留めたシカを何度か食べたことがあったが、臭みもなく、美味しかった。

 なので、それ以外の方法で狩った肉はもっと美味しいのか。

 たまに、『仕立屋 愛しきヴェローニカ』に肉を売っている日があるので、罠猟でない物ならば買ってみようかと思う。


「よし、ミハイル、解体するぞ」

「へ?」

「春のクマの毛皮は上等だ。高く売れるぞ」


 このままクマは埋めると思っていたので、想定外の事態となる。

 組合員達はナイフや鉈を抜き、クマを取り囲んであっという間に皮を剥いだ。

 骨も肉を削ぎ、持ち帰る。クマやシカの骨も、活用法がある。赤星の村の漁師達が釣り具を作ったり、青星の村では弓矢のやじりを作ったりもする。


 あっという間に、肉と皮、骨、爪、牙など、部位ごとに解体してしまった。

 肉は地面を掘って埋めた。

 朽ちたクマは針葉樹林タイガの森の生命の巡りに加わることになる。

 死する骸であったが、無駄な物は何一つとしてなかった。


「ミーシャ、毛皮はよ~く洗えよ。たぶん、ダニだらけだ」

「これ、俺がもらってもいいのか?」

「お前達夫婦が仕留めたものだろう?」


 しかし、解体はほとんど手伝えなかった。なので、骨と爪、牙は皆でわけてくれと提案する。どうしてもというのならばと、組合員達は受け取ってくれた。


 罠にかかり、生きながらクマに食べられていたイノシシは、そのまま土の中に埋める。

 オリガの罠は撤去した。


 最後に、トラ挟みの跡を確認する。


「こんなところに……」

「ひでえな」

「こんなの、気付かない」


 そこは木々がジグザグ状に生えている場所であり、一本避け、二本目を避け、三本目を避けようと踏み込んだ先に、トラ挟みが設置されていた。


 サーヴァがしゃがみ込み、地面に埋められた鎖を掴みながら話す。


「……昔、うちの村でも、こいつが問題になったことがあってな」


 二十年ほど前、都の商人がトラ挟みを売りに来たことがあった。

 異国より輸入した高性能のトラ挟みは、大型の獲物を確実に捕える罠として、狩人の人気を得る。


「だが、ある日、先代村長の大事にしていた猟犬が誤ってかかってしまってな」


 犬は出血死してしまった。以降、トラ挟みは禁止となっていた。

 その決まりも、先代の村長が亡くなったあと、マカールが新たな長に就くとうやむやになった。


 神妙な面持ちでサーヴァは話を続ける。


「許せないことだが、『キタキツネの会』と『輝ける黄金のトラを射止める会』が仲違いをするのもよくない」


 この件に関しては慎重に進めるということになった。


 ひとまず移動して、開けた野原で家から持参していた昼食を各々広げていた。

 ミハイルはオリガと一緒に用意した、パンに自家製燻製肉をチーズと挟んだものを食べる。


「ミーシャ、それ、美味そうだな」


 言われて、他の人の昼食に視線を移す。

 皆、リンゴ一個とパン、チーズの欠片という内容だった。

 オリガがたくさんパンの中に燻製肉を詰め込んでくれていたので、皆に一枚ずつ、燻製肉を配って回った。


「ミーシャ、お前、良い奴だな」

「これ、なんの肉だ?」

「イノシシだよ」


 臭みの強いイノシシであったが、しっかりと香草で味付けをして燻した。

 夫婦の間で自画自賛している、絶品燻製肉なのだ。

 オリガの燻製技術と、ミハイルの料理の腕が合わさって仕上がった奇跡の料理である。


「美味っ!」

「なんだこれ!」

「こんな美味いの、食ったことねえ!」


 脂身は甘く、噛むと肉汁と共に旨味が滲み出る。塩加減も絶妙で、香草の香りも良い。

 一同、大絶賛であった。

 狩人の燻製肉として売り出したらどうだと提案される。


 秋から冬の間の新しい収入源として、いいかもしれない。

 ミハイルはオリガと話すことにした。


 ◇◇◇


 帰宅をすると、家の中より女性達の笑い声が聞こえてぎょっとする。

 いったい何が起きているのか。

 窓からそっと居間を覗くとオリガを中心として村の女性達が円になって座り、楽しそうにお喋りをしていた。

 中には、ロジオンの母親やサーヴァの妻の姿もある。

 そこで、婦人会の『気まぐれ猫』の女性陣が見舞いにでもやって来たのだろうと予測する。

 今日、ミハイルが森に罠の確認に行くことを知っていたので、不在中にオリガを励まそうとやって来たのかもしれない。


 邪魔するのも悪いので、クマの毛皮を殺菌作用のある薬草水に浸けたあと、そのまま馬や犬の散歩に出かける。


 一時間後、戻ってきたらオリガは玄関先の階段に座り、ミハイルの帰りを待っていた。


「ミーシャ……」

「オリガ、そこで待て!」


 駆け寄ってこないよう、真剣な表情でミハイルは手で制する。

 その様子を見たオリガは、吹き出し笑いをしていた。


「笑いごとじゃねえからな! いいか、大人しくしていろよ」


 馬と犬を戻し、新しい水を与えて玄関に向かう。


 階段を駆け上がると、オリガが手を広げて出迎えた。

 一瞬戸惑ったのちに、身を委ねる。すると、やわらかく抱きしめられた。

 オリガの匂いを感じたら、森の散策で張り詰めていた心は落ちついた。


 耳元で、「無事でよかった」と囁かれる。


「ミーシャ、おかえりなさい」

「ただいま、オリガ」


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