キタキツネの会の会合(※飲み会)
今宵も『キタキツネの会』の会合という名の飲み会に参加する。ミハイルは薬師からもらった赤葡萄酒と以前好評だった燻製肉を持参した。
飲み会があるのは、村の真ん中にある『キタキツネの会』専用の狩猟小屋。
奥方に隠れてこっそり飲み会をするためだけに、十年前に建てられた。
狩猟小屋は村の家同様丸太造りで、中は結構広い。
内部は大きな暖炉があり、床にはクマやシカの毛皮が絨毯代わりに敷かれていた。『キタキツネの会』の本部らしく、キツネの剥製があった。
一応、狩猟小屋らしさを主張するためか、壁には複数の散弾銃が張り付けられ、床にはシカの角が転がっている。
屋根裏部屋には泥酔者専用の寝台があり、酒樽や空の酒瓶などは地下に隠されていた。
ミハイルは飲み会であることをきちんとオリガに言ってある。「ほどほどに楽しめ」という言葉と共に見送られた。
最後にサーヴァがやって来る。
「遅いぞ」
「すまん。母ちゃんに捕まってた」
「そいつは仕方がないな」
『キタキツネの会』の会合の実態は奥方にバレている。
たいてい、白い目で見送られているらしい。
「ミーシャんとこも、奥さんに睨まれながら来ているんだろ?」
「いや、うちは別に」
ニヤニヤとしながら、ミハイルが尻に敷かれている話を酒の肴に聞こうとしていたオヤジ達であるが、そうではないと判明して真顔になる。
「え、何、ミハイル君のほうが地位は上なの?」
「もしや、ミハイルの前で嫁さんは猛虎じゃなくて、猫ちゃんなの?」
「は? なんだよ、それ」
ここで、明らかになる夫婦の格差社会。
『キタキツネの会』の組合員のほとんどが、妻の尻に敷かれている男ばかりだった。
「猛虎が猫……。ダメだ。想像できない」
「ミハイルのところは絶対に女王と僕みたいな生活だと思っていたのに」
確かに、出会った時は威圧感があった。それから、ひれ伏したくなるような高貴な雰囲気も。それは、確実にオリガの中に流れる血だろうと、ミハイルは確信している。
「それはそうと、ミハイル、今日はこれを頼む」
突然手渡されたのは、肉付きのあばら骨。
「なんの肉だ?」
「シカだ」
今の時季、緑星の村より依頼がある。仕事の内容は、畑を荒らす害獣の駆除だ。
栄養たっぷりの新芽は野生動物にとってはご馳走で、一度食べたら病みつきになるようで、毎晩やって来ては、食い荒らす。
「春先の雌シカは、美味いぞ」
「ふうん」
しかも、待ち伏せして仕留めた獲物なので、肉質は極上。
ミハイルに手渡した理由は、調理を頼むためだ。
「いやはや、ミーシャがここに入ってくれて、本当に良かった……」
今まで、持ち寄った食材の調理方法は焼くのみだった。味付けは塩を振るだけ。臭みの強い肉を焼いた時は部屋に悪臭が立ち込めて大変なことになった日もある。
奥方は忙しいので、『キタキツネの会』のためだけに料理を作ることなんてしまい。
そんな状況下で、ミハイルの料理は救世主となった。
今やすっかり『キタキツネの会』の料理担当となっている。
「……さて、どうすっか」
そのまま焼いてもいいが、今日は赤葡萄酒がある。
「今晩はちょっと冷えるし、スープにするか」
さっそく、調理に取りかかる。
まず、あばら骨の肉にナイフで切り目を入れて、蜂蜜にしばらく漬け込む。そうすれば、やわらかくなる。
猟師小屋に台所はない。暖炉に鍋を吊るして調理を行う。
調味料や保存の利く野菜類は組合員達の各家から持ち込まれており、無駄に豊富だった。
まず、鍋に刻んだタマネギ、ニンニク、香草を入れて炒め、しんなりしてきたら、ニンジン、ビーツを入れてさらに炒める。野菜に火が通ったら、蜂蜜漬けにしていた肉を焼き、しっかりと焼き目が付いたら、水と赤葡萄酒を一本すべて注いだ。
背後からもったいないと聞こえたが、ケチったら不味くなる。なので、無視した。
暖炉の前に胡坐をかいて座り、丁寧に灰汁を取り除く。
背後では、『キタキツネの会』の組合員達がゲラゲラと笑いながら話をしていたが、集中しているので気にはならない。
最後に、香草と塩胡椒で味を調えたら完成した。
「できたぞ」
「おお!」
「待ってました」
あばらは一人一本しかない。深皿に装い、配っていく。
「あばらのスープ、豪快だな……」
パン屋の奥方が教えてくれた下町料理である。
安くて堅い肉を蜂蜜や酒に漬けこんでやわらかくしてから食べる、庶民の知恵が詰まった料理なのだ。
「なあ、ミハイル、これ、スメタナかけてもいいの?」
「好きにしろ」
「ミハイル、これ、パンに浸したら美味しい?」
「自分で食って確かめろ」
赤葡萄酒を使った未知のスープを前に、皆質問を重ねる。
ビーツが入っているのでボルシチに似た見た目だが、味わいはまったく違う。
ミハイルはそのまま食べるほうが好きだった。
ナイフを取り出し、あばら骨の端から滑らせるように肉を剥す。
「――うわ、なんだこの肉!」
シカ肉は骨からホロリと取れた。
いつもならば、ここで骨から肉を外すのにひと苦労するが、今日の肉はあっさりと外れた。
シカ肉を一口大に切りわけて、食べる。
いつもは肉にわずかな獣臭さとしっかりとした歯ごたえを感じていたが、このシカはクセなどまったくなくてやわらか。舌の上でとろけるようだった。脂はプルプルで、噛むと甘味を感じる。
スープは濃厚。シカの旨みが溶け込んでいた。
皆、口々に美味い、美味いとスープを食べている。
ミハイルは肉を一口、スープを飲んで匙を止めた。
「ミハイル、どうした?」
「いや……なんか、俺だけ美味いもん食って……悪いなと」
以前教えてもらった通り、罠猟と待ち伏せして狩った肉はぜんぜん味が違う。
オリガにも食べさせたい。そう思ったのだ。
「ミーシャ、お前、なんて奥さん想いの良い奴なんだ」
「俺、今度害獣退治の依頼を受けているから、あばらを持って行ってやるよ」
だから今日は食え。そう、勧められる。
「ありがとう」
ミハイルは頭をガシガシと撫でられ、別の方向からは背中をバンバンと叩かれた。
見ず知らずの、よそ者なのに、皆優しかった。親身になり、相談にも乗ってくれる。
たいていの男は、ガサツで、奥方を恐れ、力持ちで、働き者。それから明るくて、頼りになる。
ふと、ミハイルは思う。自分に父親がいたのならば、こんな感じなのかなと。
そんなことを考えていたら心がじんわりと温かくなり、少しだけ泣きそうになってしまった。
◇◇◇
日付が変わる前に、ミハイルは帰宅を果たす。オリガは玄関で出迎えた。
春とはいえ、夜は冷える。
ミハイルの体は夜の帰り道で、すっかり冷え切ってしまったようだ。
「なんだ、まだ起きていたのか」
「ああ。一人で眠るのは寂しいから」
思っていたことを素直に口にする。夫婦に隠し事は厳禁なのだ。
どういう反応を示すのか。想像できていたが、ちらりと見る。
しばし見つめ合う。いつものミハイルだったら、「何言ってんだ」と返すところであった。
あろうことか、本日は想定外のことを口にした。
「オーリは本当、可愛いなあ」
「え!?」
にっこりと微笑みかけ、慈しむように頬をそっと撫でられる。
まさかの反応に、オリガは目を見開いた。
いったいどうしたのか。
よくよく見たら、頬や耳が赤らんでいる。酒の匂いもしているので、明らかな酩酊状態だった。
「ミーシャ、酔っているな?」
「酔ってねえよ」
「酔っている」
オリガは眠ろうと言い、肩かけをミハイルの冷えた体に巻きつけた。
ミハイルは珍しく酔っていた。
足元はしっかりしているので、不思議な酩酊状態ではあるが、ずいぶんとフワフワしている様子だった。
二階に上がり、寝室に向かう。
寝台に辿り着くと、オリガは布団に押し倒された。
「きゃっ! えっ、あの、ミーシャ……?」
「オーリ」
うっとりと、甘い表情でじっと見つめられる。
そういう目で見られたことなど今まで一度もなかったので、どぎまきしてしまった。
ミハイルはオリガの長い三つ編みを手で掬い取り、猫の尻尾のようだと言った。
毛先を口元へ持って行き、キスをする。
手から離れた三つ編みは、オリガの胸にするんと落ちた。
いつもと違い過ぎるミハイルを見上げる。
目が合うと、翠色の森を思わせるミハイルの瞳は優しく細められた。
「ミ、ミーシャ……」
「いいよな?」
「あ、えっと、その……」
ずっと前から覚悟は決めていたが、まさか今日がその日だったとは。
想定外のできごとに、動揺していた。
ドキドキと、胸が高鳴る。
戸惑いや驚きを悟られまいと、瞼をぎゅっと閉じる。
酔っている今でいいのかと思ったが、酔っていなければミハイルは手を出してこないだろう。
ミハイルはオリガの額に、そっと口付けする。
だんだんと、鼓動が高くなった。
思考もできなくなり、頭の中がぼんやりとなる。
「オーリ、大切に、するから」
その一言を聞いたら、体の強張りが解けていく。
――ミーシャにすべてを委ねよう。
そう思って瞼を開いた瞬間、ドサリという音が聞こえる。
ミハイルはオリガの隣に倒れ、すうすうと寝息を立てて眠っていた。
オリガは一瞬にして冷静になり、一言呟いた。
「……なるほど」
ミハイルを見つめる目は猛虎そのものになっていたが、眠っている本人は知る由もない。




