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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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新しいお仕事

 今日起こしてしまった暴力沙汰は胸に秘めておこう。オリガが知ったら気に病むし、悲しむ。

 表情や雰囲気からも伝わらないようにしなければならない。

 まだ、マカールを殴った感覚は手に残っている。指先も、微かな痛みを残していた。

 初めて人を殴った。

 殴られたほうだけではなく、殴ったほうも痛い。

 それは、体の痛みだけでなく、心もズキズキと痛んでいた。

 こんなに辛いことなど、二度としたくない。ミハイルは奥歯を噛みしめながら思う。


 いろいろと考え事をしていたら、家についてしまった。

 塀の中に入る前に、大きく息を吸い込んで、吐く。

 気持ちの入れ替えは完了した。

 馬から下りて、帰宅する。


 オリガは庭に出て、洗濯物を干していた。


「おかえりなさい、ミーシャ」


 広げていたシーツの端から、顔を出しながらミハイルを出迎える。

 ひょっこりと顔を覗かせる様子は可愛い、と一瞬思ったが、すぐに我に返った。


「おいおい、大丈夫なのかよ」


 家の中で大人しくしていると思いきや、オリガは働いていた。

 薬師は傷口が開くかもしれないので、一週間は安静にしておくようにと言っていたのに、このありさまであった。


「薬師のじいさんも家でゆっくりしてろって言ってたろ?」

「いや、わかっているのだが、家の中で何をしていいのかわからなくて……」


 ミハイルの不在中、オリガが働かないように、掃除もすませていた。

 まさか、力仕事である洗濯をしていたとは、思いもしなかった。


「その、だいぶ、良くなったんだ」

「昨日の今日でよくなるわけねえだろうが」


 ミハイルはオリガのほうへ回り込む。すると、ぎょっとした。

 靴はブーツではなく、圧迫感のない突っ掛け(サンダル)を履いていたのだが、露出している包帯から血が滲んでいたのだ。


「ほら、言わんこっちゃない!!」


 ミハイルはオリガの体を抱え、家の中へ連れて行く。居間の長椅子に座らせて、包帯を取り払った。


「ミ、ミーシャ、平気だ。自分でできる」

「それは聞けない願いだ」


 縫い合わせた傷口から出血していた。まだ、完全に塞がっていなかったのだ。

 痛々しい傷痕を見ていると、腸が煮えくり返りそうなほどの怒りを覚える。

 これを所有印だと言ってのけたマカールの発言を思い出して、さらに苛立ってしまった。


「すまない、すまない、ミーシャ」


 オリガの謝罪を聞いて、ハッと我に返る。

 今日あったことは胸に秘めておこうと決意したばかりなのに、さっそく顔に出してしまった。


「いや、オリガは悪くねえ」


 それから、薬師から習っていた傷口の治療を行い、再度包帯を巻く。

 その間、二人共無言だった。気まずい空気となる。

 せっかく明るく暖かな春がやって来たのに、暗くなってしまうのはもったいない。

 ミハイルは自身の黒い感情は胸に閉じ込め、なるべく明るい声を装いながら話しかける。


「昼からは――そうだ。前に言っていた、畑仕事をしないか?」


 以前、オリガが言っていたのだ。春になったら、庭にある畑を耕して、種蒔きを行うと。

 種を土に埋めるくらいならば、負傷したオリガにもできる。


「俺、畑仕事したしたことねえから、教えてくれ」

「ああ、わかった」


 やるべきことを決めたところで、按摩治療の客がやって来る。

 患者は緑星の村の野菜農家だった。

 オリガはそのまま居間に残り、ミハイルの仕事を間近で見ることになる。


 床に布団を敷いて、その上に患者がうつ伏せで寝転がった。

 やって来たのは肌が小麦色に焼けた、四十代の中年男性。

 春になり、急に仕事が忙しくなったので、体を痛めてしまったのだと話す。


 青星の村の狩人の男衆同様、がっしりとした身体つきだった。


「いや~、はりきって畑を耕していたら、このザマで」

「なるほどな」


 ぐっ、ぐっと、肩から背中を親指で押していく。

 血流が悪くなっている患部を蒸しタオルで温め、施術を施す。


「体はなんでこんなになっちまうのかねえ。年のせいか」

「それは――」


 筋肉は動かすことにより代謝物や老廃物がでてくる。それは血管を通り、筋肉の外へ排出させる。これが、正常な筋肉の状態である。


 それが疲れてしまうと、異常をきたす。


 筋肉が凝っている時は、血管が圧迫されて血流が滞り、代謝物や老廃物が内部に詰まってしまう。それが神経を刺激するので、痛みを感じるのだ。


 按摩によって血流の悪化を緩和させ、症状を改善させるのがミハイルの仕事である。


 施術は一時間みっちりと行う。

 大柄の男性で、筋肉も硬いので、ミハイルの額には汗が滲んでいた。途中、オリガが顔や首を冷たい手巾で拭ってくれた。


「春の畑の手入れが一番大変で」


 まず、凍っていた土を全体的に解さなければならない。それから、小石や雑草、虫の幼虫などを取り除き、肥料を散らして再度土を耕す。


「肥料って?」

「野菜の栄養だよ。あるのとないのとじゃ、ぜんぜん違うね」

「ふ~ん」


 ミハイルはオリガに、肥料は使っているかと視線で問いかけた。

 オリガは首を横に振る。どうやら、肥料を使わずに野菜を育てていたらしい。


「肥料って、どんな物を使っているんだ?」

「秋に採れた落ち葉を発酵させたり、樹皮やおがくずを発酵させたり……」


 落ち葉肥料は穴を掘って地面に埋めるだけ。発酵には二、三ヶ月ほどかかる。

 樹皮肥料はさらに時間を要する。まず、材木は二、三年乾燥させ、その後、細かく砕く。それに、家畜の糞を混ぜたあと、五ヶ月ほどで完成する。


「手間暇かけているんだな」

「ああ、そうなんだよ」


 按摩で体と共に気持ちも解れているからか、緑星の村の秘伝の肥料の作り方について、べらべらと喋る。


「もっと簡単に短期間でできるのはないのか?」

「いや~、短期間に作れる肥料ってないなあ」

「そうか……」


 家畜の糞からも肥料が作れるようで、方法を教えてくれた。

 牛糞八、鶏糞二の割合で混ぜ合わせ、そこに小麦の殻や油かす、魚の骨などを混ぜて土に埋めると、一週間ほどで発酵するので、太陽の光が当たるように積み上げて放置する。これも、完成まで数ヶ月を要する。


「上手い具合に完成したら、臭いも薄くなる。それが確認できたら、肥料の完成だ」


 まず、種を蒔いたあと、同時進行で肥料を作り、途中で与えたりすることもあるらしい。


「ま、農業に正解はない。それぞれ、皆試行錯誤を重ねている」

「そうだよな」


 パン作りも同じだ。最初から、上手くいくことはない。

 貴重な話を聞かせてくれた農家の男に、ミハイルはお礼を言った。


 みっちりと一時間施術を施した。

 体の痛みが解消され、体がポカポカしているところに、スープとパンを振る舞う。


「いやはや、噂には聞いていたが、来てよかった!」


 ずいぶんと楽になったと、嬉しそうに話す。他にも体を痛めている村人がいるらしく、ここの宣伝をしてくれるとのこと。しばらく客に困りそうになかった。

 緑星の村の男はパンとスープをぺろりと平らげて、満足した様子で帰って行った。


 ミハイル達も昼食の時間となる。

 そこで、先ほど買っていた黒トナカイのナイフの存在を思い出した。


 さりげなく、食卓の上に並べておく。

 居間にいるオリガを連れに行こうと思ったが、支度が整った頃にやって来た。


 スープを取りに来ようとしたが、先に座っておくように言う。

 ミハイルはスープの壺を持って行く。


 オリガは、食卓の上にあった黒トナカイのナイフを凝視していた。

 近づいたミハイルに、同じ視線を向ける。


「ミーシャ、これは?」

「そこにあったんだよ」


 敢えて、買って来たとは言わなかった。誰かに贈り物をすることが初めてだったので、照れていたのだ。


 オリガはナイフを手に取って、指先でゆっくりとトナカイの角で作られた鞘や柄をなぞる。

 それから、ぎゅっと握りしめて、胸に抱いた。


「ありがとう……嬉しい……本当に」


 晴れやかな微笑みを向けてくれる。


 オリガは黒トナカイのナイフを喜んでくれた。それだけで、今までの苦労は消えてなくなる。

 これからも、たくさんオリガの笑顔を見たい。今まで以上に頑張ろうと、ミハイルは思った。


 ◇◇◇


 午後からは予定通り畑を耕す。


「なんの種があるんだ?」

「ジャガイモにトマト、キュウリ、それからビーツだ」


 ジャガイモは保存食として置いていた、古くなったものを種イモにするらしい。

 毎年、家庭菜園で野菜を作っているが、結果は残念なものになっている。

 それは、肥料を使わないで育てていたからだと、本日発覚した。


 雪に押し潰されていた畑の土はガチガチに固かった。

 それに負けない春の芽吹き――雑草も生い茂っており、畑とは思えない状態である。

 オリガと二人で草を抜く。雑草をやっつけたら、鍬で土を耕した。

 思っていた以上の重労働で、瞬く間に全身が汗でびっしょり。


 ここでもオリガがミハイルを手招きして、汗を拭ってくれる。


「ありがとう」

「井戸で濡らした手巾ならば、もっとすっきりしただろうが」

「気持ちだけ受け取っておく」


 隙あらば動こうとするので、ミハイルは厳しく監視していた。


「そーいや、いつも牛の糞と鶏の糞を埋めているところの土は、ここの土よりも色艶がよかったような」

「もしかしたら、肥料に使えるかもしれないな」


 早速、見に行ってみる。もちろん、オリガはミハイルが抱えた状態で。


 家畜の糞は塀の外のさまざまな場所に穴を掘って、埋めてを繰り返している。一年前に糞などを埋めていた所を掘り返してみたが、臭いはほとんどない。生ごみも一緒の場所なので、良い具合に土が発酵しているように見えた。


「オリガ、これ、使えそうだな」

「そうだな。早速、畑に混ぜてみよう」


 ミハイルとオリガの畑作りは、好発進で始まった。


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