ミハイルの想い
オリガが狩った獲物は、鞣して皮から革へと加工する。
鞣しの技術も、ミハイルはオリガより教わった。
解体したばかりの皮は、脂肪や肉がこびりついている。それは鉈などで綺麗にそぎ落とす。
力のいる仕事だが、ここで表皮を破らないよう、細心の注意をしなければならない。
刃先が引っかかるのを防ぐために、先端が丸い剣鉈を使う。
これで、下準備は完了。次に、皮を鞣す工程に移る。
材料は水と食塩とミョウバン。
ミョウバンは植物の木を燃やし、灰を煮込んだ灰汁より作られる物質である。だが、どこの木から、どういう製法で作られているのかは謎。緑星の村でのみ伝わっている技術である。
まず、桶に張った水に塩とミョウバンを混ぜ、その中に剥いだばかりの毛皮を入れて、一週間漬け込む。一日一回、液をかき混ぜることを忘れずに行う。
一週間後。
液から取り出して毛皮部分を洗ったあと、植物性の油とミョウバン、水、塩を混ぜたものを皮に塗りこみ、家の壁に打ち付けて壁干しする。
縮んだり、くるくると丸くなったりするのを防ぐために、ピンと張っておかなければならない。
乾燥後、毛皮部分はカチコチなので、石で打ち付けたあと、手でしっかりと揉む。
すると、フワフワの毛皮が完成する。
最初にウサギで作った革は大失敗だった。
あちらこちらに穴が開き、裏も表も硬くなって売り物にならなかった。
それから何度もオリガに教えを乞い、今日、キツネの毛皮が完成した。
オリガに見せたら、合格点を貰う。
「変色していないし、鞣しも上手くできている。毛並みも申し分ない」
思いがけず高評価だったので、ミハイルは嬉しくなる。
「じゃ、今度から、キツネとウサギとイノシシは俺がする!」
「そうだな。任せるとしよう」
オリガはミハイルの鞣しを認めてくれた。
これから先は、すべての鞣しができるようになりたい。
クロテンやミンクなどの高級毛皮は難しいのだろうか。加工して失敗するのは怖いけれど、挑戦してみたくなった。
しかし、その話を聞いたオリガは首を横に振る。
「すべてミーシャが担わなくてもいい」
それは、突き放すような言葉だった。
大切な仕事は任せられないという意味にも取れる。
やはり、オリガにとって、ミハイルは保護している子どもだという認識なのだろう。
関係が対等になることなど、ありえない。
その事実を目の当たりにしたミハイルは、悔しくなる。
オリガの暮らしが少しでも楽になったら、という思いがあった。
しかし、共に生活を送るにつれて、それだけではいけないと思う。
オリガと出会い、今までの女性の認識がガラリと変わった。
都の娘達は、親に依存して成長する。
年頃になったら結婚をして、今度は夫に依存するのだ。
しかし、女達が楽をして暮らしているわけではないことはミハイルも知っている。
家事や炊事、子育ては、立派な労働だ。
外で働く男が偉いとか、家で働く女が健気だとか、どちらかに偏った考えは持っていない。
社会は人の力で回っている。男も、女も、子どもや老人だって、誰かが欠けたら、動かなくなってしまうのだ。
一方、オリガは誰の手も借りずに、ずっと独りで暮らしてきた。
そんな彼女を助けたいと思うようになるのは、必然的なことだろう。
だが、オリガは差し伸べた手に、己の手を重ねようとしない。
ミハイルが十七歳の、子どもだからだ。
どうしたら、夫として認めてくれるのか、頼ってくれるのか。
苛立ちすら覚えているミハイルに、オリガは話しかける。
「あの、よかったら、このキツネで、好きな物を買うといい」
「え?」
「上手く鞣されているから、きっといい品と交換できるだろう」
オリガより差し出された毛皮の前で、ミハイルは首を横に振った。
頑張って狩った獲物なのに、貰うわけにはいかない。
お小遣いのつもりなのか。お駄賃のつもりなのか。
どちらにせよ、手持ちの毛皮を一枚も持っていないミハイルに同情して渡してくれたに過ぎない。
「遠慮はしなくていい。ミーシャはいつも頑張ってくれているから――」
「……俺のほしいものは、そんな毛皮じゃ手に入らねえよ」
ミハイルが望むのは、オリガの絶対的な信頼。
それは日々の積み重ねでもあるが、年若いミハイルは知る由もない。
そして踵を返したあと、オリガの傷ついた表情にも気付いていなかった。
抱え込んだモヤモヤは、すべてパンの生地にぶつけた。
今日もふっくらとした、美味しそうなパンが焼ける。
◇◇◇
昼食の準備が終わったので、馬と犬の散歩に出かける。
籠に中には、薬師に渡す土産を持っていた。
本日は『クレビャーカ』という、渦巻き状のパンを焼いた。中にはチーズと、昨日ロジオンから購入したオームリ、乾燥バジルなどをバターと塩胡椒で炒めた具が入っている。
馬の小走りだと、三十分ほどで薬師の家に到着した。
仕立屋に行った時と同じように、馬や犬を樹の幹に繋げて扉を叩く。
「は~い、入っていますよ~」
薬師は家の中より謎の返事をする。
ミハイルは溜息を吐きながら、勝手に中へと入った。
すぐに薬師はひょっこりと顔を出した。
「おや、ミーシャさん」
「客は?」
「いないですよ。どうぞ、客間へ」
台所に行こうとした薬師を引き留めた。
「あ、待って。これ、土産」
「わあ、ありがとうございます。まだ温かいんですね。嬉しいです」
薬師はミハイルのパンについて知っている数少ない村人の一人である。
こうして、週に一度は焼いたパンを持って行っていた。
薬師はホクホク顔で礼を言い、今度こそ台所のほうへ歩いて行った。
十分後。
紅茶とパン、塩が振る舞われる。
ミハイルは紅茶を飲んで気分を落ち着かせてから、話を始めた。
「あの、相談なんだけど、この辺りで働けるところを知っているか?」
「働く場所、ですか」
薪割り、動物の世話、家事、炊事など、なんでもするという。
しかし、薬師は首を横に振った。
「ミーシャさん、残念ながら、そのような仕事はありません」
「……」
なんとなくわかっていたことであったが、いざ、はっきりと言われると落胆してしまう。
「しかし、どうして働きたいなどと? オーリとの生活が、嫌になったのですか?」
「違う」
「でしたら、どうして?」
深い事情を話すべきか迷った。
しかし、経験豊富な大人など、この薬師しか知らない。
自分の中に抱え込むには、あまりにも大きく、心苦しい問題だった。なので、意を決し、相談することにした。
「ずっと、養われているというのも、気分が悪い。それで、働きたいなと」
「ああ、そういうことですか。なるほど。男の沽券にかかわる問題ですね。わかります」
だったらと、薬師はある提案をする。
「私は森の薬草を煎じたりするほかに、按摩という手技療法を行っているのですが、習ってみませんか?」
「え?」
按摩とは、体を揉んで血行を良くしたり、筋肉の凝りを解す療法である。
「ミーシャさんでしたら、真面目ですし、元パン屋ということで、向いているかもしれません」
生地を揉むことと、按摩はよく似ていると、薬師は言う。
「いや、パンと人の体はぜんぜん違うだろう」
「そうですか? いい誘い文句だと思ったのですが」
ここで、薬師は居住まいを正す。
「あの、ずっと気になっていたことがあるのです」
「なんだ?」
いつになく真面目な表情を浮かべるので、ミハイルもピンと背筋を張って居住まいを正した。
「やはり、胸のやわらかさと、パン生地の柔らかさは別物ですか?」
「は?」
「ですから、女性のおっぱいのやわらかさと、パンの生地のやわらかさは――」
「いや、聞き返したんじゃねえよ! 何を言っているんだ、クソジジイ!」
薬師の質問に対し、ミハイルは狼狽する。
ふざけるのはこれくらいにして、本題へと戻った。
「いやはや、真面目な話、老骨に按摩は厳しくなっておりまして、施術をしてくれるのならば、大いに助かるわけです」
ちなみに、やって来る患者のほとんどが男性。
皆、仕事で体を痛めていると言う。
「そういえば、オーリも肩こりが酷いと言っているのですが、私に施術をさせてくれなくて……」
「そりゃそうだろうよ」
オリガがむっつり好色ジジイに気を許していなくて、ミハイルは心からホッとした。
「しかし、あいつまで体を痛めているって、狩猟って大変なんだな」
「いや、オーリは違うでしょう」
「違う?」
首を傾げるミハイルに、薬師は胸の前に、手で半円状を描くように動かして、言いたいことを暗に伝えたが――。
「なんだ、そりゃ?」
「えっとですね。オーリは胸が大きいので、肩が凝るんですよ、ということをお伝えしたく」
「……」
ミハイルは眉間に皺を寄せ、歯を食いしばる。
真剣に相談していたはずなのに、いつの間にか胸の話ばかりするのだ。
それから薬師は、慈愛に満ちた笑みを浮かべて言った。
「ぜひ、オーリを優しく揉んで、喜ばせてあげてくださいな」
ミハイルは本日二回目の「クソジジイ」を叫んだ。
そして、按摩を習う件に関しては、今日のところは保留とした。




