イクラ
本日はリスの毛皮とキツネの毛皮、鶏の卵を託され、買い物に来た。
物々交換で、魚があったら買って来てほしいとのこと。
まず、太いスギの樹に馬を繋ぐ。散り散りになっていた犬も集めて、首輪に縄を付けて、マツの樹に繋いでおいた。
「すぐ戻って来るからな。大人しく待ってろ」
ミハイルは犬や馬に、真面目な様子で言って置く。
犬達は雪をパクパクと食べて、水分補給をしていた。馬はのんびりと尻尾を振っている。
犬が馬の番をしてくれるので、心配はいらない。
ミハイルは手早く買い物を済ませるために、『仕立屋 愛しきヴェローニカ』に入った。
カランカランと、扉に付けている鐘の音が鳴ると、「いらっしゃいませ」と声がかかる。
「あ、ミーシャだ」
「おう」
店の奥からひょっこり顔を出したのは、そばかす顔の少年ロジオンだ。今日も店番を任されていたようである。
「今日はどうしたの?」
「毛皮と魚を交換しにきた」
「了解」
何匹か物々交換で入手した魚があるらしい。
「今日はとっておきの魚が入荷したんだ」
「とっておき?」
魚は外の雪の中に埋めているので、見せてもらう。
ロジオンは柄の長いスコップでザックザックと雪を掘る。すると、大きな細長い木箱が出てきた。表面の雪を取り払い、蓋を開く。
「じゃ~ん」
「な、なんだ、これは!?」
箱の中に入っていたのは、ロジオンやミハイルの身長ほどもある、大きな魚だった。
体の色は黒。背にはゴツゴツとした背骨のようなものが突き出している。
「これは蝶鮫の一種で、セヴリューガって言うんだ。黒いイクラが取れるんだよ」
「へえ~」
しゃがみ込んで、セヴリューガを覗き込む。
「顔、怖っ!」
「でも、イクラも、身も、美味しいんだよねえ」
「これ、身も食うのか?」
「そうだよ」
塩漬けやオイル漬け、鍋で焼いたり、網焼きにしたりして食べるとロジオンは言う。薬味と塩を振って生で食べても美味しいとも。
「生って……」
「いや、美味しいから!」
都育ちのミハイルは、生の食べものに抵抗がある。
しかし、針葉樹林の森の民は、ごちそうとして食べると言う。
「一回凍らせて、体内の虫を殺してから食べるんだって」
「虫って……」
疑いの視線を向ける。
「一回食べてみてよ、絶対美味しいから!」
「いや、いい。っていうか、このセヴリューガっていくらなんだ?」
「う~ん、この大きさだったら、リスの毛皮三十枚くらい?」
「高えよ!」
本日、ミハイルがオリガから持たされたのは、リスの毛皮五枚とキツネの毛皮一枚、鶏の卵五つである。
「切り身とか売ってねえのかよ」
「あ~、ちょっと聞いて来ようか?」
「あ、いや、いい。上手く調理できるかわかんないし」
「そっか」
よく見たら、セヴリューガの腹部には切込みが入っていた。
「これは?」
「イクラを取ったんだよ。すぐに抜かないとだめになるから、母さんが塩漬けにしているんだ」
「ふうん」
どこにこんな大きな魚がいるのか。聞いてみると、黒竜河と呼ばれる三つの国に跨って流れる大きな川に生息しているらしい。
「すげえな。こんな魚がいるなんて」
「でも、これはチョウザメの中でも小さいほうなんだよ」
一番大きなものは『ベルーガ』。体長三、四メートルほどまで育つ。
二番目は、『オショートル』。体長二メートルほど。
三番目は、本日入荷した『セヴリューガ』。一メートル前後。
「一番高級なイクラがベルーガなんだよね。大粒で、綺麗な青なんだって。見たことないけれど」
二番目に高価なのは、オショートルのイクラ。黄色い粒が特徴。
「で、庶民の味方が赤色で小粒のセヴリューガ」
「ん、セヴリューガって赤い大粒のイクラなのか?」
「いや、赤い大粒のイクラは鮭の魚卵。蝶鮫の魚卵は一見して全部黒いよ。でも、三つ並べたら色の違いがわかるんだって」
「へえ~」
「黒いイクラはね、薄めの塩に漬けるのが一番美味しいんだよね。濃厚で、川や湖のバターって言われているんだよ」
ミハイルは塩辛いイクラしか食べたことがない。どれだけ美味しいのか、想像もできなかった。
オリガはどうだろうか。
美味しいのならば、食べさせてあげたいが、ミハイルが自由に使えるお金なんてなかった。
今になって初めて、養われている状態なのだと痛感する。
悔しさとも、恥ずかしさとも、なんとも言えない気持ちがこみ上げた。
「ミーシャ、どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。リスの毛皮五枚以内で買える魚を見せてくれ」
「わかった」
ロジオンは三日月湖でしか獲れない『オームリ』という、サケ科の魚という魚二匹とリスの毛皮三枚に卵五つと交換した。あとは、小麦粉や砂糖、塩など不足していた調味料などを交換した。
「あ、そうだ。ロージャ」
「なんだい、ミーシャ」
ミハイルはロジオンにぐっと接近し、耳元で囁く。
「あのこと、誰にも言ってないよな?」
「もちろん!」
あのこととは、ミハイルがパンやお菓子の作り方を知っていることである。
ロジオンはお喋りな印象がある少年だが、ミハイルが菓子を焼けることは誰にも言っていないと言う。
「白星の村の人達と気まずくなりたくないからね。僕だけじゃなく、ここの村人にも迷惑がかかるし」
「ああ、そうだな」
ミハイルはロジオンの肩を叩き、「頼むな」と念を押しておく。それから、今度遊びに来た時に、菓子を焼いてやると約束もした。
帰ろうとしたが、もう一件、気になっていたことがあったので質問する。
「そういえば、黒トナカイのナイフって売れたか?」
「まだあるよ」
「そうか」
「オリガ、欲しがっていたもんね」
「あ、ああ」
ここで、ロジオンが提案をしてくれる。
「取り置きしておこうか?」
「あ、いや、俺、金持ってねえし」
「大丈夫、大丈夫。収入なんて、いつ転がり込んでくるのかわからないから、取っておくね」
ミハイルはロジオンに礼を言う。
いつか、オリガのために買うことができたらいいなと、考えていた。
それから、ミハイルは馬と犬を連れて、家に帰る。
◇◇◇
昼を過ぎると太陽が傾き、空は茜色となる。
ロジオンと話し込んでいたので、予定よりも遅くなってしまった。
幸い、まだオリガは帰って来ていないようだった。
薄暗くなる前に、家の中の灯りを点していく。それからミハイルは台所に立ち、買ってきた魚を調理する。
サケ科と聞いていたが、鮭とは違い、白身だ。
未知の食材なので、どう料理しようかと迷ったが、腹の中に香草を詰めて、塩を振って焼いた。
昼食の支度が整ったところで、オリガが帰って来た。
玄関まで迎えに行く。
血塗れで帰って来る日もあるので、風呂にするか、食事にするか聞きに行く。
「今日は食事にしよう」
「わかった。さっきロージャの家で、魚を買ってきたからそれを焼いた」
「そうか。楽しみにしている」
オリガは外套を玄関にかけ、ブラシで梳っている。
その間に、昼食の準備を整えた。
オリガはミハイルの用意した食事を見て、嬉しそうする。
「ミーシャ、今日も頑張ってくれたんだな」
「いや、これくらい、なんだってことないけれど」
ミハイルは褒められて照れる。
誰かに料理を作り、感謝されることはどうにも慣れない。
顔を背けつつ、食事にしようと言った。
森の神に祈りを捧げ、食事を始める。
まずは、三日月湖にしかいないというオームリから。
エラからナイフを入れて、尻尾のほうまで刃を滑らせた。開きにして、一口大に切る。
お腹に詰めていた香草と一緒に、身をフォークに突き刺して食べた。
塩を振った皮はパリパリで香ばしく、身は淡泊な味わいであるが、じっくり噛むと甘味を感じる。
新鮮で、美味しい魚だった。
「なあ、蝶鮫の肉って、食べたことあるか?」
「いや、ないな」
「ベルーガやオショートルのイクラは?」
「高級品だ。いつも食べているのは、セヴリューガという小型の蝶鮫のイクラなんだが、十分美味いだろう」
「まあ、そうだけど」
オリガは蝶鮫や、高価なイクラを食べたことがなかった。
どうにかして食べさせてあげたいが、ミハイルは居候の身。収入のあてなどない。
オリガは慎ましやかで質素な生活をしている。
以前、いつまで狩猟で稼げるかわからないので、無駄な浪費をしないように暮らしていると話していた。
針葉樹林の野生動物だって、限りある存在なのだ。
なので、ほんのちょっとだけの贅沢もできないのが現状である。
ミハイルに収入があったら、前に欲しがっていた黒トナカイのナイフだって買えるのに。
おいしい物だって、もっと食べさせたい。
今になって、ユスーポフ家にいた時、上着に宝石でも縫い付けておけば良かったと後悔した。
しかし、諦めたわけではなかった。
ミハイルはどうしようか、考える。




